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亀田鵬斎 酒佛経 初回
亀田鵬斎に『佛説摩訶酒佛玅樂経』という著書があります。
書名の『佛説摩訶酒佛玅樂経』は今の漢字で書けば「仏説摩訶酒仏妙楽経」となります。全部書くと長いので、略して酒佛経。
亀田鵬斎がお経をまねた形で酒の素晴らしさ(酒徳)を褒めたたえた、お遊びの文章です。
杉村英治さんの『亀田鵬斎』の巻末に江戸時代に刊行された鵬斎の『酒佛経』のコピーが載せられていますが、これが実に素晴らしい出来栄えです。
まず本自体が下の写真のように御経のような恰好をしている。
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そして内容も鵬斎が蘊蓄を注いで書いた美事な漢文で、読んでいるだけで「やるねぇ亀田のおっさん」と呑兵衛の私としては声掛けをしたくなる面白い出来である。
江戸時代の戯作というと黄表紙とかがすぐに出てくるが、江戸はそんなもんだけじゃない。
まぁ一口に言えば、三田村鳶魚が紹介した世界は確かに江戸の一面を伝えてはいるが、江戸にはそれとは違った感性の社会があった。それは人数的には確かに少数ではあったであろうが、しかし、江戸文化の高みを垣間見させるものであった。
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この鵬斎の酒佛経、惜しむらくは全文漢文である。杉村英治さんの『亀田鵬斎』には簡単な紹介と訳文が載せられているが、一向に誰も話題にしない。杉村さんの紹介文は、ちょっと長くなるが以下に引用しておきます。
===杉村英治『亀田鵬斎』よりの引用===
鳩摩羅什訳の「仏説阿弥陀経」は仏が祇園精舎で弟子の舎利弗たちに向かって、「西方十万億土のかなたに、この世では思いもよらない極楽世界が、弥陀仏の功徳によって顕在する、その浄土への往生を願うものは、弥陀の名号をただひたすらに念ずべし」と説く。
わが仏弟子鵬斎が訳するところの、「仏説摩訶酒仏妙楽経」は、仏が酣暢無懐山で、醉龍らの長老に酒仏の功徳を説くが、いつか酒佛と鵬斎の幻影がごっちゃになり、劉伯倫や李太白が飛び出すという、パロディ風の作品に作り替えられ、文晁の劉伯倫夫妻が仏壇に安置した「天美祿」の銘がある酒甕を拝んでいる図、抱一の酒甕によりかかる李白の図が添えてある。
===引用終===
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鵬斎の該博な知識が練りこまれているこの著作の楽しさに気づく方も少ないのであろうかと、己の力量すらわからない浅薄な人間が杉村さんの仕事を基に雑文を書き始めた次第である。
中扉に挿入されているのは「劉伯倫とその奥さん」が神様に祈っている図である。
劉伯倫は本文にでも顔を出してくるが、普の時代の人であり、竹林の七賢の一人に数えられている。本名は伶(レイ)であり、伯倫(ハクリン)は字である。
今の日本では忘れ去られている人物であるが、現代中国で一般向けに出された歴史事典『新編中国文化詞典』(日本訳名:中国歴史文化事典)にも載せられている。
それによれば「当時の司馬氏の支配に不満を持ち、狂気を偽って酒に淫し、政治的迫害を逃れた。「酒徳頌」を作って、老荘思想と飲酒放縦の生活を宣揚。後世、礼法を忌避し、酒に耽った典型的人物とされている」。
このように劉伶は酒に耽った代表的な人物とされているので、後世の人から大酒呑みの代名詞とされている。
李賀の名詩「将進酒」でも
勤君終日酩酊醉 一日中酔っぱらっているのがお勧めだ
酒不到劉伶墳上土 (死んでしまった)劉伶のお墓の土には、
もう酒はとどかないんだから
と詠われている。
この詩末行の気分の一端でも味わおうとするなら、この頃流行の華流時代劇でも見ることをお勧めする。
戦いで不幸にして死んでしまった仲間を弔う際には、野原の隅に小さな土饅頭をつくり、知り合いが代る代る一杯の酒をそこにかけてゆくという光景が出てくる。
古い中国では死者を弔う際に一杯の酒をその墓の土に奉げるという風習があったことが判るであろう。
この絵に話を戻すと、これは『世説新語』に出ている話である。
劉伶が二日酔で、のどが渇いたので奥さんの「酒をもってこい」と言った。
奥さんは酒を捨て、酒器をこわし、泣きながら「あんた飲みすぎだよ。体を壊してしまうから、もうやめて」と訴えた。
「そうか。でも俺は自分で止められないから、神に祈って酒を断つ誓いをしよう」と劉伶は答えた。「神に供える御神酒と肉を用意してくれ」。
奥さんが言われたように酒肉を神前に供えると、劉伶は跪いて「天はこの世に劉伶を生み、酒呑みで有名にした。ひとたび飲めば一石、二日酔を払うには五斗。女房の言っていることなんぞ聞けるもんか」と祈った。
そして酒を引き寄せ肉を喰らい、すっかり酔っぱらってしまった。
まぁ一種の笑話であり、どう諫めたところで、四の五の言って酒を止められない酒呑みの姿を描いている。これをまくらとして鵬斎先生の説法のはじまり、はじまり。
【蛇足自注】
劉伶『酒徳頌』
有大人先生。以天地為一朝。万期為須臾。日月為肩牖、八荒為庭衢。行無轍迹、居無室盧。幕天席地。従意所如。止則操巵執觚、動則挈榼提壺。惟酒是務、焉知其余。有貴介公子、搢紳処士。聞吾風声、議其所以。乃奮袂壤襟、怒目切歯。陳説礼法、是非蜂起。先生於是方捧嬰承槽、銜杯漱醪。奮髯箕居、枕麹藉糟。無思無慮、其楽陶陶。兀然而醉、豁爾而醒。静聽不聞雷霆之声、熟視不視泰山之形。不覚寒暑之切肌、利欲之感情。俯観万物擾擾、焉如江漢之戴浮萍。二豪侍側、焉如螺風嬴之与螟蛉。
劉伯倫の有名な『酒徳頌』はこれで全文である。
この文章は「酒徳」をたたえるものではあるが、単に酒が良いものだと言うのみではなく、結局のところは礼法の拘束から逸脱するため、酔いを求めようとすることに重点がある。これは作者のみならず、竹林七賢を代表とする当時の知識人に共通した態度であった(前野直彬『漢文珠玉選』)。
訳文が必要なら前野先生の本を見てくれ。
又、劉伯倫については次のような話も『世説新語』に見えている。
劉伶嘗従酒放達、或脱衣裸形在屋中、人見譏之。伶曰、我以天地為棟宇、屋室為㡓衣、諸君何為入我㡓中。
劉伶は酒ばかり飲んで好き勝手にしていた。時には部屋で衣を脱いで裸になっていた。それを見て非難する人に対し、劉伶は「私は天地を家としているので、部屋は褌のようなもんだ。どうして私の褌の中に入ってくるんだ」と言った。
㡓 <コン> したばかま。古代中国の下着の一種。
【参孝】
杉村英治『亀田鵬斎』(三樹書房)
『中国歴史文化事典』(新潮社)
日下田誠他『世説新語・任誕第二十三』(新釈漢文大系、明治書院)
荒井健訳註『李賀』(中国詩人選集、岩波書店)
前野直彬『漢文珠玉選』(平凡社)