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亀田鵬斎 酒佛経第三回

酒佛経 第2頁

従十方來        ありとあらゆる所から集まってきました。
爾時世尊説壺中麴世界上頓大乗之法已
            お釈迦様はそのとき既に、「壺中麴世界上頓
            大乗」の教えを説いたばかりでしたが
重演説摩訶酒佛功徳曰 重ねて大酒佛の功徳について話されました 
是佛饒益衆生 すなわち、この仏はあらゆる人々を
                  ますます富ませるものであり
不別聖凡  悟りを得た人もそうでない人も区別なく
能令一切衆生得樂除苦 すべての人々に楽しみを与え、苦しみを取り除き
醉民酣歌  みんなを酔わせ、歌わせ
心身清浄  身も心も清らかにして
永離蓋纒  世の中の煩わしさから遠く離れて
得阿耨多羅三藐三菩提心 最上の悟りへの願いをおこすようになります。

【語句】

十方 東西南北の四方と其の乾坤艮巽の四隅と上下
爾時 [ジジ] そのとき、其の当時。= 彼時
世尊 釈迦牟尼仏の尊称=お釈迦さま
       「世尊者智慧超過三界」(金剛経新注)
壺中 直訳すれば、壺の中であるが、酒壺や壺中天を連想させる。
麴世界 麹世界=酒世界であり、酔っ払いの世界である。
上頓 大いに酒を飲む=上戸。「按以飲酒為大小戸、三国之時語也。
    今以嗜酒、號上戸以上頓與戸大幵言也」(『經史摘語』)
大乗 一切の衆生を彼岸に運ぶ(救済する)大きな乗り物。
仏教用語としては「道」の意味で使っている
摩訶 梵語の漢訳で、大、多、勝(すぐれる)の三つの意味で使う。
     こヽでは「大」の意。
酒佛 もちろん本当の仏教の教えにはこのような仏は居ない。
饒益 財がゆたかに多し「七十士之徒、賜最爲饒益」(貨殖篇『史記』)
衆生 [仏語 シュウジョウ] あらゆる人々
酣歌 酒を飲みてたけなはに歌う。酣= 十分に酒を飲む 、たけなは
蓋纒 [ガイテン] 世の中との煩わしい関わり合い
阿耨多羅三藐三菩提心 [アノクタラサンミャクサンボダイシン]
          サンスクリット語 Anuttara samyaksambodhi の漢訳語
          「無上正等正覚(むじょうしょうとうしょうがく)
             =仏教での最上の悟を意味している。

【蛇足自注】

方角について
四方 東西南北
六方 東西南北上下
八方 東西南北と、乾(西北)、坤(西南)、艮(東北)、巽(東南)
十方  東西南北と、乾(西北)、坤(西南)、艮(東北)、
    巽(東南)、上、下

壺中
壺中とか壺中天とかは、中国関連の話でよく出てくるものである。NHK の番組「美の壺」でも、床の間の掛け軸が壺中天となっているのに気付いた人も多いだろう。

元々は『後漢書・方術伝』に出てくる話である。
費長房という市場で役人をしてる男がいた。
市場に薬売りの老人がいて、店の軒先に一つの壺をぶら下げていた。毎日、市が終るとぴょんと壺の中に飛び込む。誰も気がつかなかったけれど、費長房は高い所からそれを見つけ不思議に思った。そこで酒と乾し肉をもって挨拶に行った。老人は費長房が気づいたことを知り「明日もう一度来い」と言った。
翌日費長房が行くと、老人は費長房を連れて一緒に壺の中に入った。
ふと見るとそこは輝くばかり荘厳な御殿で、美酒佳肴が満ち溢れている。
...ということで、費長房はこの老人から仙術を習い、いろいろな事件を引き起こすのである。
『太平廣記』では話の題名は『壺公』となっているが、筋書きは同じく費長房の引き起こす事件である。なお、壺公とは費長房に方術を教えた仙人につけられた名前である。

「壺中」というのはこの壺の中の世界を指し、直接的には壺公の壺の中にある世界を指している。「壺中天」も同じ意味で、この壺の中の世界のことを言っている。
この話に出てくる壺の中の世界は、『後漢書』では「厳かで素晴らしい宮殿(唯見玉堂嚴麗)」としかなっていないが、『太平廣記』になると「豪華な仙人の御殿があり、高い建物、幾つもの門と皇帝の通るような道が備わっており、数十人の侍者が居る(唯見仙宮世界、樓觀重門閣道。公左右侍者數十人)」という華やか世界になっている。
この壺中・壺中天という言葉は後世になると「壺の中にある自分の世界」「自分自身のための世界」といった意味合いが強くなっていく。この鵬斎の詩でも「壺中麴世界、すなわち壺の中の呑兵衛の世界」と言った感じで使われている。

この「壺中」の感じも、東の果ての島の、時代も明治ともなると、大きく変わっていっている。。
島崎藤村の長編詩「秋風の歌」は次のように終わっている。
  あゝうらさびし天地の
  壺の中なる秋の日や
  落葉と共に飄る
  風の行衛を誰か知る

この詩からは、もはや壺公の壺の中の世界を連想することは難しいだろう。
あの有名な「桃源郷」という言葉が、元々の陶淵明の詩では「武陵にある桃の林に沿って流れる川の源にある村」であったのが、何時しか「理想郷」という意味合いに替っていったのと同じである。

麴世界
青木正児さんの名著『中華飲酒詩選』は序に代えて宋の陶穀『清異録 酒漿門』に記載の「瓶盞三病」を引用しているが、その一が「麴世界」である(他は「瓶盞病」と「禍泉」)。
「麴世界」の全文は以下の通り。
酒天虚無。酒地緜邈。酒国安恬。無君臣貴賎之拘。無財利図。無刑罰之避。
陶陶焉。蕩蕩焉。其楽莫可得而量也。転而入于飛蝶。都則又瞢騰浩渺。而不思覚也。
訳は青木さんの本を読んでくれ。

大乗
慈悲博愛主義により、一切の衆生を載せて彼岸に至らしめる大きな乗り物。
中国や日本に伝わった仏教(北伝仏教・大乗仏教)の側から、東南アジア一帯に広く行われている仏教(南伝仏教・小乗仏教)を非難した言葉。
大乗仏教では、自分たちは一切の衆生を救済を行う大きな乗物なのに、そちら(小乗仏教)は個人の救いしか考えていない小さい乗物だ、としている。

【参考】

杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
青木正児『酒中趣』(筑摩叢書、筑摩書房)
青木正児『中華飲酒詩選』(筑摩叢書、筑摩書房)
本田齊編訳『後漢書・方術伝』(平凡社)
『太平廣記・巻第十二』
吉田精一「日本近代詩鑑賞・明治編」(新潮文庫)
維基文庫@web

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