佐久間宣行∞福留光帆
〈SungerBook-舌鼓14〉
「佐久間宣行のNOBROCK TV」で、「福留光帆のイライラ20」が配信されています。この企画では、ラランドのニシダを福留嬢が20回イライラさせる応酬が展開されます。実際には30回を軽く超えて結末に至るのですが、福留嬢が出演する、前の2回の企画とは趣きが違っています。「前の2回」とは下記①②のことであり、今回主に取り上げるのが③のことになります。
NOBROCK TVより
①アルコ&ピース VS 福留光帆 (大喜利)
②トンツカタン 森本 VS 福留光帆 (大喜利)
③ラランド ニシダ VS 福留光帆 (フリートーク)
レア漫才の出現
①アルピーと②森本の回については、「E.T.としての福留光帆」と「傑作が企画を超えるとき」とで拙稿をnote投稿済みです。最近私が観ることになった③ニシダとの回については、①②の続編ともいうべき動画で、つい観てしまいました。振り返ってみれば、もう10回はリピートしています。このことも①②と全く同じでこの中毒性には、まいってしまいます。このおもしろさはどこから来るものでしょうか。
率直に言って福留光帆の魅力に触れないわけにはいかないでしょう。クレバーな二十歳の娘が、プロ芸人を相手に、大喜利やトークで笑わせたり、
やり込めたりするのは、爽快でさえあります。
しかも、この元AKBのアイドルさんは、見た目とは違い中身はオヤジの感性がみなぎっています。このギャップがユニークなタレント性を紡ぎ出しているように思われます。何しろボートレースマニアとあって、半端ない入れ込みようを披露して憚りありません。彼女のファンは大半が男性だそうで、さもありなんと言う気がします。
今回のラランドのニシダとの対決は、前2回と少し違っていて、福留は企画趣旨を、あらかじめ佐久間PDからレクを受けます。このあたりも、彼女の飲み込みの良さを見せつける、佐久間との冒頭シーンが明確に表現されます。開始後福留へ、ニシダに対するコメントの指示が、イヤモニ等※で佐久間から為されることはありません。福留光帆が自ら発するニシダへのトークです。
ここは、前2回の企画が福留にとってのドッキリとして構成されたのとは異なっています。彼女は、相方に対する主導権をもたされた恰好になるわけです。一方、相方のニシダには事前に企画の趣旨は明かされません。この設定で、二人のセッションが始まります。この二人の進行に合わせて、随時、観戦する佐久間PDのコメントが入ります。これは前2回も同じですが、これはドッキリの仕掛けからくるものと思われますが、ドッキリとしての設定を明確にするために企画者の立場を視聴者に見せているのだと考えられます。機能的には、佐久間PDが大笑いすることが、目の前で展開する
トークショーの解説を担っていて、笑いを増幅する効果を持っているように見えます。
ここで是非お伝えすべきは、漫才のようなネタがあるわけではありません。ニシダとの挨拶早々、
福留から矢継ぎ早にツッコミが入ります。これに対し、ニシダは応戦に終始します。彼は、イライラさせられるわけですが、ここに笑いが生まれます。あらかじめ考えられたネタによって作られる準備された笑いではありません。福留とニシダとの応酬から醸し出されるアドリブの笑いなのです。できたて、新鮮、生まれたての笑いに、爆笑を誘われます。あらかじめ演者がネタを読み込んで覚えられたトークではありません。そもそも漫才ではないのですが、漫才に似た、かつ、漫才にはない、お笑い効果を発生させているのです。これを私は「レア漫才」と呼びたいわけです。
なお、進行の構成上、締め的な感じでワンポイントの大喜利も使われます。
大喜利との比較
しかし、ニシダ自身は佐久間PDの、演者へ背後から指示を出して喋らせる手法を知っていますし、福留とのやりとりとの最中で、そのことに気づいていることを思わせるコメントも実際に発せられる瞬間があります。ニシダは、福留の背後からトークサポートのある可能性を感じながら福留に対応していたように見えます。
前回の2回はあくまでも、大喜利というフレームがあって、その中で進行するわけですが、今回はそれがなく、その上で福留はニシダと戦闘しなければならない場面に立たされるわけです。大喜利なし、ネタなし、シナリオなしでの、いわばぶっつけ本番のようなものです。
