見出し画像

政府の子育てへの理解度足りているのか?

求められている親のイメージが高い


そもそも、金銭的な余裕がないのもあるけれど、子供を持てるような精神的な余裕がないのもあって子供を持ちたくない人達も多いようなので、政府の政策が不十分になりそうな気がしている。
原因として、保育の現場もですが、親側に求められる子育ての質も高くなっていることがあげられます。しかし、現状はそのための心の余裕が持てないぐらい、日常生活が忙しすぎます。

親になる人、これからなる人へのケア



たとえば、昔はしつけの一環として言うことを聞かない子供を、叩いたりといった体罰もある程度認められていました。
でも今は、基本的にしつけでも叩いてはいけないことになっています。
これの何が心の余裕がないといけないかというと、過去そうやってしつけとして体罰を受けた世代にとっては今はだめだと思っていても、知識として知っていたとしても、とっさに出てしまいかねないからです。
そもそも体罰を禁止しているはやりすぎてしまう親達がいたからもあったのだと思いますが、(例えば、仕事のストレスを家庭でぶつけてしまうとか、疲れやストレスから必要以上に怒りやすくなって家庭で、子供や配偶者に理不尽に当たってしまったとか。)体罰もしつけとして必要悪であるという概念の親に子育てをされた人たちにとって、体罰を禁止された子育ては難易度がすごく高いと思うのです。
自分はこうだったのに、とか、そういうわだかまりへのケアもなしに、「今はこうです。」だけでは納得が難しい、言葉で尽くすわけでもなく、理由を明確にして注意するでもなく、大人目線でダメなことをしたから叩けれた幼少期を送った人達は特に、上手に諭すことはとてつもない難題です。

頭ではわかっていても、このストレス社会と言われる社会の中にもみくちゃにされた精神と体で、てっとりばやい「痛みでわからせる」以外の方法をとり続けるのは難しい。

親になった人たちの幼少期、少年期との子育てのギャップのようなものを埋めてそれを支える体制や政策も必要なのではないだろうか。

10〜20年前までドラマやアニメでも、夜に小学生一人で家にいるとか、親が保育園児と赤ん坊(はいはいして歩き回れる時期)を置いて買い物へいくとかよくあったけど、ニュースとかを見ると現代はそれも難しい目で見られるようになってる気がします。

社会の目がきびしくなっていることをもっと重く見て政策を立てないと、少子化対策は不十分なことになると思う、親になる人たちへ対する補助政策も重点的に考えなくてはいけないと思います。


いいなと思ったら応援しよう!

葛のことのは
生活費の足しにさせていただきます。