見出し画像

鵬斎 酒佛経第十三回(大尾)

<鵬斎 酒佛経十二図>

世尊因以偈讃曰    そしてお釈迦様は偈(詩)をつくって褒めたたえた。
世人常愁與世乖    皆んなは世の中と一緒にいたがるが
老子常喜與酒偕    老先生は酒と一緒であればご機嫌だ
富貴功名只蔵酒    金を儲けるのも名を挙げるのも、
              酒をたくわえる手段に過ぎぬ
用捨行蔵都忘懐    世の中に用いられようと隠棲しようと、
              どうでもいいことだ
泥酔裏已無歳月    酔っ払ってしまえば、
              時の過ぎる事など関係がない
山頽時豈見形骸    山が頽れてしまえば、
              どうして元の形がわかるのだ
元是青山白雲客    元々があちこちを彷徨っている旅人なんだ
醉茯何論埋不埋    酔って死んでも、埋めるとか埋めないとか
              議論することもない

【語句】

     [ゲ] 仏の功徳を賛美する詩句。
      多くは四句。絶句と違い厳密な韻は踏んでいない。
用捨行蔵  [ヨウシャコウゾウ] 世間が認める時は行動をするが。
      相手にされない時は隠れてじっとしている。
      はもちいる
      はすてる
      はおこなう
      はかくれる
     [スベテ] 残らずあつめること。
      都はよせ合わせる義、総也、聚也と注す。
忘懐     おもい(懐)を忘れる。
青山白雲客 [セイザンハクウンノキャク]
      青山白雲の中に高臥している旅人(客)。
𣦸     [シ] 死の異体字

【蛇足自注】

用捨行蔵
普通は「用舎行蔵」と書きます。
『論語』の述而篇で孔子が顔淵に語った言葉「子謂顔淵曰、用之則行、舎之則蔵、惟我與爾有是夫」を典拠にしています。

簡野道明さん(『字源』)と吉川幸次郎さん(『論語』)は「世の中が自分を認めて任用すれば、おもてだった行動をする。しかし世の中から見捨てられた場合は、じっとひそみ藏くれる」の意味とし、これが伝統的な解釈です。

『論語』の注釈書は、それこそ掃いて捨てるほどありますが、訳者によって、それぞれの個性が出てきます。
宮崎市定 さんは「用いられれば働き、罷めさせられれば引っ込んで音もたてぬ」(『現代語訳『論語』』)とし、任用されるかどうかに重点を置く解釈を行い、 山田史生さんの「仕官すればすすんで活躍するが、浪人すればおとなしく隠遁する」(『全訳論語』)も似ています。

渋沢栄一 さんは「もし君相の我を用うる者あれば、出でて仕え、道を行うて治国安民のことを行い、もし君相の我を舎てて用いざる時は、道を藏して独り自ら善くす」(『論語』)と解釈し、用いるかどうかは君相(主君・宰相)が決めることだから、自分はその境遇に安んじて行ったり蔵れたりする」と己の行動に焦点を当てています。

渋沢さんの『論語』は余談が多く、この条でも新撰組の近藤勇に二度会った事や、浅野総一郎(浅野財閥の創始者)の話に続き、次のような人物月旦を書いています。
「世の用舎に安んじて、用いられざる時は、穏やかに自分の力を蔵しているという人は、世間に多く得られぬものである。
維新の元勲大久保候にしても、大隈候にしても、伊藤候にしても、皆「我より古を成さん」と意気込まれて、用いられざれば、用いられざれる程ますます自ら進出せんとせられた。
独り徳川慶喜公と西郷兄弟は、用いられない時にはあえて行おうとせず、深く蔵して雌伏できることのできた人と思われる。……(中略)
用いられぬために駄目になってしまうような人は、用いられてもやはり駄目な人である」。
渋沢栄一の『論語』について、彼の講演「論語と算盤」しか参照せずに書いてある泡沫著作も見受けられる昨今ですが、幕末・明治の話として読むだけでもおもしろいものです。

忘懐
この文脈ならば、鵬斎先生は当然陶淵明『五柳先生伝』の一節「環堵蕭然、不蔽風日。短褐穿結、箪瓢屡空、晏如也。常著文章自娯、頗示己志。忘懐得失、以此自終」を思い浮かべていたと考えるのが自然でしょう。

青山白雲客
青山というとすぐに「墓地」のことだと即断する方々も居られるようですが、どうも僧月性の詩句「人閒到處有青山」だけが念頭にあるようです。

青山は文字通りの「青々として見える山」「樹木の茂っている山」が本義で、王維詩「門外青山如屋裏、東家流水入西鄰」のように使われています。「青山から墓地を連想する」ようになったのは蘇東坡詩「是處青山可埋骨」からですが、この句でも「こヽ青山は骨を埋めるのによい土地である」としているだけです。

鵬斎先生は『旧唐書 傅奕傳』の文「常醉臥、蹶然起曰、吾其死矣、因自爲墓誌曰、傅奕青山白雲人也、因酒醉死、嗚呼哀哉、其縦達皆此類」を踏まえて書いているのでしょう。


こヽで偈として挙げてあるものは、鵬斎の五言古詩「醉言」をほんのちょっと変えたものです。
  「醉言」          「偈」
人間常愁與世乖       世人常愁與世乖
老子常喜與酒偕       老子常喜與酒偕
醒飮醉歌又何處       富貴功名只蔵酒
用捨行蔵都忘懐       用捨行蔵都忘懐
泥酔裏已無歳月       泥酔裏已無歳月
山頽時豈見形骸       山頽時豈見形骸
混混沌沌麯世界
風風顛顛糟生涯
元是青山白雲客       元是青山白雲客
醉死何論埋不埋       醉𣦸何論埋不埋

<抱一筆 李白図>
<あとがき>

【参考】

杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
吉川幸次郎『論語』(世界古典文学全集、筑摩書房)
宮崎市定『現代語訳 『論語』』(岩波現代文庫、岩波書店)
山田史生『全訳 『論語』』(株式会社 トランスビュー)
渋沢栄一『論語講義(三)』(講談社学術文庫、講談社)
杉村英治『亀田鵬斎詩文・書画集』(三樹書房)
維基文庫@web

いいなと思ったら応援しよう!