しかし、芳紀二十歳元AKBは、次から次へニシダへ言葉のジャブを出しまくります。彼女はラランドのサーヤが好きらしいので、サーヤの活躍を見聞きする過程で、ニシダのことも熟知していたようです。
今回の場合、ラランドにおけるサーヤとの比較論を持ち出して、福留はニシダをいじります。特に彼女が天才サーヤと仰ぐその相方を、この春登場したての新人福留がプロのニシダを遠慮なくサンドバッグにします。コンビ芸人のニシダの最も痛いところを涼しい顔して、フック、ストレート、終盤に至ってはアッパーカットが決まったか、というほどのものもあります。
佐久間PDに企画趣旨を言い渡されたということは、何も遠慮することなくニシダをやり込めよう、と決めたに違いありません。この時、福留の胸中は、自分のスキルが佐久間に認められているんだ、という「お墨付き」をもらっているようなものです。ここ重要だと思います。
私が「E.T.としての福留光帆」で指摘したように、
当初彼女は自らの才能に無自覚だった可能性があります。彼女は、アルピーや、森本との動画を自分でも見たことでしょう。周囲が笑う効果を自分が紡ぎ出していることを、体得したのです。無自覚の才能の持ち主が、自らの才能を意識し出したものと思われます。
かつ、大好きなボートレース番組でも、らくらく
縦横無尽にコメントする経験もしながら、今回の
NOBROC TVの招聘は「やっぱり来たか」ぐらいの感じではなかったでしょうか。「待ってました!」とばかりに馳せ参じたに違いありません。
ボートレースの配信動画での、自分のセオリーの開陳は、コピーライター張りのフレーズ力を見せています。トークの応酬をしながら、今回ニシダのことを「足踏み系芸人」とまでまとめこんでくるので、われわれは才能の披露に立ち合います。
福留は、前回の大喜利の企画とは違っている分、別の演者を求められている点において、とともに、彼女自身のステップアップを経ているため、二重の意味で新たなステージに立っていると、私は感じています。
トーク・ボクシング
実際に動画中でもゴングが鳴って始まるのですが、開始直後からの福留のニシダに対するラッシュが凄まじい。これは、世界的実力のボクサーが軽やかなフットワークで臨戦する姿と同じです。
実力ある者が自らの実力を自覚することは、これほどストロングなことはありません。この時、彼女は女王の風格に溢れています。トークは寸断なく繰り出されていきます。
ここで、福留の攻めに対するニシダの応戦に目を移します。
大枠で捉えると福留が「ツッコミ」ニシダが「ボケ」というコントラストにはなるのでしょうが、仔細に見ると、ニシダの特性、力量が見えるような気がします。繰り出される軽やかなパンチの攻撃に、ニシダはイライラしながらカウンターで切り返す時もあるように見えますが、よくよく見るとニシダからの、逆ツッコミはそれほどないように思います。ニシダは目一杯応戦しているのですが、結局福留の掌の上で踊っている役を徹底して演じているように見えます。
私は、ここにニシダの人柄と才能の片鱗を見るのですがどうでしょうか?私は漫才を研究しているわけではないので、正しいかどうかはわかりませんが、一歩踏み込んでニシダを見ると、彼の応戦の中にボキャブラリーの豊かさを感じてしまいます。このことは、ネタありきの漫才とは異なり、追い込まれて生の人間が表出してしまっているという、「レア漫才」の特色ではないかと考えられます。
では、ニシダの特徴的なトークを見ていきます。
●部分がニシダのコメントです。( )内は補足的に私が言葉をあててみました。
●森本さんとのバディ感、というか…(出ているよ)
これは、冒頭ニシダが、福留の森本とのやりとりを観ているよ、というコメントの中で出てきたものです。この「バディ感」の表現は、始まってまもなくのアクセントになっています。ニシダが伝統的な芸人志向ではなく、新しいタイプの若い芸人と感じさせます。
●佐久間さんが裏で態度悪いみたいな…
福留が「サクッ…」の後、言い淀んだ隙を捉えて、ニシダが返したコメントです。これが上述の中で「演者へ背後から指示を出して喋らせる手法を知っていますし、福留とのやりとりとの最中で、そのことに気づいていることを思わせるコメント」と書いたそのことにあたります。
福留の虚を突いてニシダがジャブをかませた感じです。
●実家出禁になったんだぞ!
