亀田鵬斎 酒佛経 第6回
爲一聲獅子吼 大音声で
白佛曰 仏に申しました。
世尊我有一種米汁 釈迦よ、私は素晴らしい米の汁を
持っている
實爲百薬之長 それは実に百薬の長であり
能慰諭憂悶菩薩 悩み悶えている菩薩をよく慰めてくれる
其香比於十方諸佛人天之香 その香りは世界の全ての仏・人・天の
香りと比べても
爲最第一 第一番のものである
即引大白満米汁 そこで大杯を引き寄せて
米の汁をなみなみと注ぎ、
蘸甲献佛 かにをひたして仏に捧げれば
其香普熏無懐山及三千大千世界 その香りは仏の居られる無懐山
と全世界に普く薫った。
【語句】
獅子吼 [シシク] 真理正道を説いて邪説異端を排撃すること。
白 もうす(申) ← 敬白、建白。
米汁 当然、酒のことを言っている
慰諭 [イユ] なぐさめさとす (詔慰諭軍民 『元史』世祖紀)。
憂悶 [ユウモン] うれいもだえる。
大白 大盃。白はさかずき
蘸 【サン】ひたす。物を以て水に沾す。
普 あまねし。
三千大千世界 広大無辺なる世界の稱。三千世界に同じ。
【蛇足自注】
獅子吼
語句の直接的な意味は、獅子が吼えること。
これから転じて、仏教では仏の説法の形容に使う。
すなわち、獅子が吼えれば百獣が皆ひれ伏すように、仏が法を説けば、菩薩・羅漢は精進し、悪魔・外道はみな降伏することをたとえる。演法無畏、猶如獅子吼、其所講説、乃如雷震(維摩経、仏国品)。牟尼仏生兜率天、分手指天地、作獅子吼声(伝灯録)
更に転じて、嫉妬深い妻が亭主にがみがみいう悪声にも使う。これは宋の蘇東坡の詩による。
蘇東坡の友人陳季常の妻は河東の柳氏の出身で、嫉妬深く性格もきついので、お客が来ても罵り声をあげることがあった。陳季常は仏を好み、よく参禅していたので、蘇東坡が仏教の言葉を借りて、これを河東獅子吼と言った事に始まる。忽聞河東獅子吼、挂杖落手心茫然(蘇東坡詩「寄呉徳仁兼簡陳季常」)。この話は当時評判になったようで、『獅吼記』という芝居にまでなった。
余談だが、似たような言葉で獅子狗があるが、こちらは狆(犬の一種)のことである。
三千大千世界
一千国土を小千世界と名付け、小千世界を千積て中千世界と名付け、中千世界を千積て大千世界と名付く。
三たび千を積むがゆえに三千大千世界と名付く
三千大千世界についての説明は定方晟『須弥山と極楽』に詳しいので、興味のある方は是非一読を。尚、中千世界は2000(1000+1000)個の小千世界ではなく百万個の小千世界(1000^2)であり、大千世界は10億個の小千世界(1000^3)である事に注意。インド人の比喩には膨大な数字が含まれている。
【参考】
杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
定方晟『須弥山と極楽』(講談社現代新書)
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