よく考えること

歳を取れば取るほど、人生を振り返る場面が多くなった。また考えることが増えた。SNSの原因なのかもしれない。同じように生活してきた人たちが活躍してキラキラの生活をSNSに上げているのを見て、劣等感と嫉妬と羨望が混ざった複雑な気持ちがあるからなのだろう。

元々逃げ癖がある人生だった。辛いことには向き合っているつもりであったが、簡単な道に流れる癖があったと思う。また、日本人らしく失敗を恐れる人生だった。それが故にあまり冒険しない人生だった。就職活動も落ちるのが怖かった、変にプライドが高かったこともあってか全然受けなかった。外資コンサルは普通に落ちたが、それ以外だと本当に2社くらいしか受けなかった。落ちたら大学院に進学しようと思ってた。思えばそういったプライドに邪魔され、リスクを取ってこなかった人生が故に、今30代半ばになって、同じ道を歩んできた同期に埋めようのない差をつけられてるのだと思う。

今となっては、MBA受験で第一志望に落ちたり、転職活動でPEファンドに普通に落ちたり、普通に色々と落ちるので、プライドみたいなものは昔よりはなくなっているが、今でも人に馬鹿だと思われたくないといった謎の最低限のプライドがある。これは一生捨てきれないだろう。本当に面倒くさい奴だ。

ただ、今は中途半端にプライドの高い高学歴の巣窟みたいな一流を自負するJTCを退職し、1.5~2流の日系会社で働いてる。仕事はまぁまぁの楽しさだが、給料は元々いたJTCの2倍以上になっている。給料は倍だが、社会的なステータスはおそらく低い。また業界でもそんなに超一流の企業ではない。自分としては大満足して働いているが、大学や中高の同期からは、なんか落ちぶれたな、的な目で見られるのが正直嫌だし、前職の人からもちょっと都落ち感っぽく見られるのも嫌だ。正直他人がどう思おうが全く関係ないと分かりつつも、プライドが邪魔するのだろう。実際給料は異様に高いので、給与水準も伝えつつ、そんなことはないと弁明してしまう。本当にプライドは邪魔しかしない。消し去ったようで、消えてないのだ。本当に恥ずかしくなる。ただ、問題は、そんな憐みの目で見てくる他人だろって思う。お互いが敬意をもって接していればマウント取りなんて生じないのだ。

生きづらい世の中だなとは思いつつも、自慢する・マウントを取るって、幼稚園・小学校からみんなそうだなーと思う。「~を買ってもらった」などなど、子供は人に自慢したがり、マウントとりがちなのであり、これはもはや人間の本質なのだ。自分の娘もよく「~ちゃん家はこれを買ってもらった」などど言うし、皆子供の時から全然変わってない。昔はクラス内やら小さいコミュニティだけが比較対象だったが、今となってはグローバルでマウントの取り合いである。だからtwitterで良くマウントを取る人が大炎上しているのを見るけど、もうそれって当たり前なんだなと思う。そんなマウントを取って自慢したいマンを取り締まるようなパトロール隊がTwitterにはいますが、鼻につくのは分かるんだけど、もはや人間の本質なのだから、どうしようもないんですよね。これ。ってつくづく思います。

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