ニシダが福留に7年の浪人生活をさんざんおもちゃにされて返した、事実ネタですがこれはボケとして使っていると見ます。
ニシダがクリンチに持ち込んだという感じかと。
●アメリカ映画に(あるやつか?)
「お仕置きで車にロープつけられて引き釣り回される人」と、福留からニシダがけなされると、即座にアメリカ映画を持ち出すところが、ニシダらしいと思わせます。そういうシーンは、われわれも即絵が浮かぶのですが、しっかりアメリカ文化として認識している彼の把握力と、同時にそうコメントすることが福留のセンスをアップさせるに資しているように見えます。
これも、クリンチでしょうか。
●笑顔が腹立つ!
言葉と全く裏腹で、福留に対して腹を立てているのではなく、笑顔を評価してしまっている、私にはそう感じられます。男子のかわいいコに対する逆説のリアクション。
一見カウンターを放っているようですが、全く当たっていません。しかし、ニシダの心情をよく語っています。
●沙悟浄を連れてないだろッ。
福留がニシダを猪八戒とレッテル貼りしたことに対しての切り返しですが、半分福留に乗っかってのボケでしょう。
福留の攻めに、ついバックステップをとるニシダです。
福留が、ニシダを猪八戒に、サーヤを孫悟空に見立てたのは、うまい。(三蔵法師でも、よかったかも…)
●令和に売れたヤツの語彙ではないぞ!
ニシダの頭の毛が薄いとの指摘に対しての、ニシダの切り返しの逆ツッコミ。
これがニシダの一番ツッコミらしいツッコミかもしれません。果たしてニシダのボディストレートは福留をヒットしているでしょうか。
●スラムドック$ミリオネアではないから!
番組終盤の大喜利に移ってから、大喜利でもニシダが福留にいじられての切り返し。こういうイギリス映画ネタを咄嗟にだしてくるところが、ニシダの趣味とセンスを表していると感じます。
福留が知っているいないに関わらず、映画のボキャブラリーを振り回して、パンチは空を切っています。しかし、ニシダの語彙世界を披露して対抗する自負が感じられます。
●返す刀が強えぞ!!
さんざんボロクソに福留からツッコまれてきたニシダが「オレも結構売れてるぞ」と返すと、「相方のおかげでね!」と言われて、ニシダは頭にきたかのように、言うに事欠いて「返す刀が強えぞ!」と、声を張り上げます。ずっとサーヤに導かれてきたラランドのコンビ構造実態を福留にツッコまれて、このセッションのトピックの頂点に至ります。
●アメリカンジョークみたいな落とし方すんな!
