映画 ピアノ・レッスン を観て(まだ観ていない方は読まないで)

あれは高校3年生の時。「ピアノ・レッスン」という映画を観に行かないか、と友達に誘われ観に行きました。場所は都内某所の映画館。その当時は都内に住んでいたため。映画館はどこだったかもう忘れてしまいました。内容も全くわからずどんな映画だろう、とウキウキ気分で映画館へ。多分今だったらその映画を知っている方々も比較的多いのではないかな、と思います。

この物語はスコットランドからニュージーランドに嫁いでくる口のきけない女性エイダ、彼の夫になるスチュアート、そして現地の原住民ベインズの3人から成り立っている作品です。

主人公エイダは口からきけない代わりにピアノをこよなく愛し、現地からニュージーランドにわざわざ運んでくるのです。ただ、スチュアートはピアノを浜辺に置き去りにします。しかし、そのピアノを欲しがって原住民ベインズがエイダから買い取るのです。ピアノのワンレッスンごとに、ひとつひとつ鍵盤を買うのです。レッスンは性的なことで、夫スチュアートには頑なに体を許さないエイダは、なぜかベインズには性交を許してしまう。そして、その事実を知ったスチュアートは憤慨し、最後はエイダの小指を斧で切り落とします。残されたエイダとベインズ、そしてエイダの娘フローラと3人でピアノとともに新たなる土地へ旅立って行く。

この映画はさすがに高校3年だった私にとっては衝撃でした。恋愛に奥手な私は高校を卒業するまで、異性の誰ともお付き合いをしたこともなく、とりわけ性的なことに関してはまだまだ未熟だったのです。一緒に観に行った友達も多分同じ気持ちだったらしく、帰り道は2人とも無言。

そして、成人してこの映画を何回か見返して、ある疑問がわいてきました。なぜエイダは夫には体を許さず、ベインズと性交渉してしまったのか。これは心理学に詳しい人ではなければわからないと思います。

なので、あるとき理系の知人にこの質問を投げかけました。すると、「きっとその口のきけない主人公は、そのことにかなりのコンプレックスを持っていたため、自分より下層階級の男性との関係を夫より大事に思い、心も体も許したんじゃないのかな」

この映画は女性が監督の作品です。昔は男女の仲と言えば男性優位でしたが、もう私たちが高3の頃は男女平等、もしくは女性のほうが強い存在であるということを示したかったのではないのか、と私は解釈しました。官能的な場面には少し照れてしまいますが、このエイダとベインズの2人の関係はそれだけではない、せつないシーンもあり、心を打たれる映画でした。この映画も何回観ても飽きないと思います。特にエイダのピアノの音色に、なんとも言えないやるせなさを感じるのです。

そして忘れてはならないのが、エイダの娘フローラの存在です。おほらくまだ5、6才で、エイダとベインズの情事の間、おとなしく外で待ち、2人の結びつきを手助けするのです。まだ幼い子供を放っておき、ベインズとの肉体関係を優先する口のきけないエイダも相当性欲があったということかりました。


 

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