あらまほしきペルソナ。


最初に・反省


1回目のリフレクションを書いた後から、ずっとひっかかっていたことがある。今日の講義回までに別投稿でnoteにまとめたかったのが、間に合わなくて、しまったなと思っていたけれど、今日の講義で、そう、それ、私が気になっていたのはそれ、と思った。

それ誰の気持ち?

あれは3年くらい前のことだ。当社ともう1社(他業種)で、子育て世代向けのソリューション企画をしていたようで(ようで、というのは私は検討伍の企画書だけ見せてもらったから)、結果的に自治体からの様々な案内を、個々の家族形態に合わせてパーソナライズされた状態で通知するアプリ、をモニター利用してもらうという事業があった。
検討段階の中で、実際の子育てママ社員からの聞き取りインタビューから共感マップ、カスタマージャーニーマップを作り、最終的なニーズ、日々感じていることの結論が出ていたのだが、それを見てたまげた。
「日々、時間がないと感じている。時短で会社にも迷惑をかけている。
 有休も最小限にしたい。」
・・・
いやー、いやいやいや。
もっとあったろう、他に拾うべき声。
それが率直な感想だった。

当時の自分が、もろ当事者だったというのもあるが(第一子の復職後の年度末だった)、この結論付けた人、発言の裏側の気持ちわかってんのかな。そう思った。当事者だけに、いろいろ語りだすと熱くなってしまうのだけど、多分、これは聞く側の価値観というか、聞く側が「共感できる」ものだったんだろう。
直属の上長とは話していた。AIの学習データとして、過去の実績をそのまま使うと意図せずバイアスがかかる、という例も聞いていたので、結論付ける側の認知力だとか経験値によるものは、それだけ厄介なんだろう。ペルソナを洗い出すためのツールをなまじ「ファクト」としてしまうと、根拠があるようにも見える。

解決するなら、根本からじゃないと意味がない

上の事業に対して、前回の講義の後にさらに思ったことがあった。
結局、モニターを募ってアプリを使ってもらって、そこそこの評価は得たけれど、たぶん最初に結論付けた内容の解決にはなってないだろうな。
仮に、あのペルソナが正しかったとして、提案したアプリを使ってもらっても、講義にもあったように、対症療法にしかなってない。
アプリが少しマシにしてくれるだけで、毎日時間がないと感じることも、会社に迷惑をかけているという気持ちも、きっと楽にならない。
ペルソナに基づいた提案をするなら、その根本(それが暗黙の価値観、インサイトなのかと思うが)を満たさないと意味ないんじゃないか。その意味でも、あれは提案ストーリーとして中途半端だったんじゃないのかなと思う。
カスタマージャーニーマップのタッチポイントだけクリアしてもダメ、というのが刺さった。
この間、読んだ育児漫画でもハッとした。「(普段やらない夫が)言ってくれれば手伝うよ、と言うけれど、”手伝う”とか”サポート”とは、本来その役割を完全に全うできるスキルがある側の発言だ。(指示待ち側が言うものではない)」というエピソードがあった。仕事では何気なく言いがちだ。課題解決をお手伝いします、とか云々。でも、果たして。相手の本質までとらえて”サポート”できていたことは、どれくらいあったんだろうか。
課題解決にはシビア、感動には青天井。そんなことも思い出しながら、やるなら根本へのアプローチだ、それもワクワクするような、カタルシスがあるような。そんなサービスを描きたい。それは私の夢であり目標だ。

エンパシーとDX

DX=多種多幸、というフレーズも前回の講義で心に残っていた言葉だった。後出しじゃんけんではないけれど、だったらDXの時代においては共感的理解が大事なファクターになるのだろうと思った。
自分自身が中年と呼ばれる年齢に差し掛かった今、保守的な上の世代には反発する一方で、もっと若い世代の言うことがだんだんよくわからなくなっており、価値観の揺らぎや、サービスデザインをする上での「共感的理解」の重要性を再認識している。多種多幸を実現するということは、自分とは相容れない価値観を持つ人たちの「幸せ」を理解できなければ、仕組みづくりの根本を間違うことになるからだ。
Unlearnの観点で言えば、過去の学習を引き合いに出すのはNGかもしれないが、私は10年くらい前に産業カウンセラーの資格を取るのに養成講座に通ったことがある。講座の中では「共感」を「相手を内側から理解すること」としていて、「共感」と「同感」は明確に異なるものとされていた。エンパシーとシンパシー、の違いだと自分では認識している。
講義のスライドに出ていたブレイディみかこさんの「僕はイエローでホワイトでときどきブルー」にもあったけれど、エンパシーは「相手の靴を履いてみること」なのだ。自分がそれを快適に思うかはさておき、相手から見える世界を理解すること、それを履いている相手の感情を理解すること。エスノグラフィや調査を進めるうえでも、自分がどう感じたか、ではなくて、対象の行動や、なぜそうするのか、にフォーカスすることが大事なんだろう。自分の判断は大事だけれども、価値観のバイアスがかかってないかは、気にしておかなければいけないんだと思う。(でなければ、大事なプロトコルデータを取りこぼすのではないか。)

ワークについて

今回のグループワークは、プラットフォームビジネスの分析であった。ユーザ視点で、利用したことのあるプラットフォームビジネスを挙げたが、先生からの問い「出店する側のハードルは?大したものじゃなくても売ってもいいのか?」というところで、詰まってしまった。終わってからも考えていたけれど、確かにじゃあ自分がお店をやっていたとして、あそこに出そうと思う時、何を考えるか、どう言われたらやりたいと思えるか、そういう目線で捉えていなかったなと反省した。逆にうまくいっているプラットフォームビジネスは、それがスッと入ってくるような戦略が敷いてあるのかもなとも思った。
そして、他の人の捉え方も面白かった。とくし丸も、AWSも、GitHubも知っていたけど「プラットフォームビジネス」として認識していなかった。センスは磨いていかないといけない。
(余談だけれども、とくし丸は開業する事業主の人が足で販路や営業できそうなエリアを探してくるそうで、「とくし丸」トラックを見かけた某宅食業者やフードキット業者がトラックの後をつけて、周辺にビラを撒いて行ったりすることがあると、スーパーの担当者の人に聞いたことがある。ターゲット選定には近道だろうけど、フリーライドだよなぁと思った印象)

次回からは本格的な課題に対するワークが始まるようなので、実践的な思考訓練ができるようにしておきたい。


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