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いい先生になれたかなぁ
教育者たちの疑問
教育者たちは多くの疑問をもちながら仕事をしている。(と思っている。)
どうして漢字を習っても、テストで書けないか。
どうして読み取りで、深く読めないか。
どうして話を聞かないのか。
どうして学習に向かわないのか。
どうして落としたゴミを拾わないか。
どうして人の体のことを笑うのか。
宿題をなぜ出せないか。
なぜ質問してこないのか。
学習性無力感はわかったが、何がきっかけか。
なぜ・・・なぜ・・・どうして・・・
後をたたない。
すべて子供の言動に関すること。
私の興味関心はそこだ。
附属小学校で子供達に
「絶対にいい先生になるから!」
と約束したこと。
いい先生とは、子供にとってのいい先生。
子供のことをよくわかっていないで、いい先生にはなれまい!
と常に興味はそこにある。
理論も手立ても万能ではない
これでうまくいく!という手法もたまにある。が、
万人には通用しない。
すべての子がアクティブに、そして、何らかの新たな知見を得て。楽しいと子供達が思えていること。それがうまくいくことだと思ってきた。
ただ、ほとんど、そういうことはない。
うまくいったと思えない。
結果は後になってわかる。
学習も。
人間の学習に関わる、普遍的な、それらしい理論はわかっていながら、
はっきりとした成果のようなものはでてこない。
探してみても、わからない。
わかっているのなら、
教育に関する知見を学びたての
すべての大学生がよき教育者となるだろう。
教育に関する研究を今でもしている、
すべての大学の教授がすばらしい教育を施せるに間違いない。
しかし、そうではないらしい。
教職13年目。
学んできた方々からの気づき
あれこれと体験させ、塾、習い事をさせ、個人的な研究を応援する保護者。
自分の信じることを全面に押し出す先生。
常にどうすれば、と手立てが次々と出てくる先生。
こういう人たちはすごい。
尊敬する。
魅力的な方々ばかりだ。
すでに子育て、教育で、正解に辿り着いているようで、ぜひあやかりたく
こちらも身銭を惜しまず学んできた。
ただ、子供達の姿をみると、「あれれ?」と思うことが何度もあった。
「いま、幸せ?」と聞いて、何人が肯定するだろうか。
すばらしい生活態度・・・でも友達との関わりがぎこちない。
自主学習ノートに授業内容をすばらしい構成で復習してくる・・・でも、辛いことを腹に溜めていて口臭がすごい。
「それ、本当にしたいことなの?」と聞いて、何人が「そうだよ!」と答えるかな。
すごいね、こんなに漢字テストできて!・・・「母さんが準備したプリントを10枚やらんとゲーム取り上げられるから。」
去年の学習発表会すごかったじゃん!今年も楽しみにしているよ!・・・「あれっって先生たちの自己満じゃん。」
こういう違和感は、記録してくればよかったと今は思う。
もちろん完璧を目指すわけではないけど、
子供の心が置き去りにされていることが多々あったので・・・
多少形になっていなくとも、
雑さがあっても、
子供が満足にやった!という臨場感が何よりも大事だと思う。
だから
こちらが手を加えること自体が問題なのでは、
もっと彼ら、彼女らの思うようにさせてみてもいいのでは。
ということをずっと、心中に、淡い思いながら、持ちながら実践してきた。
しかし、淡い思いは濃ゆい思いに流れていく。
現場の声の大きい先生方、
ものすごいパフォーマンスを見せていた学級の先生方、
すばらしいお話ができる先生方、
そういう方々の考えは、何か、自らの功名心をくすぐらせ、
濃ゆい思いにつながっていった。
ただ、数年前、勇気を出して、先輩教員に淡い思いを言った。
返ってきた言葉は
「じゃあさ、子供に何を食べたい?って聞いごらんよ。
ラーメン、カレー、焼肉くらいしか返ってこないよ。
それだとさ、偏りがあるじゃない。
栄養を取らせるために、野菜もあげないと。
フルーツもとらせないと。
そうやってこちらが結局コーディネートしないといけないよ。」
これって、否定だよね〜わかるようでわからん。でも言い返すとめんどうくさいからわかったようにしておこ〜笑(←当時の私の腹黒な思い笑)。
今、思うのは、
「栄養も、吸収できるかどうかはその人のコンディション、そして体質の違いもありますよね。」と。
「今、子供達が求めていること、それが最も吸収したいこと、という考えについてはどう考えますか?」と。
「カレーなどの味が濃ゆいものが欲しいのであれば、もっと活力満ちて、もっと感動を噛み締めて活動したいという気持ちの表れなのではないでしょうか。」
と。
「子供の言動のその裏を見てあげることが、教師として最重要なのではないでしょうか。」と。
「必要な栄養、とは、何を基準にしておっしゃっておられるのでしょうか。」と。
だいぶ嫌らしい後輩だね。笑
自分の心の中の思いを放ってきた。
でも、今年は違った。
子供に突きつけられる、気付かされる、学ぶ
今年度は、本当に素晴らしい出会いがあった。
残念ながら先生ではない。
本でもない。
セミナーでもない。
クラスの子供達だ。
いわゆる崩壊学級にいる子達だ。
元気のいい子。
調子に乗っている子。
大人でもひるむことなく言い返してくる子。
暴言暴力日常茶飯事に起こす子。
ルールは無視な子。
その中でも普通にしていられる子。
とても繊細で思い込みが激しい子。
集団行動ができない子。
これらの特性をすべて兼ね備えている子笑。
調子に乗っているのは、自分がやりたいことを遠慮せず、全てやろうとするから。
好奇心を抑えていないから。
大人でも言い返すのは、大人の言動に愛を感じられないから。本当に向き合ってくれている人はすぐにわかるから。
暴言暴力は表現力、語彙力不足というか、偏った環境で育ってきたから。それで乗り越えてきたから。相棒のようなもの。
ルール無視なのは、無視する俺たちに向き合ってくる先生がいなくなったから。ルール違反している他の子らに先生たちは何も言っていないから。そもそもルールに意味を感じられないから。人に迷惑という想像力が未熟だから。
普通にしていられるのは信頼できる友達がいるから。親がいるから。暴れる子の存在を許しているから。
繊細なのは自分の世界を壊されないように、人の世界も壊してはいけないという優しさを持っているから。
集団行動できないのは、集団に所属させてもらえていない感覚が育っているから。
・・・
そんな感じがする。知らんけど笑。
目の前の指標として、わかるのは、子供達が安心しているかどうか
落ち着いて生活できているかどうか。
言葉の端々から感じる。表情から感じる。習慣の変化から感じる。
これは本当に。
それで、今年は随分子供に近づけた。
どんな形でも、ま、いいか。
と思えた実践の中で、
捉えた子供たちの本音。
子供達が望むもの。
とてもシンプルだった。
これがわかると、毎日、
私も安心して仕事ができた。
子供との関わりに充実感があった。
特大の充実は、大抵前触れに大きなマイナスから始まる笑。
今年度、前よりもいい先生に近づけたかな〜