「水辺+Ring(輪)=ミズベリング との出会い」
こまつ図書館エディター講座を受けてから、まちの景色に関心を持つようになった。
「新たな図書館が建てられたら、人の流れが増えて活気はもっと良くなるだろうか?」、「回遊性を高めるために道を広くしたほうが良いのではないか?」といった思いが頭に浮かんでくる。
小松市で生まれ、小松市で育ちながらも、これまでは自分の住む「まち」について考えることは少なかった。
だが年を重ねるうちに、子供が大きくなっても、幸せに暮らせるまちであるために、今の自分に出来ることがあればやっておきたい、という小さな責任感が芽生えて来た。
この責任感は、2022年8月4日の豪雨で、さらに強まった。
梯川は観測史上最高の水位 5.90mを記録し、多くの町が被害を受けた。
特に甚大な被害を受けた中海地区近隣に、以前住んでいたことがあるため、同地区の変わり果てた姿を見て大きなショックを受けた。
新聞テレビでは「100年に一度の豪雨」というような表現がされていたが、今後は「10年に一度の豪雨」になるかもしれない。
とにかく河川に対して恐れが強まった。
本来、河川は海からの贈り物であり、神仏へ感謝すべきものである。
しかし、近代以降の築堤や河川改修によって、川がまちと人の営みの場から切り離されてきたため、「河川=制圧すべきもの」というイメージが定着している気がする。
「街並み」、「防災」、「河川」といったキーワードが、私の頭の片隅にはあるのだが、何をしていいのか分からない、という悶々とした状態で日々を過ごしていたところ、
「ミズベリング」という取組があることを知った。どうやら、さっきのキーワードとも何か関係がありそうな雰囲気がする。
小松市内でもこれまでに実施されたことがある活動のようだ。
「ミズベリング」の意味を、インターネットで調べてみると、
「ミズベリング」とは、2013年より水辺の利活用のために始まった活動であり、人々や企業に対し、改めて川の価値を見いだす機会を提供し、身近なニューフロンティアとして川を生かす取組である。
と書かれており、いまいち、ピンと来ない。
自分なりに解釈すると、
「川」を人々の生活に浸透させ、いまよりもっと愛される存在にして、周辺地域が活性化されるというオマケがつく、
と読み替えることが出来そうだ。
この悶々とした気持ちを晴らしてくれるかもしれないので、自分なりに「ミズベリング」を調べてみようと思った。
そこで、真っ先に梯川へ行ってみることにした。まずは、大川町の信号付近あたりだ。するとそこには、看板が置いてあり「水の郷こまつ 梯川ミズベリングコース」と書かれた全長8kmのジョギング・ウォーキングコースであることを示していた。
この場所は車で何度も通っていたが、こんな案内板があるなんて知らなかった。
川の近くは心地よく、もう少し先まで歩いてみようという気になる。
川辺を進み、天満宮さんの近くまで来た。この辺りの中学3年生と高校3年生は、受験前に必ずクラス全員で合格祈願にやって来る。
心の中で菅原 道真公に感謝の気持ちをお伝えして帰途についた。
数日後、次は梯川ボートハウスあたりに行ってみた。
2019年3月10日に完成した公共施設で、ボートに関わる人々が良く集う場所である。ちょうど梯川と前川に分岐する地点に位置する。
建物の外では、いろんなイベントが出来そうだ。
天気が良い日なら、バーベキューをやってみたいものだ。
このあたりの川の色は、天満宮さん付近よりも、さらに青い気がする。
より海に近いからだろうか?
夏なら飛び込みたい眺めだ。
そういえば、学生の頃に、ボート大会がこのあたりで実施されたことを思い出した。
いまも「小松市民レガッタ」という市民向けのボート大会が盛況に開催されているらしい。
川の近くにある丸内中学校のボート部の学生に、川での練習の様子などについて聞いてみたところ、ボートで水辺を進む気分というのは、まるで泳いでいるような感覚だそうだ。
特に夏は涼しく、走り抜ける風がなんとも気持ちがよいらしい。
練習の合間に、水辺から飛び上がる魚が見えたり、たくさんの鳥が羽ばたく様子が見えたり、川に手をいれるとヒヤッとして心地が良かったりと、川を楽しむ秘訣をたくさん教えてくれた。
実際に足を運んで現地を体験した次は、書籍から知識を吸収したいと思い、図書館へ向かった。
2階が郷土本のエリアで、20分ほど探してみると、「こまつの歴史」という本に、梯川改修の歴史が書かれていた。
昭和初期まで手取川の氾濫による水害に度々襲われており、昭和9年(1934年)7月12日の豪雨と雪解け水による水害や、昭和34年(1959年)8月14日の台風7号の影響による水害などは、かなり深刻だったようだ。
一方では、生活に密着した川という共通認識を持った時代もあったようだ。図説こまつの歴史には、こう書かれていた。
『「加賀三湖」とは,「木場潟」,「今江潟」,「柴山潟」の3つの潟湖を指し,古代から中世にかけて陸運と平行して,物流の役割を担っていました。近世になると,ますます物資の交流が盛んになり,利用する舟運も発達し,舟は,潟周辺の村々では生活になくてはならないものになりました。舟は,「川舟」と言われ,明治期には,片山津温泉の元湯を満杯に積んで小松の九龍橋川を上り,西町にあった銭湯へ運んでいた「湯舟」や,昭和初期まで,安宅方面への小学生の遠足やお旅祭り,報恩講に出掛ける人々
を乗せた「貸切り舟」がありました。また,「屋形舟」,「渡舟」などの風流を楽しむための舟も往来していました。』
たしかに、いまの80代の方に話を聞いたら、その方の祖父母世代の中には、九龍橋川から舟を出して、片山津温泉まで遊びに行くという豪気な方もおられた、ということだった。
いずれにしても、川というのは、私たちの生活には欠かせない存在であるし、自然災害は減ることはないだろうし、もっと真剣に川や治水のこと、そして「ミズベリング」のことを調べる必要があると感じた。
(次回へ続く)
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