創造の小径へ
〈SungerBook-キャッツアイ6〉
「文章を書いて生きています」というと「著述業で生活しているのですね」や、「生活のまにまに文章を書く趣味をお持ちなんですね」などという解釈の誤解は起きやすいところでしょう。いずれも「否」と申し上げます。そこをテーマとして叙述することが、この記事の目的であり、表現として完成させることが目標となります。
作家とは誰か
作家と言えば、もっとも典型的なものは小説家というところでしょうか。作家の近所には
エッセイストもいれば、コラムニストもあり、書評家もいて、評論家という存在もあります。放送の構成作家も作家であり、シナリオライター(脚本家)から、コントや漫才のネタを書く人も作家と呼ばれます。ノンフィクション作家というのもありました。
著述ということでは、本の形で出版して印税収入のある方が作家といえるでしょう。内容的には、文学関係が多くなると思いますが、
文学以外の専門分野での出版も数限りなくあります。その方たちは、作家というより、大学教授だったり、学者だったり、いわゆる専門家ということかと。一方構成作家は、作家と呼ばれても必ずしも出版とは関係ないところでの生計の成り立ちがあります。学者もそこは似ていて印税に重点はないかもしれません。そういう人々を別にすれば、基本文芸関係での出版著述で生活している人が、作家ということになりましょう。小説に限らずエッセイ、評論等、その表現内容は多岐に渡ります。
もちろん、二足のわらじを履いている方もあり、出版による収入の多寡だけが作家の条件というわけでもなさそうです。しかし、出版しているかどうかは大きい要素と思いますが、それは、マーケットとしての読者を持っているかと、編集者に認知されているか、の意味になると思います。その点では、賞の獲得が大きな契機になることは疑いのないところです。
では、自費出版の場合はどうでしょう。今や、自費出版でも作品を流通ルートに乗せることが可能になっています。理論的には、読者を獲得できさえすれば出版社での出版と変わらないことになります。これによって名前が知られれば、作家と言われることになるのでしょう。出版社からのオファーが入る可能性も出てきます。
しかし、自費ででも出版しようと思うのは、
職業作家になるためというより、作品化書籍化優先ということのような気がします。
一般的に「作家」とは自他ともに認めてこそ成立するのかもしれません。名刺に自分で作家と書いても、それは自称作家に過ぎないことは言うまでもありません。
趣味の向こう側
画家とは絵を描いてそれを買う人が付いて、画家といえるのでしょう。生活に資する職業が別にあってその合間にどんなにすばらしい絵を描いても、それは所謂趣味というものです。この場合も、画家に転進できる可能性はないとはいえないし、また、逆に自分で名刺に画家と印刷しても、画家とは言えないでしょう。絵の場合も、作家の場合と同じようにその作品でもって生活でき、自他ともに認めることになってこそ、趣味の絵描きではなく「画家」と呼べるように思えます。そもそも画家とは、絵の作家ではありました。
文章の出版に話をもどすと、インターネットの時代になり、ブログの世界が広まっています。書き手が自由に、自分の意見や主張を発表できる媒体を持つことができているのは、ご存知の通りです。もちろん、このnote然りのことです。
冒頭から縷々述べている作家形成論は、旧態依然の考え方であり、今の今、現実にどんな作家形成プロセスがあるのか、それを私は知りません。すでに、例えばnoteで大賞をとり作家デビューするようなことになっているのかもしれません。もちろん、ブログだけではなくYouTubeなどとの相乗効果により、想像を超える展開になっている可能性もあります。
ともあれ、私は文章での表現について申し上げています。若い頃から文章を書くことへの沈潜を望み、なんとなく作家に対する憧れはあり、文学賞への夢もありましたが、飛ばずじまいできています。noteの記事で「スキ」が何百も付いている方がいて、これには驚いてしまいます。これは、いわゆる才能なんだろうと見ています。詳細な分析はしていません。書く人の感性と読者の波長が同調しているのだろうと想像します。
