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孟浩然 宿建徳江
移舟泊煙渚 靄っている渚に舟を止めて、今日はここに泊ることにした。
日暮客愁新 日が暮れてくると、旅寝の悲しさはひとしきりである。
野曠天低樹 広々とした原っぱなので、天は遠くの木の上に垂れ、
江清月近人 清んだ江の水に月影が写っていて、手で掬えるほどだ。
![](https://assets.st-note.com/img/1692665618249-Kk0Kttzhcq.png)
孟浩然と言えば「春眠暁を覚えず…」の詩人として知っている人も多いでしょう。しかし、彼の人生はあの詩のようにほのぼの・のんびりとしたものではなかったようです。当時の人にとって最も大事だった科挙には受からなかったので、あちらこちらを放浪していたようです。
まぁ逆に言えば、科挙受験の勉強をやっていたほどのお坊ちゃんであり、その後もさしたる仕事をせずに人生を送れたわけですから、結構な人生とも言えるでしょう。
この詩に出てくる建徳江ですが、どこにあるかと調べてみると、普通で言えば当時では僻地に近い場所です。地図を下に示しました。
![](https://assets.st-note.com/img/1692666187899-rHOPd3ORjf.jpg?width=1200)
西湖で名高い杭州市から銭塘江(中流は富春江)をさかのぼること約120km、富春江のさらに上流に当たります。
後漢の光武帝の友人でありながら、仕官を断って僻地に隠棲した厳子陵が魚を釣ったと伝えられるところより更に40km位上流になります。
役人であれば仕事の関係で行かざるを得なかったとも考えられますが、孟浩然は一詩人ですから特段の用があったとも思えず、観光としてはいさゝか不便なところのような……
まぁAIで作成した絵では一人で舟を漕いでいるように書いていますが、実際は案内人も付けていただろうし云々と考えれば疑問だらけですが、いかんせんこの時代の旅がどんなもんであったかは、私にはわかっていません。
ごちゃごちゃした都会の喧噪の中に住んでいても、こういった古い時代の詩を読むことで、心の中の時間旅行を楽しんでいる気分です。
参考資料
塩谷温著『唐詩三〇〇首新釈」書籍文物流通会
松浦友久編『漢詩の事典』大修館書店
松浦友久編『校注唐詩解釈辞典』大修館書店