韓流メソッド [その3]
<SungerBook-舌鼓8>
韓流ドラマづくりの三大方針の3番目は、おもしろさの追求です。
まず、そもそもおもしろさとは何なのか、これを明確にしておく必要があるかもしれません。これも、幅を広げ過ぎると際限なくなりますので、ある程度の絞り込みをしてみましょう。「韓流メソッド [その 1]」で、私は「③おもしろさの追求(狭義のエンターテイメント)」としていますので、この場合「狭義」のその内容のことになってきます。
ドラマを映画などを含めて広く捉えてみますと、一番左寄りに伝統的、様式的浄瑠璃や歌舞伎などがあり、そのやや右に戯曲や映画やドラマがあり、一番右寄りに松竹新喜劇などがあるという配列になると置いてみます。それぞれにおもしろさがあり、映画だけでもゴダールから山田洋次までの振れ幅がありましょう。ここで言う左右に政治的意味はありません。
韓流ドラマのおもしろさと言う時、ここは、一旦大衆的な娯楽性の範疇で考えてみたいと思います。「一旦」としたのは、韓流ドラマの中にも哲学的だったり、文学的だったりするおもしろいものがあるかもしれないからです。
エンタメの追求
ここで「おもしろさの追求」を「エンターテイメントの追求」と読み換えます。その上で、その中身となれば、一言で言えば「感情を平易に刺激する力」と言うことかと考えています。これを砕いて表わせば、泣かせる力、笑わせる力、牽引力、同調力などが挙げられます。これは「韓流メソッド [その 2]」でも触れたように、韓流は視聴者の感情や心情を動かすことに長けているように思われるのです。「トンイ」はやはり、観る者の感情を揺さぶってくれるからおもしろいのです。感動があります。だから、3回も観ることになってしまうのです。
泣かせる力、笑わせる力については、説明不要でしょう。観て、感じて頂いた方が良いものと思います。牽引力とは、次どうなるのだろう?これどういうことなのだろう?と視聴者の興味を引っ張っていく力のことです。
興味の「牽引ネタ」とは
「トンイ」では、物語の進行に伴い、この興味を煽る「牽引ネタ」が幾つか出てきます。冒頭、重傷の大司憲が絶命寸前にトンイに見せる手信号がそれです。ここは推理小説のような展開です。その後、トンイがオクチョンと出会った際に、オクチョンが同じ手信号を行ないます。トンイが「このサインどういう意味だろう?」と思うわけですが、視聴者もこの謎を共有することになります。
ドラマの制作者が視聴者に興味の「牽引ネタ」を植え付けるわけです。視聴者は、そのわけ、その謎の意味を知りたいと思わされ、興味を醸成されます。しかし、この手信号の件は、ドラマの終盤にならないと明らかにされません。「トンイ」のストーリーを貫通する骨格に関わる意味合いを持つとともに、最も種明かしを遅らせる興味の「牽引ネタ」として位置づけられます。
ドラマは周到に、他にもこの興味の「牽引ネタ」をちらつかせます。トンイのお父さんの親友に左捕盗庁従事官ソ・ヨンギがいますが、お父さんは濡れ衣でこの親友の父親を殺したことにされ、ソ・ヨンギもそう思い込んでしまうという「牽引ネタ」が出てきます。視聴者は、ソ・ヨンギがトンイのお父さんを誤解している!とストレスを感じるわけです。制作者が視聴者の心理をそのようにコントロールしているのです。このストレスが大きいほど効果的ということであり、視聴者は、ソ・ヨンギが真実を知るのはいつだろう、と次のドラマ展開へ否応なしに牽引されることになります。
この興味を煽る「牽引ネタ」は幾つも出てきて、視聴者を飽きさせない効果を持ちます。あと、二つだけ紹介しておきましょう。
トンイが王様と初めて会った時、彼女は彼が王様であるとはわかっていません。それ故にトンイが王様に無礼をしてしまうというエピソードが続くのですが、視聴者は、トンイが王様と気がつくのはいつだろう、わかった時はどうなるのだろう?と興味をもたされ「牽引ネタ」を抱えることになります。
もう一つは、トンイが子供の時から知っていて、「チャンスにいさん」とまで呼ぶチャ・チャンスはトンイの父と兄が殺された時に、一緒に殺されたと彼女は思っています。しかし、彼が助かっていたと視聴者は知らされます。すると、視聴者はチャンスとトンイが再会するのはいつだろう?と興味の「牽引ネタ」を仕込まれることになります。
推理小説的手法?