noteに文章を書きインターネット媒体を通じて投稿を重ねても、「あの人の趣味ね」という受け止めが一般的なところかと思います。
人様がどう思うかはいいとして、問題は自分の側のことです。noteに有料記事を展開して
そこから作家になっているようなことは、すでにあるのかもしれません。リアル出版している教授がnoteで有料記事を展開している例も実際に見ています。しかし、今のところ私は記事の有料化を考えていません。さらにしかし、趣味として文章を書き、投稿発表しているのではない、と申し上げます。一般的、客観的に思われやすいこととは別に、自分の問題です。
文章を書く、表現を行なう、その行為と自分との関係性の問題になってくるだろうと思います。私はその辺りに自覚的でありたいので、こういうことを題材にして、対象化していますが、本当はこんなことを書かなくてもいいのです。溢れてくる表現の源泉の命ずるままに、具体的に「論」や「作」を発信すればいいわけです。しかし、パッと今想起してみるに、偉大な表現者たちはみんな個と表現に十分自覚的であった、と振り返ります。
川端康成にしろ、三島由紀夫にしろ、岡本太郎にしろ、横尾忠則氏にしろ、安藤忠雄氏にしろ。そのことはまた、表現の方法論に直結もしてきます。
生活は整っていて時間があって、その間のお楽しみとして文章を書く方もあるでしょう。
しかし、私はそんな安寧に自若としているわけではありません。「論」や「作」を積み上げる陶冶は、座禅のような修業と捉えています。その修練を通じて自己を高めることにつなげていきたいのです。禅僧のような信心にあふれたことを語っているのではなく、現実の生活では、ヅケヅケとした物言いで人を不快にさせる、愛想なし、失礼千万、ろくでなしを自覚しているからこそ、心頭滅却して滝に打たれるかのように制作に集中するという「文章道」です。そのように俯瞰で自分を位置づけておくということです。これは私の思想であり、哲学であり、宗教でもある、と言っておきましょう。
何故書くか
なんとなく作家を夢見てサラリーマン生活を過ごす時代は過去のものとなりました。所詮その程度のものだったのでしょう。しかし、
会社勤めの定年退職を経て、私のライフステージは明確になりました。生活レベルは確定してしまった、といっていいでしょう。同時に、将来を夢みるあの「未来」は、もうどこにもありません。「未来」の喪失と同時に、私の取り組みは明確になったといってもいいでしょう。期せずして、己れの生を突き詰めるべきステージがやってきました。
言い方を換えると、やりたいことがやれる時代になったということであり、それは時間があるから、余生を趣味で暮らすということではありません。「作家」という印税収入にはこだわらず、自分が追求するもの・ことを掘り下げたいということです。率直に言えば、
期せずして、生活実態の変化が表現行為に100パーセントのめり込める状態をもたらしたということでもあります。好きなことを趣味として、余生を過ごそうとは、対極のスタンスと言い切ります。ということは、印税生活を目標とはせず、内容的には作家同等のものを志向することと言えるかもしれません。
ここまでくると何故書くか、に行き着きます。答えるならば「そこに表現の山があるからだ」というのは半ば冗談ですが、オリジンの「そこに山があるからだ」を敷衍して形而上的な意味を籠めることもできそうです。しかし本文では、どちらかというと実直な路線でまとめようとしています。ですから、そちらを掘り進むのはやめておきましょう。
ここで、少しお笑い系のネタを通じて述べてみたいと思います。
鬼越トマホークのYouTubeチャンネルでピン芸人の永野の回がありました。そのなかで、
