未来の女子野球は軟式にしてみませんか?(2)
第一話
東京、港区にあるビルの一室で、
古木は思案していた。
長年、日本プロ野球機構が抱え込んでいた
案件「日本女子プロ野球及び女子野球を
再構築するにあたっての考察」の完成が
急がれていた。
この年より新しく日本プロ野球機構、
通称NPBのコミッショナーに古木は
就任した。
過去、野球ファンたちに隠されたある出来事によって分裂しかかったプロ野球を
選手会長の古木と選手、選手会が、
何とか守るべく立ち上がったことがある。
その時のリーダーシップ、キャプテンシーを
見込まれたのが今回の就任の主な理由。
その古木のデスクには山のように
書類や資料が置かれ、目を移すたびに
圧倒する紙の束にため息を吹きかけていた。
「どうするか……一度失敗をしているだけに
同じ轍を踏む訳には………」
日本プロ野球。
というか、日本の野球の歴史。
それは1872年、明治5年から始まる。
そして1903年、明治36年に早稲田大が
慶応大に試合を申し込み、それ以降伝統の
早慶戦が始まった。
1915年には全国中等学校優勝野球大会
(現在の夏の甲子園大会)が行なわれ、
1920年、大正9年には日本初のプロチームが誕生している。
しばらくした1936年、昭和11年に
7球団による日本職業野球連盟が創立された。
今での日本プロ野球の礎である。
その後、第二次世界大戦により中断が
あったが、1946年復活。
その4年後、1950年、昭和25年に
セ・リーグ、パ・リーグの2リーグ制が始まる事となる。
そんな長い歴史の日本プロ野球。
現在はセ・パ合わせて12球団あり、
各球団の努力により、集客も伸びて
今のところ順調にきている。
が、何年か前にはパ・リーグのある球団が
経営難の為に球団を手放す方向である、
との話が浮上した。
水面下でオーナー会議が開かれ、
現行の12球団から10球団に減らし、
1リーグ制しようとの声が上がった。
中心となったのは、政財界にも顔の効く
在京の人気2球団だった。
他の球団のオーナー達は
その2球団についていけば、TV中継など
俗に言う " 美味しい思い " ができるので
賛成に回り1リーグ制が決まりかかった。
そこに待ったをかけたのが
球団買収を申し出た、あるベンチャー企業と
プロ野球選手会だった。
その企業はIT関連を中心に業績を伸ばし、
ゆくゆくは通信事業への参入も噂されていて
プロ野球球団を持つことは通信事業という
分野において日本全国にアピールができる
メリットがあるので何としても参入したいと
思っていた。
一方、選手会としては単純に2球団が減る訳
だから、その分選手達のクビ、人員整理の
話が出てくる。
自分達の実力が足らずに戦力外を通告されるのは納得がいくであろう。
しかし、球団の減少に伴いプロ野球選手と
いう道を絶たれてしまう。
それは少し違うのではないか?
加えてファンの声もある。
これは話し合うべきであろう。
次第によっては闘う事も辞さない。
と、各球団の選手会の意見をまとめ、
先頭に立って闘ってきたのが
今、コミッショナーとなった古木である。
そして、どうしても球団を減らし1リーグに
拘るオーナー側との交渉の末、選手会として
抗議の証として古木は思い切った決断を
下した。
ストの決行である。
長い日本プロ野球の歴史の中で
初めて試合をボイコットし、ストをした。
※選手会は労働組合として認可されており
ストライキを起こす権利は持っていた。
スト決行日の夜。
スポーツニュース番組に出演した古木は
ストに至った経緯を話し、プロ野球ファン達に謝罪をした。
大粒の涙を流しながら………。
12球団のファン達は古木の決断を
全面的に支持をした。
ストライキは1日だけだったが、
効果はあったのだろう。
オーナー側の態度に変化が現れ、
新規参入を検討するとまでに変わった。
次の日以降に行われた試合では
しばらく敵チームから
「古木コール」が球場に響きわたった。
今まででは考えられない事態であった。
その時のリーダーシップを買われ、
いずれ将来のコミッショナー候補と
言われ続け、ようやくファン達の願いが
叶い、今年度より日本プロ野球機構の
コミッショナーに就任したのである。
第一話 完 続く
※この物語はフィクションであり登場する
人物や団体等、実在するものとは一切関係
ありません。