このように興味の「牽引ネタ」は、文字通り視聴者の興味を引っ張っていく力となるものであり、ドラマの進行とは、つまりこの興味の「牽引ネタ」が解明されていくプロセス、と言うこともできるわけです。私は推理ドラマを仔細に分析したことはありませんが、推理ものは謎でドラマを牽引し、その進行が謎の解明の過程だとすれば、この意味で、「トンイ」は推理小説的手法を使っているのでしょうか。
しかし、推理ものとは、最後の最後にすべての謎が一気に、芋蔓式に解明されるもののような気がします(ここはちょっとよくわかりませんが)。
一方、「トンイ」では、仮に五つの「謎」=興味の「牽引ネタ」があるとすれば、一つ一つわかっていく、という展開になっています。私は「トンイ」を観ていて、すでに四つ解明されたから、残るはあと一つだな、もうそろそろ終わりだなと思って観ています。つまり、推理小説的仕掛けとは違うものがあるような気がしています。
では、いわゆる「伏線」か、と言えば違います。伏線は、後からあれが伏線だと気づかされるものですが、興味の「牽引ネタ」は視聴者に意識的に刻まれるからこそ意味を持ってくる性質のものです。例えばトンイが子供の時に、チャンスに「私はいつかチャンス兄さんのお嫁さんになる」と語る描写がありますが、この時点では明らかに伏線と言えます。しかし、ドラマの後半に至って、チャンスの気持ちを揺さぶる効果として用意されたものであることが、あとで視聴者に知らされます。伏線の要素というより、ずっとチャンスの気持ちを意識させる「牽引ネタ」という機能を持っています。
このように興味を誘う「牽引ネタ」があるからこそドラマに引き込まれてしまうことになるわけで、これは明らかにおもしろさの一つと言えるでしょう。
同調力とは
これは、登場人物に同調させ、共感させる力のことです。トンイは賤民という出自の設定から、それはすでに始まっていますが、ただの賤民ではない、という能力の持たせ方もそれに当たります。
私は「トンイ」を観ていて、彼女の能力が発揮され周囲が瞠目する場面をしみじみおもしろく思うと同時に、この間、自分がトンイにどんどん感情移入させられていることに気がつきます。ここは、理屈抜きにかなり説得力があると感じます。
死体検死人の父を持つ利発な娘は、まるで、名探偵のように、有能な刑事のように、真実をあばいていく展開を小気味良く感じない人はいないでしょう。周囲に自分が認められていくプロセスとは、世の中に自分が受け入れられていく過程であり、これは誰しものテーマであり、万人を共感させる要素と言えるかもしれません。トンイに関する「同調ネタ」は他にもいくつか出てきますが、ここは一つの事例で十分と思われます。
推理ドラマでは、シャーロック・ホームズにしろ、刑事コロンボにしろ、彼等の聡明さは確定していて、その能力によって謎解きがドラマを展開させるわけでそこがメインになります。しかし、「トンイ」の場合は、その手法が、ドラマ全体の枠組みの中で一要素として位置づけられる点に、新しさ、使いこなしがあるのではないか、と思われます。言い方を変えれば、時代劇の中に推理もの的要素を取り込み、それをうら若い賤民の女子にやらせてしまうところに爽快感が生まれると感じます。
ドラマの冒頭子供のトンイが村の徒競走で男のワルガキに勝ちます。しかし、女だからと負けにされます。賞品ももらえないのですが、トンイの知恵で賞品も取り戻し、同じ仲間の子供たちと分け合います。実は「トンイ」というドラマの全体像の縮図をイ・ビュンフン監督は、ここで見せてしまっているわけです。シンボリックに結論を提示していることになります。
こういう手法は、具体的な記憶は出てこないのですが、映画や小説であったかと思います。導入部で結末を暗示させてしまうのです。
あらためて美貌について
韓流ドラマで、明らかに日本のものとは違うと感じさせられることの一つに、美的価値への傾斜ぶりがあります。特に主人公となる女優のセレクトについては、目を見張ります。さらに、その女優の魅力を引き出すための役柄の与え方というか、カメラワークを超えてそのクローズアップのさせ方は、これはもう才能のレベルと感じられます。徹底度がマックスで、ふっ切れているのです。美という果実を200パーセント使い回し、存分に酔わせまくると言っていいでしょう。
しかし、ここで素敵過ぎる韓流女優を列挙することはやめておきましょう。その女優の魅力とは、そのドラマの中でこそ全開になることであり、
男優でも同じことが言えると思います。JKからおば様たちに至るまで、それは十分知悉していることでしょう。
このあたりで、私の韓流かぶれ振りも露になってきているかと思いますが、女優名とか、ドラマタイトルの列挙は避けるものの、一人だけ男優をあげて、そろそろおしまいにしたいと思います。
以下の引用は、3月にアップした私のブログ記事中からのものです。この男優は、男子から見ても魅力を感じさせられるタイプであり、最後はこれで締めくくりましょう。彼のお相手は、他ならぬ方です。
「・・・真っ先に韓国映画『ただ君だけ』を想起させます。物語における動物の使いかたの点においてです。『ただ君だけ』は、ハン・ヒョジュとソ・ジソブが演じる物語で、犬が二人にとって重要な役割を演じてくれるのです。ネタバレするような無粋な説明は避けますが、ぜひご覧いただくべくおすすめします。タイトルもすばらしい。(2020年秋、このドラマが日本版にリメイクされ公開されるようです。)」
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(初出2020.7.13)
付記
最後の引用をしたその夜、このドラマの予告がさっそくアップされてきました。吉高由里子と横浜流星で、10月下旬映画がスタートするようです。
日本版タイトル「きみの瞳が問いかけている」ときました。このタイトルは、果てしなくまどろっこしい。「ただ君だけ」は、このドラマの男性主人公のきっぱりとした男っぽいキャラを表わしている点が、いいと感じています。一方「きみの瞳が・・・」は、女性の顔色を伺うような煮え切らなさが見え、タイトルですでに負けているではありませんか。