彼はサンドウィッチマンはもう終わっているといった趣旨の発言をしていました。もちろん、そういう表現は使っていませんが、漫才師としてかなりの成功を得て、そこでの安定飛行に入り、まったくつまらないことになっていると批判しているのです。ここは私の解釈も入っています。この意味を、私は作家が「なんとか賞」をとって、その路線のバリエーションを反復する怠惰と同じに受け止めています。そういう視点でサンドを見ると、確かに一定の成功に満足して、そこでの地位と、収入に沈んでしまっている姿は感じられます。そう指摘する永野は芸人批評家として冴えていると思います。この永野の話とは関係なく、私はサンドの同じフレーズのリピート等安直さに気づいていましたし、それなりには面白い程度で受け止めてはいます。そのわりには、宣伝等に引っ張りダコのようで、企業に担がれる分「大御所」感が鼻につくし、どんどん毒気は抜かれていると感じています。
今の時代企業に使われるとは、安全・無難ラベルを貼られたようなもので、芸そのものとは別に私生活も四六時中、清潔であり良識人であることを求められています。すべてが
「芸の肥やし」の時代は終わったのかもしれません。世のパラダイムは動いていくものだし、こういう時代が本当にいいかは疑問ですが、私としては永野が固執するものを、見過ごすわけにはいかないと考えています。
永野は芸人ですから笑いをとることが仕事ですが、その際何かを撃っているのだと思います。社会常識とか世間体とか、そこにとらわれず、そこを犯してでも「撃つ」ことで、己れのモチベーションと発想からの表現を志向しているのだと考えられます。そもそも、自分はそこから出発した、と原点を振り返っているのでしょう。サンドはその原点を忘れてしまったとディスっているのではないでしょうか。つまり、売れてしまったことと同時に何かを失っているという批評です。ここ、表現や、芸術を志向する世界と共通ではないかと、私には思われます。
そもそもは言いたいこと、放ちたいことがあったからそれをネタにしてきたのに、いつの間にか客に受けることを覚えてしまっていて、そこにはもう原初の自分はどこかに行ってしまっている、という感じでしょうか。毒づく笑いがいいというのではなく、芸人の、表現者の芯が抜かれてしまったのでしょうか。
作家は処女作に向かって成熟すると言われます。源泉の問題意識と撃たずにいられない衝動が作家を作家足らしめているのであり、それは正確な再現は別にして、中村光夫の言辞と記憶する「桶屋が桶屋であるように作家は作家ではない」という認識に通じるものとして、私の意識に沈殿しています。私は小説を特に志向するものではありませんが、ここは表現者の本質に触れている部分と考えています。自らの表現の完成によってしか、乗り越えられない何かがあるということです。
記事も撃たずば読まれまい
著述し出版するプロとしてではなく、noteを通じての記事においても、①まず、「撃つ」にはそれなりの威力としての「エモーション」や「批評」の表現がなければならないでしょう。②同時に、自明のことながら紙や書物を経由せずとも、媒体を通じて撃たれ放たれなければ、到達しようがありません。「撃つ」とはこの二つの意味において語っています。①を効果の面から強調すれば「打つ」でもいいのですが。
何故書くか、それは、掘り下げずともシンプルに表現の山があるからだ、と言い切ります。クリティカルな山は峻厳であるかもしれず、エモーショナルな山は美しい相貌を呈しているかもしれません。どこに書いてあったか、出典にたどり着けないのですが、ハイデガーが批評こそ創造の源泉といった意味合いを述べている、という記述に接しています。文脈では哲学的な構築の契機といったニュアンスだったかもしれません。
私の表現のモチベーションは二つに大別されます。クリティカルな疑問は評論的な文章への構築へと向かい、エーモショナルな懐胎はエッセイの海を泳ごうとします。後者の場合もう一つあって、ファンタジーなショートストーリーへ向かうこともあります。小説には固執していません。
「記事も撃たずば読まれまい」として、私は