福留に「家に鏡ないんですか?」とツッコまれて、ニシダが怒りを露わにしているようですが、
おしゃれな落とし方として脱帽してしまっています。これも、福留のセンスを上げてしまっている表現です。最後、佐久間PDが入って来て、ドクターストップがかかります。ニシダはダウン寸前というところでしょうか。
その時、佐久間PDからニシダへのドッキリが明かされると同時に、「言っておきますけど、これ指示なしですから」と告げられます。
ここでニシダが、福留が背後からの指示を受けてのトークだったと思っていたが故の、想像が打ち破られるマックスのサプライズに直面します。
びっくりしたように大声で
「指示なし?!…」
福留に
「お前、すごいな! すげえぞ!!」
最後の最後、ニシダが自分の大喜利を自己評価して「芸人は笑っている(おもしろがっている)」と言ったところを、福留が「鼻でね」と腐して、ほんとうに終了となります。
●(オレに)全部致命傷与えるなッ!(与えているよなッの意)
もう、ニシダは、ボクシングの終了ゴング後に、
また一発食らってしまったようです。
レア漫才の本質
福留とニシダとのやりとりのようすに、佐久間は「スイングしている」とコメントします。また、
「これは漫才じゃん」とも語ります。二人のトークボクシングの様子がおもしろく、躍動感に溢れているので、そんな言葉を口走ったのでしょう。トークの応酬リピートが活気づいていて、佐久間が期待以上の成果を感じているように思われます。
漫才の核心を二人の掛け合いに置いてみると、つまりツッコミとボケの応酬に置いた場合、ニシダのボケのスタンスが、そもそも漫才によくあるボケの型なのかどうかはわかりません。もとより私は漫才好きで福留とニシダを観ているわけではなく、そこを解明するために漫才一般を研究する気も起きません。
今回私はレア漫才に出合ってしまって、他のいわゆる漫才がくすんで感じられています。もともと漫才をよく知っていれば、ニシダのボケのスタンスの類型度合いがわかるのですが、よくあるパターンになっているかどうか、わかりません。というより、ニシダの応戦の型に新しさを感じるのですが、私が知らないだけで類型的なものなのかもしれず、そこを言い切れません。そうではなく、むしろ伝統的な芸人を志向していないように見えるニシダへの期待がある、と言った方がいいかもしれません。
今回、試しにラランドの漫才を聞いてみたし100ボケ100ツッコミも知っていますが、惹きつけられるものがありません。手のひらを返してニシダを下げているわけではなく、福留との場合との
根本的な差異を感じるのです。
ナイツがヤホーで出てきた時おもしろいと思いましたが、その時だけです。サンドウィッチマンも、今や仙台の看板タレントのもてはやされ様ですが、「ちょっと何言ってるかわかんない」ほど理解できません。自分のフォーマットにあぐらをかいてしまった途端、私には色褪せて見えます。ミルクボーイも「オカン」がどうした?でのバリエーションでしかないように見えます。
一つ思い出すのは、爆笑問題の漫才で、ある店で
脇役的に居た「どうでもいい女」が出てくるネタです。その「どうでもいい女」なのに、太田は、その女にどんどんスポットを当てて、トークしだすという、脇道に逸れていく感覚のまま、本道には戻らないという、不可思議な漫才があります。
リスナーは逸れている感覚をずっと引きずったまま、否応なしにその女の描写に聞き耳を立ててしまう、というシュールなものでした。何か前衛的な小説や、妖しい推理小説に接しているような感覚で、この感覚だけが残ると言う変わった漫才でした。太田の志向性と可能性を感じさせるものとして、刻まれています。
さて、福留とニシダ二人のボキャブラリーの応酬が、漫才のネタ作りから生まれるものではなく、フルスロットルの中からにじみ出てくる個性の核の、かすかに立ち昇る発砲の硝煙に、文学的匂いを嗅いでしまうのは、過剰反応でしょうか。
レア漫才の本質は、一回性です。再現不可能性です。もし、仮にそれを録音しておいて台本化し、それによって再現を試みることは可能ですが、それはただの漫才でしかありません。
この一回性の本質をもう少し別の側面から明らかにしてみたいと思います。
シンデレラデビュー
特に観ようとしていなくても、スマホにアルゴリズムであがってくるようです。佐久間氏のドッキリ企画、つまり板倉からイヤモニ等を使ってタレントに指示を送り、プロ芸人の反応をおもしろがる動画を観てみましたが、おもしろさの質が異なっています。この類の企画は、芸人タレント誰を持ってきても、やりようがあります。NOBROC TVの福留光帆の①アルピーとの回、②森本との回、そして③ニシダとの回には、それぞれのおもしろさ以外に、もっと大きなストーリーがあることにお気づきではないでしょうか。
