聖闘士星矢に沼った後わらわら出てきた愚痴(黄金魂編)

聖闘士星矢に沼って原作とアニメを全て見た後、まず手を出したのが黄金魂でした。

黄金聖闘士が好きな身としてはやはり欠かせないと思ったのですが、これがもう個人的には一番残念なスピンオフ?アニオリ?だと思っています。

Ωもかなりファンからは酷評されていますが、原作キャラをそのまま使用している分、個人的には黄金魂のほうが嫌な改変が多かった気がします。

次に嫌だと思った部分をつらつらと書き連ねますので、気分が悪いと思う方はそっとブラウザバックでお願いします🙏


黄金魂の愚痴

▫️デスマスクのキャラ改変

デスマスクのキャラに関して、黄金魂の感想を見ていると高評価が多い印象ですよね。
ただ私個人としては、もはやあれはデスマスクとはいえないキャラになっていると感じました。

原作のデスマスクは利のある方に就く、という分かりやすいキャラクターをしていますよね。

「善悪は時代によって変わる」というデスマスクの考えは、熱血漢で誠実な聖闘士たちとは相容れないかもしれないですが、だからこそ組織にとって必要だったのだと思います。

アイオロスが逃げているときに、「見逃したら何をくれる?」と言うデスマスクは彼らしくて最高でしたね。笑
アフロディーテと仲が良さげなのも、忠誠心厚く熱意があるという、悪く言えば暑苦しい聖闘士たちから一歩引いて見ていた点が似ているからなのかもしれませんね。

とにかくネット上では散々な言われようのデスマスクですが、個人的にはあの聖闘士らしくないキャラクターが彼の魅力なのだと思っています。

だというのに、黄金魂では終始女々しいような情けない姿で、デスマスクの個性も薄れてしまっていました。
利のある方に就く、という一貫したデスマスクのキャラクター性はどこへいったのでしょうか…。

一人の女性に出会い、蟹座の聖衣に再度認められ、という描写が人間的に素晴らしいのはとてもわかります。
ただ、嘆きの壁時点でしっかりと聖衣を纏っていましたし、終始一貫したキャラクター性を壊してまで「更生」させる必要性はあったのでしょうか?

これが黄金魂一番の不満です。


▫️カミュのキャラ崩壊

こちらは悪い意味でよく評価されているのを見かけます。私も、カミュが「俺」と言った時には目を剥きました。一人称は変えてはいけないと思うのです。

個人的に?だったのは、カミュが黄金聖闘士を裏切った過程と、最後には結局スルトまで裏切って聖闘士側についたことです。(裏切ったという表現が適切かは分かりませんが)

カミュといえば、クールでありながら実はとてつもなく情熱的な面を秘めている、とても魅力的なキャラだと思います。寡黙だけれど弟子想いなところに何度も泣かされました。
弟子たちに見せる、ニコッみたいな笑顔もいいですよね。

黄金魂編では、友だという神闘士の側につき、なんというかミロが色々大変な目に遭っていましたね。笑

己の信条で敵側につくと決めたならそれは全く構わないのですが、カミュが黄金聖闘士たちを裏切ってまで敵側につく理由が薄すぎる気がします。
(普通に被害者と加害者の関係ですしね…)

カミュは確かに義理人情に熱い男ですが、常にクールを心がけていることから、あのような私情に塗れた行動はしないと思うのです。
(氷河を説得しに行った時も、教皇を裏切ったりはしていませんでした)

アイザックを前にした氷河も、私情は捨ててアテナと地上のために戦っていましたから。


過程はともあれ芯のはっきりしているカミュを、どっちつかずのフラフラ男にしたことが解せません。

もし本当に覚悟を決めて神闘士側についたのなら、最初の時点でミロと千日戦争を起こしていそうなものですが……。
(黄金聖闘士は一度決めたら突っ走る印象が全員にあるので。笑)


