#5 自分に期待する。
大切な仲間たちの前で 『期待』というテーマで
話をさせて頂ける機会があった本日。
よく頑張った、私。
今日を迎えるまでに、どれぐらい準備したかな。
準備をしてくれたこれまでの私にも、ありがとう。
だな(^_^*)
ざっくりした内容の覚え書き。
–−−
人前で話すことが決まったのは2ヶ月前。
魂としての自分の望み、ではあったんだけど
顕在意識では、
話すの嫌だ
逃げたい
前出たくない
恥ずかしい
失敗するのやだ
傷付きたくない
…うんぬんかんぬんの抵抗が
出てくるわ出てくるわ。
それらは、いかに
自分を苦しめる『無駄な抵抗』なことか(笑)
抵抗をする一方で
いつから、自分に無関心で無感動になって
『期待』をしなくなったんだろう。
という問いを立てる自分もいる。
傷付かないための、逃げかもね。
頭ではわかっていても、
なかなか取り払う、までいかなくてね。
抜け切れず、
しばらく悶々とスッキリしない期間が
あったんだけど。
ある時メッセージとして受け取った言葉が
『死をデザインする』から
『生き方のデザインができる』
そこまでカッコ良い感じではなくても
今を、生きるために、終わりを意識する。
と、いうことにトライしてみた。
変な表現だけど、一回死んでみよう、と。
命は無限、ではなく、有限。
を、強く意識してみたときに、
この自分で後悔はないのか?
を、徹底的に感じてみた。
肉体が終わるってどんな感じ?って。
大きく2つを感じる。
①身体が動かなくなる、ということは身体を使ったあらゆる愛情表現が叶わない、ということ。
抱きしめることも、撫でることも、愛を囁くこともお世話をすることも。それが、とても悲しかった。
そして、今身体が動くことの奇跡を忘れてる自分に気づく。
②ありがとう、を言い切れてない。
周りの人にも。自分にも。
ありがとう、を形で返してる?っていうザワつき。
ありがとう、って言われたい気もしてたのだけど、
それよりも、ありがとうを伝えきれてないことが
それでいいの?と。
仮置きかもしれないけど
ありがとうを形にできてないことが後悔ならば
命を使って、どうありがとうを伝える、を
一つの軸に、生きる目的、に置いてみた。
そしたら、傷付きたくないから、とか
あーだのこーだの言ってる場合なの?ってね。
なんだかスイッチが入ったの。
それが本当にあなたのやりたいことなの?
馬鹿なの?って。
(自分の持っているものに期待しない、ないことにする、傷つくことを避け続けては成長の機会を逸すること?自己卑下?)
じゃあ、少なくとも、自分にも『ありがとう』を
言うために、今から変えられる『行動』ってなんだろうねと。
急に大きなことはできなくても。
小さいことからでも、
ありがとうをクリエイトできる自分がいること
動く力、達成していく力がある自分がいることに
期待しよう、と。
そこが決まると、小さいことでも
行動の選択が始まる。
気になっていて棚上げしていたことに取り組む。
断捨離。
自分の暮らしをスッキリ整えていく。
手をかけることを惜しんでいた自分と対話する。
自分で自分の可能性を潰すのではなく
もっと自分に期待しようよ、とに向けて
エネルギーが動き出す。
自分の向いている方向にエネルギーって
向かうんだよ。
期待に向けるのか?
失望に向けるのか?
私の口は、何を言うためにあるの?
私の手は、何をするためにあるの?
随時、更新していけばよいけれど
少なくとも嘆きを言うためでもなければ
動かさないためについてるわけでもない、ね。
さぁ、自分に何を期待しようかしらね。