そこに触れる前に、3回のそれぞれの違いを捉えておきます。
①アルピーとのセッション
これは、イヤモニ等関連設備の不都合でアルピーが背後の佐久間から大喜利回答のサポートが得られないという、アクシデントによるドッキリ(アルピーにとって)の構成です。また、福留にとっては、急に大喜利回答を振られるという、事前説明なしのドッキリとなっています。しかし、アルピーのあわてぶりとは対照的に、いきなり大喜利お題のトスが上げられても、福留がさりげなくアタックを決めてしまうというサプライズなのです。
佐久間PDは、福留の力量を感じていたから、この対決をセッティングしたと見ますが、想定を超える展開に、彼自身サプライズの渦中にあったのでしょう。自分が用意したとはいえ、福留の実力の冴えとその顕現を目のあたりできる場の到来に「何者かの力」を感じていたかもしれません。一方アルピーは彼らにとって、これこそドッキリを食らっている状態です。これが視聴者に丸見えになり、アルピーは丸裸にされたようなものです。最後、裏からセッションの場に佐久間が現れ状況をすべて理解したヒロインは思わず破顔し、うつむくようにします。サプライズを知って咄嗟に出たリアクションです。たぶん「あら、おもしろかったのね」と実感したことでしょう。
②森本とのセッション
森本は、福留に会う前に「相手は元AKBのニートだから」と佐久間に説明を受け、自分が一方的に芸人としてのパワーを発揮できる自信を表明します。番組足り得ずお蔵入りになるかも、と胸を張ります。しかし、始まってみると、福留の大喜利スマッシュに、タジタジとなるだけでなく、早々に白旗を掲げます。開始前から一転して、自分がピエロになることを決めたのかもしれません。
このセッションの場合は、佐久間PDは福留の大喜利力のテストの場と設定し、これを視聴者にも明らかにします。しかし、このことは、森本にも福留にも伏せています。本音では、森本が打ちのめされる展開を描いていたことでしょう。森本にとっては、福留のパワーの炸裂こそドッキリであり、佐久間は最後、「逸材確定」を言い渡します。PDは、福留と森本との勝敗が明白に浮き彫りにされ、自分の判断、作戦に満足したものと思われます。
③ニシダとのセッションの場合は、すでに仔細に検証済みですが、アルピーと森本の場合と異なり、視聴者にも、福留にも、ニシダは爪跡を残したと言えそうです。
私は、NOBROC TVの福留嬢の第3話をもって、自他ともに認めるタレント福留光帆デビュー、と言っていいと思います。①アルピーとの場合も、②森本との場合も、彼女はゲストです。③ニシダとの場合に至って、初めて彼女はホステスというポジションに立ちます。最早可能性のあるタレント候補としてではなく、プロのタレントとして佐久間PDからミッションを与えられたも同じです。
この時、ドッキリはニシダに対してセットされることで、バラエティーのおもしろさを獲得し、最後サプライズはニシダに与えられます。当然、福留には、①アルピーや②森本との場合のような驚くような新鮮なサプライズはなかったと思われるものの、「指示なし」に仰天するニシダの姿にホステスとしての使命完遂感はあったでしょう。
最近の動向では、彼女は漫才師でもめざすのか、というほどです。自分の可能性を認識しておもしろくてしようがないのでしょう。今回のニシダとのセッションが始まる前の、佐久間の福留へのレクの場面で、彼女の売れっ子ぶりを評して、佐久間PDはこう言います。
「こんなシンデレラストーリーあるか!」
実は、私にも福留光帆がシンデレラと見えています。メルヘンのシンデレラとは、魔法使いの魔法によって王子様と出逢うことになったシンデレラでしたが、魔法が効く時間が終わる頃に慌ててガラスの靴が脱げ、しかし、王子様がシンデレラを探し当てる決定打が、そのガラスの靴がぴったり合う女性だった、というお話です。
福留は、ガラスの靴を履かない限りただのニートに過ぎませんでした。そこを佐久間が連れ出してきて、視聴者にも見える化し(ガラスの靴を履かせ)、その才能を炸裂させる動画に仕立て上げる佐久間の力量がプレゼンテーションされます。3本の動画個々のおもしろさを通貫するリアルストーリーこそ、私に感動与えるサプライズです。つまり、福留はガラスの靴をきれいに履きこなす正にシンデレラだったのです。ドッキリはテクニックに過ぎずおかしみだけですが、シンデレラであることが証明されていくサプライズには華があります。蝶のサナギが羽化する瞬間をショー化してしまったのです。