▫️シャカのキャラに対する違和感

シャカははっきりとキャラ崩壊してるという感じはないのですが、どこか違和感がすごいというような感じでした。

例えば谷に落ちたミロを助けたのがシャカだったり、神闘士のバルドルを慈悲深い感じで看取ったり。

シャカの自信に満ち溢れた口調や、浮世離れした雰囲気が出ていないように感じました。
むしろバルドルを看取った時なんて人間的すぎてすごく違和感がありました。

なんというか、あんなに切なそうな雰囲気を醸し出す人間ではないと思うのです。
冥王ハーデス十二宮編でも描かれていたように、死に対しても悟っているはずなので。

黄金魂のシャカが神仏と対話できるとは思えません。

ストーリーを仕立てるために、悟りの境地から離れたキャラクターにしてしまっているように見えました。


▫️童虎の呼ばれ方


これは違和感どころかもう絶対に有り得ないという感じでしたよね。

聖闘士は礼儀作法がきっちりしているイメージがあります。
アテナや教皇に敬語を使うのはもちろんのこと、キャラクターにもよりますが年上を「あなた」と呼んでいたり。

原作ではみんな童虎のことを「老師」と呼んでいましたよね。
前聖戦の生き残りかつ、実質聖闘士を統括していた童虎を、黄金たちが「童虎」と呼び捨てにしていたのは有り得ないと思いました。

▫️ミロの当て馬感 

ミロの当て馬感すごかったですよね。
なぜあのような、弱そうで振り回される系のキャラにされているのか不明です。

カミュ周りのこととか、サガに助けられたりとか、シャカに助けられたりとか。
常に冷静さを欠いているイメージ?のようなものがありました。

確かにミロは激情家なところがありますが、訳もなく激昂しているわけではないですからね…。

むしろ対応能力と決断力は随一だと思います。
そのため冥王ハーデス十二宮編では敵に回った3人に早々に見切りをつけて、皆殺しだとまで言ってましたが。
これが冷静ではないというイメージの元なのでしょうか?ネットでもそういう印象が定着しているようで不思議です。

もし短慮ならば、氷河たちが本物のアテナを戴いていることを理解し教皇を敵だと認識し直したり、カノンの覚悟を見て免罪符を与えたりはしないと思います。

とにかくミロの情熱と激情の使い所が違っている気がしました。


▫️双子座の神聖衣のデザイン

神聖衣のデザインは使い勝手が悪そうで全体的にウーンなのですが、特に気になったのは双子座です。

善と悪の二面性を象徴したかったのか、まるで天使と悪魔のような羽が生えていましたね。

オブジェ形態では、善の面と悪の面が切り離されてお互いに向き合っているデザインでした。
しかも手を合わせて仲良さそうな感じでした。

双子座の因縁は物語の上で重要なファクターだと思います。
善と悪が融合して、めちゃ強!みたいな表現をしたいというのもわかります。

ただ、双子座における善悪は両面価値なので、まず一心同体でないと意味がないと思われます。
ですので、オブジェ形態の時にわざわざ切り離しているのには不満を覚えました。

双子座のキャラクターたちはみんな魅力的ですが、その魅力は善悪や自分のなかの両面性、もしくは兄弟間の確執に葛藤している部分から来ていると思われます。

切り離してわかりやすく善と悪、天使と悪魔のように目に見える形で表現してしまうのは、双子座の真髄からは離れているように思います。


▫️その他

アルデバランは大らかで豪快なキャラなのですが、真面目で繊細なキャラになっていましたね。
厳つい顔をした黄金聖闘士たちのなかで、ひとりニコニコしているようなアルデバランはどこへ。

ムウはドヤ顔腹黒キャラのような印象がありました。確かに理知的なキャラではありますが、なぜか腹黒っぽくなっていましたね。

アイオリアに関してはあの謎の兄さんの形見と、シュラへの恨み?のようなものが気になりました。
特にシュラへの恨みのようなものは、アイオリアらしくないとは思いましたね…。
アイオリアはネチネチと恨みを引き摺っているようなキャラではないと思うのです。(本人は無意識のうちに、という描かれ方でしたが)
もし本当に許せないことがあれば、シャカを殺された時のように真正面から許さん!と掴み掛かるのではないでしょうか。

アフロディーテの服装とかサガの顔とか神聖衣の条件とか、他にも細々としたことはありますが、わざわざ書き連ねるほどの愚痴はこんな感じです。

個人的には一瞬でもいいからカノンが出てきて欲しかった……。(シオンは出てきて嬉しかったです)
童虎とムウとサガでAEを撃つところはエモいと思いました!

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