終わりが始まり
最初から最後までドタバタだった
オフィスアワーから最終発表会までの間、正直本業そっちのけでスライドに取り組んでいた。今やれることはやっておきたい、悔いの無いようにと思って、チーム内のコミュニケーションもみんなモチベーション高く濃かった。
で、前日の夜に、娘が発熱である。翌日、最終発表会当日の朝に休日当番医に駆け込んだ。3時間待ちの検査の後に、インフルエンザ陽性が発覚。
でも、初回の講義の時は、前日から息子がお腹を壊していた。今の環境で、持てる武器で戦う。そんな1年だった。
正直、最終発表会のこのタイミングか、と思わないでもなかったが、そこまでがくっと落ち込まなかったのは、チームの方々への信頼感があったからだ。当日発表のストーリーはみんなで共有して、発表割り当て分も代打をお願いできる状況になっていた。そう思える人たちと出会えたこと、一緒に課題に取り組めたこと、それそのものが素晴らしい体験だった。
自分が「正しい」と思ったことは違う
チーム内の役割分担のこともあって、最後まで調査をしていた。
都内のエリアごとの空きビル状況、全国の発電所の場所や発電量、などなど
やっていて悉く思ったのは、自分が「こうだろう」と思った予想が大体間違っていたことだった。
発電所の場所を調べたのは、地方の過疎が進んだ時に、今地方にある発電所を維持する人間がいなくなるんではないかと思ったのがきっかけだったが、実際には、大容量の発電所は太平洋ベルト付近に集中していて、えっじゃあ水力発電所は?と思ったら、確かに山間地に数自体は多いけれども、発電量はみな小さい。これ淘汰されても、大問題にならないのかもしれない。
私は富山生まれなので、ダムはそこかしこにあり、電力=ダムと思っていたけれど、そうじゃない。調べなければいけないのはファクト。半径10キロの世界で予想を立てたらダメなのだ。
今まで自分が「調査」だと思っていた範囲が、どれほど浅く狭かったか。
最終発表に向けては、そこに気づかされることが多かった。
例えば、ビジネスモデルに自家発電を組み込むところに、これまでの自分であれば「トヨタはMIRAIを作ってるから、水素発電ができる」で、十分エビデンスとしてのリサーチはできたと思っていただろう。
自家発電の重要性を説くために、どれほどのことを知っていなければいけないか(まあ下手なので効率が悪いというところはあるが)
オフィスアワー後に、チームでミーティングをしていて「(ビジネスモデルが)もとに戻ったね」という発言が出た。たぶん先生には、トヨタで農業で、と私たちが言った時から、今のゴールが見えていて、詰まるところもお見通しだったんではないのかなと、そんな気もしている。
UXの敗北とマイナンバーカード
ポイントを付与するサービスはUXの敗北を意味する、がストンと肚に落ちた。ポイント上げますと言っている時点で、そのサービス自体には、魅力がありませんと言っているようなものだもんな、と「マイナンバーカード」のことを思い出した。私は自治体がらみの部署をしているので、マイナンバー制度導入の数年前から、部署はマイナンバー狂騒曲な感じだったのだが、昨今のマイナポイント事業を見ていて、「これ元々そんな話じゃなかったじゃん」とずっと思っている。これまでの流れや利活用の現状を見ていると、とてもカードを作る気にもなれず、今に至る。
インセンティブは呼び水、利便性を感じさせてからお金を取る、というモデルもあるだろうし、全部が全部そうとも限らないと思うが、いずれにしてもインセンティブありきで考えるのは、UXの本質的な部分からは外れるのだろう。ユーザは、サービスそのものの「うれしい」体験が欲しいのだから。
実体経済と金融経済と「舞い上がれ!」
最後の最後にわかった(気がする)のは、実体経済と金融経済の話。
事業モデルと収益モデルは違う、事業をやるためにはチャリンチャリンがいる、というのは、ずっと頭にあったけれども、どうやって?の部分が腑に落ちなった。それは、結局全部を実体経済の世界で考えていたからで、それはそもそも「無理ゲー」に近いことだったのだ。
というのを、最後の先生の講評でやっと気づいた。実体経済と金融経済ではそもそも利幅の考え方が全然違う。
今の朝ドラ「舞い上がれ!」の主人公の実家はネジ工場、一本〇円〇銭の世界で、品質を追求する。主人公の兄は投資家として成功、資金繰りでピンチに陥った実家の工場を買い取って、運用益を出していた(その後いろいろあったけど)
先生が言いたかったのは、そういうことなんではないかと。
だから、昨日の夜になって、自分たちのビジネスモデルであれば「この事業はESG投資として成長する領域、投資家に受ける」みたいな話をすれば、金銭面がクリアできるんじゃなかったのかな、と思った。(ESG投資についてちゃんと調べたわけじゃないので、また「浅い」と怒られるかなと思いつつ)
自分ができること、できたこと
割とこれまで仕事では、〇〇について提案書書いて、と言われて、早く仕上げてきたのが自分のできることだと思っていた。でもこの10か月、果たしてその行為のどれだけが、実際有効だったのだろうかと疑問を持った。
アイデアが無限に出てくるような若さも無いな、と思っていたけれど、そこは調査や知見で補えるというか、調査に基づくインサイトがあれば、必然的にサービスは生まれるもの、というのも気づきだった。そこに至るまでに時間がかかったのが多少悔いではある。実践に生かす場を作っていければなと思う。その上で、今の私ができること、得意なことだったり、チームにおいてどういう役割を果たせたのかな、というのはまだぼんやりしている。
とりあえず、毎回このnoteを書くことは最後まで続けられた。コツコツ継続が苦手な私にしては、頑張った。
最後の講評にもあったけれど、ここからがスタートなんだと思う。
ここで得た学びを持って、どういうことをやっていくのか。
ある日突然「あの時のあれはこういうことか!」と思う時が来るのかなとも。
でも、これほどまでにインプットとアウトプットを繰り返し、自分の中に起こる洪水のような「?」と向き合った10か月も、これまでの人生になかったと思う。出産と同じくらい価値観が変わった時間だった。
子ども2人に添い寝しながら、オンラインミーティングをした日を懐かしく思う日も来るだろう。
先生をはじめ、関わってくださったすべての方にお礼申し上げます。
本当にありがとうございました。