親戚兄弟友人知人にもLINEでnoteを拡散しています。これは、どうしても「押し売り」の呈があって甚だ気が咎めるのですが、「ライン友の会便り 〇月号」などとして、投稿してしまっています。これは、ほぼ迷惑行為に匹敵すると思いますし、送りつけられた側の所感を思うと絶望的になります。何百人といる作家から、自らの興味と意志で選びに選んで入手した本でも、投げ出す場合があります。それを親戚兄弟友人知人といえど、人のスマホにいきなり何千字も文章を送りつけられて、それは「またか」で終わりでしょう。
自分の興味と絶縁した内容の文字を送りつけられたところで、迷惑千万かと思います。
しかし、そこは私は突破します。この世に自分が生を受けた爪痕として、主張する思想なのです。その思想臭ゆえに嫌がられることがあっても。
·······ここに至って私は高橋和巳「非の器」の冒頭直前の引用に思い至ります。
「罪人偈を説き閻魔(えんま)王を恨みて云えらく、何とて非の心ましまさずや、我は非(ひ)の器(うつわ)なり、我に於いて何ぞ御慈悲ましまさずやと。閻魔王答えて曰く、おのれと愛の羂(あみ)に誑(たぶら)かされ、悪行を作りて、いま悪行の報(むく)いを受くるなり。 ─ 源信『往生要集』」
私はどうしても良寛のようなすばらしい人間にはなれないという気がしています。人を傷つけてきたし、傷つけられてもきたと振り返っています。家人に、性格の悪さは折り紙をつけられています。自分のダークサイドと思っています。記事のLINE投稿など鼻摘みものでしょう。「何様、作家のつもり?」「何、意気がって!」そんなことでしかないことは想像がつきます。
鎌倉時代に 一遍が踊念仏で全国を回っても、鬱陶しく思った人々もいるでしょう。わかりませんが意に沿わない庶民は「変な人」と思ったことでしょう。三島由紀夫が市谷で若い盾の会隊員を道連れにしたことはどうなんだろう。白川静の研究に真っ向から学説的批判を浴びせる研究者もあるらしい。小松茂美は贈収賄の類で新聞に報じられた記事は、確かに目にしました。
これが私の考えるダークサイドです。私の尊敬する師にして、無色透明完璧な人間像は求めようもありません。
「記事も撃たずば読まれまい」は、私の思想であり、もはや哲学であり、宗教なのです。
創造の小径へ
かねてより「創造の小径」のタイトルに惹かれていました。そこには、論理的掘削や研究の突き詰めや表現探索等の紆余曲折、その邁進が確かなることを信じている詩があります。豊饒なるイメージが好ましい。
そもそもは1975年新潮社が発行した叢書のタイトルです。フランスやアメリカの著者による評論の翻訳で、ロジェ・カイヨワ、ロラン・バルト、ル・クレジオなど八人(出版年現在)が書いています。ちなみに図書館内で検索してみると、ロジェ・カイヨワの「石が書く」一冊しか置いていずあきれてしまいます。東北の政令都市の中央図書館にしてこのレベルです。2階3階4階が図書館、7階建ての建築物としては建築のノーベル賞と呼ばれる評価らしいのですが、音や声のノイズ対策視点なし、汚れやすいフロアカーペットの材質選択、安直な市民迎合ニーズ図書揃え等、残念と申し上げます。
逸れました。
今回「文章を書いて生きる」のタイトルで書き始めました。卒直な感じもいいのですが、
自分を昂揚させてくれるその魅力に抗うことはできません。noteネーム菅原和右衛門七十二歳、私は文章を書いて生きています。★
補遺
本文のような記事を書いていると、note社から関連する記事を送ってきます。その中で
著述者の表現について「ブロガー」ではなく
「noter」を試みる記述に出会いました。noteとブログを截然と峻別する意識は、noteのマーケティング的意味を超えて、時代の新たなムーブメントとしての広がりを感じさせる期待が広がります。しかし、本文中の私のスタンスに表われている通り、noteをひとつの媒体と捉える認識に拘っています。これは、昭和の文芸的意識の骨董品にも見えてきますか、今のところそれは時代を貫通するものを捉える考え方でいきたいと思います。今後、
「noter」や、別の新しい言い方の登場は、noteがどのような広がりを見せるのか、意外な拡張、出版界の新しいトレンドの匂いを感じさせるものがあります。