脳天チョップ。

いま一度思い出す

前回の講義が、楽しいお絵かき回だったので、すっかり平和ボケしていたけれども、Xデザイン学校は、儲かって美しいビジネスをデザインするところである。私はそれを学びに来たのだ。会社でやってもダメ、本を読んでもダメ、一度ちゃんとした師に仰がねばならん。そう思って門戸を叩き、ビシバシと言われるのは覚悟の上、むしろ徹底的に鍛えてほしい、入った頃の意気込みを思い出した。講義はあと1回。残り1か月。
自分はその時間をどう使うのか。やれること全部やったのか。
決して安くはない受講料に身銭を切ったのだ。
申し込んだ私にとって、Xデザイン学校は優先すべき必然の出費だ。
悔いは残したくないな。

限られた時間で有効な「調査」とは

今いちばん身に染みて感じているのは「調査」の難しさだ。
有限のヒトモノカネの中で、どこに注力して調査すべきで、何を深堀するのか。調査は広く果てしない(ように感じる)。
調べるほどに、どこまでも広げて調べなければいけない気がしてくる。
先生からの講評をもらって、まず圧倒的に調査の量が足りてないことと
調べるポイントがズレている、と感じた。
調べているときにアイデアを出したらダメ、と言われたことも覚えているが、それは翻れば、中途半端な調査から出てくるアイデアなんて大したことないからだ。アイデアが変に出てしまうと、それを裏付けるエビデンスばっかり探してしまう。気を付けていたつもりだったけど、嵌ってしまったなと思う。でも、じゃあ、調べていく時の方向修正や、ここはブレないぞという筋みたいなものは、特にチームでやっていく時はどうしたら迷子になりにくいのかな、とも思う。うーん。

「それなら、うちができる」

スライドを作りながら、パーパスについてずっと考えていて、パーパスがゲシュタルト崩壊する感じになっているのだが、なんとなく、「パーパス」を言い換えると、いろんなところに散らかっている「うまくいってないこと」に対して「それなら、うちができる」ということなのかなという気がしている。
コロナのワクチン接種が始まった頃に、自治体の予約対応が回ってない、というニュースを見ていて、「限られた枠に対する大量のリクエストをさばく」という意味では、コンサートのチケットを取るのと一緒だよなと思ってたら、その数日後に、ぴあがチケット予約システムをどこかの自治体に貸し出していて、やっぱり、と思った。
多分そういうことなのだ、ぴあと自治体が普通の事業領域で被ることは少ないけど、何かのポイントがあって、普通に付き合っている事業者では絶対できないことが「そんなことなら、うちができるよ」と結びつけば、それがビジネスの種になるんだろう。
食べチョクのサービスにしても、秋元さんがDeNAでECサービスに触れていたから、共感に終わらずサービス化できたのだ(もちろん他にいろいろあるだろうけど)。社会課題を解決しようとするのは、ただのボランティア、というのは、結局そこにパーパスを生かせなくて、ただの投資に終わってしまうからだ。
パーパスは雑味、雑味こそが魅力、というのも、にひっかかっている言葉で、きれいごとに見えそうなビジョンを裏付けるためのもの、確かにそれならそうだね、これじゃなきゃできないね、と思える部分なんだと思う。
今のチームで提案する上でのパーパスは何だろう。改めて向き合ってみる。と同時に、本業の方の自社のパーパスも何なんだろうなと思ってしまう。

10年ひと昔

今から10年前というと、iPhoneが登場したぐらい。それから今にかけてずいぶんいろんなことが変化があったはず。と言われて、はたと思った。
10年先を見越して、というと、なぜか自分軸で今とそんなに変わっていない未来を思ってしまうけども、10年前の自分と今を比較すると、だいぶいろんなことが変わっている。
だから、未来予測こそ、データと緻密なリサーチが必要なのだ。ふわっとした「そうだったらいいのにな」とか「ドラえもんがやってきた22世紀」とかじゃなくて、今のまま進んだら確実にこうなる、その世界で何が必要か。何が美しいあり方なのか。
バックキャストだなんだと言うけれども、技術トレンドによらずに、現実に即した形でそれを書けないとビジネスモデルを作っても意味がない。
さらには、そうなってないと、いくらUXを良くしようとしても無理なのだ。

人間の感情の根本は同じ

たまたまTwitterを見ていたら、宇多田ヒカルの人生相談の回答がバズっていた。人にうまく気持ちを伝えられない、という悩みに対して、「逆にどれだけ読書をしているか」ということだった。良いインプット無しに、良いアウトプットはない、というのと、宇多田ヒカルは、人間の感情は基本的に同じだと信じているから、いろんな人に届く歌が書けるのだろう、というリプがついていた。
他人事のサービスはダメ、というのは、そういう面もあると思う。
世の中にそういうニーズがあるっぽいんで、このサービスは良い
(私は必要性を感じないけど)みたいなスタンスで、熱量を持って伝えられるかと言ったら、そこは絶対無理だと思うからだ。
かといって、思い入れがありすぎてもダメ、というのもビジネス観点ではダメだというのもわかった。
自分のチームで翻って言えば、ユーザーインタビューや検討の中で
ひっかかった部分にこだわったのが、裏目に出た感があるなぁと思った。
共感は必要、ナラティブが必要、でも、それはあくまでも人に伝えるためのもので、独りよがりではダメ。
そういえば、志村けんのコント哲学みたいなのを、子供向け番組でやっていて、オフィスのコントをやるときに、志村けんはデスク周りの小道具を徹底的に揃えた、そこがリアルであればあるほど、ボケのおかしみが際立つから、というのがあった。
多分そういうことで、計算して計算して計算してやっと、くすっとしてもらえるレベルになるんだろう。そこに至るまでの美意識を上げるって相当な努力だなと思う。

おまけ:ドラマ「エルピス」が面白かった話

去年の冬クールにやっていたドラマ「エルピス」にはまって、毎週楽しみにみていた。脚本家とプロデューサーが好きな人だったので、期待していたのだけど、「人間」と「組織」の描き方がすごくリアルだと思いながら見ていた。正義感の強い人間が、いつでも正しい行動をするわけではないし、心情的に絶対相容れない人間だからと、嫌いになれないし、明確に誰かが悪いと言い切れない状況で、悪い方にしか転がっていかない議論。とか
人間は聖だけでも俗だけでもない、でも、少しでも明日を信じたいから、自分を、人生をいいものだと思いたいから、その時にどういう選択をするのか?そんなことを考えさせられたドラマだった。

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