人の差別の学び方
前置き
一般的に差別は、環境や家庭の中で人を介して学んでしまうものという考えが強いと思う。これは、少し違う視点を持ってほしくて書いた。
少し前にAIの自己学習で、AIも差別を学習するということが話題になった。このことから、人間も日常の中だけでなく読み物(新聞やテレビ、本)や娯楽(ドラマや漫画、アニメ、ゲーム)などからも無意識にだんだん世の中はこうゆうものであると(一般的に普通といわれているものを)身に着けているのではないか。その中で無意識に差別も学んでしまっていると、考えたほうがいいのではないかと思う。とくに現実世界とそこまで齟齬のない部分については、影響を受けているものだと少しぐらいは考えるべき。
人も身近なものから学んでいるのではないのか
AIの差別の学び方から考えると、差別のある時代の思想をもとに書かれた作品で、強く差別的な思想をもつ人物が出てくる作品(男尊女卑だと、日本の20世紀代以前の作品や、中世のヨーロッパを舞台にした作品に多いと思うのですが、)はあまり思春期が終わるぐらいまでは、触れさせないほうがいいのかもしれない。(もしくは、表現をもう少し柔らかくするとか、一部削除するとかが必要なのかもしれない)
自分はどっち側なのかとうことを無意識に考えて判断していまう子供もいて、いちどそれがしみ込んでしまうとなかなか修正することはむずかしくなってしまう。
過去の扱いを知ることによって、「こんな扱いをしてもいい」、「こんな扱いをされるかもしれない」を学んでしまうとしたら、それは恐ろしいこと。
全員が問題ないわけではない
もちろん、そんなのは過去のことだとか、フィクションはフィクションだと思って割り切ってしまえる人のほうが多いのかもしれない。
それでも、「感受性が高い人」や「繊細な思考を持っている人」、「フィクション作品を見て感動や共感があるのは、人間関係などは現実世界に通じる部分があるからだ」とか思っている人はなかなか昔のことだとか、フィクションだからと割り切れないことも多い。(現代でも、残酷な事件が全く起こらないわけでもないので、関連付けられる。)
人種差別や、階級制度によって「虐げる人」と「虐げられる人」、「支配する側」「と支配される側」、具体的にどのような非道がされたのかなど、一定の精神年齢になるまでは無理に教え込まないほうがいい。(人によっては、100年前でもたいして前の出来事だと考えられないことをもっと認識されてほしい)
(たとえ割り切ってるつもりでも、無意識の下で判断材料になっていることだってあるはずだから。)
対策としての一つの案
古い時代に書かれたものだったとしても、どこかにこれは現代の感覚では人権侵害や犯罪に当たる行為だとはっきり書いてほしい。
攻撃的な表現が苦手な人間もいるので、(ネタバレになるとかを考えて付けたくない意見もあると思いますが、)一部ゲームのように、過激な内容(ホラーとか、残酷描写などで)精神へのダメージ危険性のコードのようなものを映画や漫画やアニメにも作ってほしい。個人的にはコード内容も、もっと細かくつけるべきだと思う。海外に展開するときに、作品の展開や表現によっては規制がはいることもあるのだから、完結済みの作品には付けていくべき。
(未完作品は、その後の展開によって残酷な作品になることもあるので難しいでしょうが、付けるとしたら1冊ごとにコードを付ける必要がてでくるかもしれない。)(日本が、漫画やアニメを海外展開して収益を得たいと考えているならばこれは必要な作業でもある。)
繊細さん気質を持っている人たちは、残酷な描写で数日落ち込む場合もあるので、楽しく作品を楽しめる人が増やしたいならこの作業は重要。(展開があらすじや、絵ではわからないことも多い)
一度過去の作品を含めて、制度的に見直してほしい。そのときに、差別描写についても一定のコードを付けて、これは人権侵害に当たる行為だと認識してから読めるようにしてほしい。
あまり幼いことから過激な表現の作品を見ることは、その後の精神状態にも影響が出るかもしれないとのこともふくめて、作品を世に送り出したり、過去の名作を再び人の目に留まりやすくするために再出版する際に一定のコード認定を付けるとかされていってほしい。
(それによって、多少は今度のSDGsの妨げになっている壁が低くなるかもしれない。)
(個人的に3「すべての人に健康と福祉を」4「質の高い教育をみんなに」5「ジェンダー平等を実現しよう」10「人や国の不平等をなくそう」16「平和と公正をすべての人に」にはかかってくるはず。)
最後に
「人に教えられなくても、環境や情報から学んでしまうこともある」ことをもっと認識されてほしい。
現在の知識や認識は過去の積み重ねでできているので、知識としてはわかっていても、認識としてすでに嫌悪感を感じるべきものとなってしまったものは、本人が修正したくても修正しきれないことはある。だから、せめて嫌悪感や差別感情を肯定するような内容の情報を制御して、認識の世代交代がすむまで、表立った場所では拡散しないようにするのが一番確実で平和的なのではないか思う。
ちょっと、本筋からずれそうな文章は線引きにしました。