佐久間PDは、福留光帆の可能性を見込んで、配信動画時代のシン、シンデレラストーリーを披露しているのです。
ゴッドダンとは
50年以上も前に「馬と呼ばれた男」という映画がありました。それにならって「神と呼ばれた男」とでも言いたくなる魔法使いとは、誰でしょう。
私は、PD佐久間宣行が福留光帆に魔法をかけた、と思っているわけではありません。私は、佐久間氏はむしろ、福留嬢にかかっていた魔法を解いた男と見ています。魔法を解くプロセスを、動画展開で、視聴者にプレゼンテーションしてくれるこのインパクトに、私は思わず「スピルバーグ佐久間」と呼びたいぐらいです。
①アルコ&ピースVS福留と、②森本VS福留の二つのセッションについて、私は「E.T.としての福留光帆」で触れましたが、彼女は子供の頃におじいちゃんから、あるインスパイアを受けたのです。何故そう言うかというと、彼女はコメントの中で「おじいちゃんが…」「お父さんが…」と頻繁に語ります。そのあたりのことをシンボリックに、あの指と指とのビジュアルに託しています。
あの瞬間におじいちゃんから光帆の資質が決定付けられたに違いありません。と、同時にその影響効果が、幼児、子供のうちに発露しては異常ですから、一定の年齢になるまで封印の魔術もかけられたのです。ボートレースへの熱情は、ある年齢で一気に憑かれたかのように奔流し始めます。
この時、自己表現に関わるスキルはまだ眠っていましたが、佐久間PDに大喜利の場の設定を与えられて、チョロチョロ雪解けし始めます。彼女の大喜利にアルピーの二人が目と耳を疑うリアクションを見せても、福留は、「え、そうなの?」「え、おもしろいの?」と、きわめて恬淡な表情を続けています。森本との回においては、雪解けがかなり進みます。セッション終了後、ミスターゴッドダンから「確定です」と説明されても、「オッズですか」という彼女のリアクションは、ボートレース以外の領域へ開眼する、魔法の封印解除が迫っている証左といえましょう。
もう、状況察知力や語彙力や表現力が、いわば半分むき出しになっています。そうして、ニシダとのセッションにおいては、福留光帆は、すっかりシンデレラとして登場するわけです。佐久間PDが王子様ということではありません。しかし、彼は自ら育て上げた娘を見る眼差しを注ぎます。
ちょっと考えればわかりますが、人間の女子をシンデレラに仕立てあげることは、人間にできることではありません。事実福留光帆をリアルにシンデレラにしてしまったわけです。これは人間技ではありません。これを「神技」と呼びます。シンデレラの誕生は、実は、それを成し遂げる存在の出現と一対のできごとだったとも言えましょう。
その意味で私の中から「神と呼ばれた男」(ゴッドダン)というフレーズは至って自然に湧き上がってきたものです。
よって私は、ここに「ゴッドダン」の称号を捧げ
るものです。
限りなく小説に近いリアル
最後に、蛇足と言うべき本音を一言。福留嬢の才能とニシダの才能の出合いという幸福な化学反応が引き起こした、爆レアなトピックが、単にレア漫才の誕生に終わらせるに忍びなく、また「シンデレラストーリー」に寄せる想いも捨てきれず、本稿「ゴッドダンとシンデレラ」が企画されました。
私は、三つの連作短編小説を読んでの余韻にひたっている気分です。①②③それぞれ個々の味わいがあって、最後は見事にそれぞれ個々に大団円に落とし込んでくれます。また、3篇を通じて、一人のうら若い女子が、プロとしてデビューを果たすまで、そのストーリーに立ち合います。おそらく、原石を発見した時点で、作者は傑作が書けると確信したことでしょう。表現方法は自家薬籠中のものだったはずです。よく磨き込んだスキルを自在に編んで、構成した流れに若い魚を解き放てば、あとは勢いよく泳ぎ回ってくれるだけです。
ここに起きているのは現実であり、「シンデレラ」の語彙だけがファンタジーの衣装をまとっているに過ぎません。★
※イヤモニ
イヤモニター、ワイヤレスイヤホン等、別室からPDや強力コメンテーターから演者へトーク指示を送る際に使われるツール。
(ミュージシャンのイヤモニは確認しましたが、本文中3本の動画内で私は具体的にイヤモニ等を視認または認知できていません。たぶん間違いないのでしょうが…)