「上から目線」と文芸批評
〈SungerBook-舌鼓5〉
小説を読んだ時、特に文庫本の巻末には解説が載っていて、これが結構楽しみでした。
作家が構築した小説世界をどのように意義づけてくれるのか、自分の読解力では気がつかないどんな深い意味があるのか、自分がいいと思った箇所を解説者も取り上げるかなど、本文を肴にして、さらに味わい、楽しむ機会となったものです。小説のストーリーをなぞるだけの解説など読むに値しませんが、解説者がその程度のことしか書きようがなかったという意味では、本文の小説も押して知るべしでしょうか。
この「解説」とは、性格は異なるでしょうが、批評があります。文芸批評のことです。すぐれた批評は、またとない解説文となる、と言っていいかと考えられます。
文芸評論の極北
私は、中村光夫の「『金閣寺』について」を文芸評論の極北と思っています。 もちろん「金閣寺」は三島由紀夫の小説のことです。なんというか、要はおもしろいのですが「金閣寺」はすばらしいとか、感動した、とかは一言も言っていないわけです。しかし、作品を分解し、叙述していくその語り口が、どうみても小説本体に魅了されていて、その感興が批評のエネルギーを焚き付けている、という風に感じられるのです。そもそもつまらない作品を熱心に語る批評家はいないでしょう。
このような解説に出合うと、小説の凄さがわかるし、三島由紀夫の戦略を白日の下に晒してくれ、自分が小説を読んで得られる理解を大きく逸脱して、文学というものの本来の価値を体感することになります。
ところで、今何故三島由紀夫かと言えば、日本のことを考えれば三島に行きつく、ただそれだけです。三島由紀夫は日本なのです。
私達は、小説を読んで、おもしろければ笑い、切なければ泣き、感情が揺さぶられます。そういう意味での刺激を「金閣寺」から受けるでしょうか。少なくとも私はありません。いわゆるエンターテイメント小説のおもしろさはここにはないのですが、「幼時から父は、私によく、金閣のことを語った。」から始まり「・・・生きようと私は思った。」で結ぶ最後の一行に至るまで、格調高い美的な文体に引きずられ、作家が創造した建築物を一部屋一部屋辿っていくことになります。
有為子が死んで悲しいという感覚にはなりません。主人公が彼女に何をするわけでもありませんが、早朝、彼女を待ち伏せするシーンの、リアルな感覚、朝の空気、草いきれ、張り詰めた緊張感、主人公の鼓動など、映画のワンカットと言うべきか、印象派絵画の一幅と言うべきか、あざやかなイメージ。
「・・・私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。」
このような主人公の心理描写として語られる金閣寺という歴史的建造物との蜜月。それは、敵艦船に最期の一撃を加えるべく、自らの命ごとぶつかっていく、歴史的事実の重みを描く方法とは異なります。兵隊さんが護ってくれた日本に直面させることで感動を招くノンフィクション的文章とは、方法論の違いを超えた作家のサブスタンスが宿っていることとともに、私たちは三島のレトリックに、紛れもなく日本語の伝統美のただなかに存在する自分を見いだします。
作家と作品とは相関関係にあるものの、作品は作家の外部にあって対象化されています。書いた人による書かれた物として独立して存在しているとともに、作家の手の内にあります。一方、芸術と呼べる 作品の場合は、親と子の関係にも似て、作家が無意識でも子としての作品に、自分が反映してしまっているところがあります。それを書く蓋然性があって創作に及ぶ時、作家内においてはやむにやまれないモチベーションの高まりに動かされているわけで、その動機の形成を、作品から読み解く時、そこには動かし難い創造の精神の軌跡が現れます。それが、いわゆる作家論として導かれる批評になってきます。
批評家の仕事
中村光夫が「金閣寺」から三島の創作上の戦略とともに、この作品の限界点まで照射し、さらなる彼の可能性まで言及するのは、思いもかけぬ「上から目線」の指摘を受けた、と当人は感じることでしょう。中村光夫は、物腰は柔らかいが、指摘は相当に痛烈であり、内容的には「上から目線」といえるものになるでしょう。それが、批評家の仕事ではあります。
また、ストーリー展開自体が読者を刺激する構造とは違い、「金閣寺」は作家の文章表現力 ー 中村光夫がどこかで叙事詩 ー と指摘していたと思いますが、そのめくるめく表現に導かれて連れて行かれる時、私たちは、必ずしも作品の全容を理解しているわけではありません。それが「『金閣寺』について」のような上質の解説を得て、この作品がただならぬレベルのものであり、文学的なあまりに文学的な小説であるだけでなく、日本人による日本の芸術作品として屹立した存在であること、その価値証明として、その批評文も同等の極みにあると感じられます。
テーマ、ストーリー、表現方法、特に作家自身と作品対象との関係を構造化する、そこにある血であり、肉であり、取り換えの効かない一回限りの懐胎とでもいうべき達成。方法論自体が一回性を帯びていて、表現されたものと分ち難く結びついています。これこそ「金閣寺」が芸術であることを裏づけるものであり、バリエーションの利く凡百の小説と截然と区別するものです。
すぐれた批評・解説によって、私たちは、極北の文学の価値の全容を、初めて知りうることになります。このような批評家の機能は、品質証明発行人とでもいうべきでしょう。
特に中村光夫の場合は、文芸批評文に「です、ます調」を用いるという特色は有名です。初めて氏の文体に出合った時、極めて新鮮だったことを覚えています。「上から目線」的いい方で批評するのではなく、内容で勝負するとでもいうようなスタンスに、逆に自信を感じさせます。
「『金閣寺』ついて」の場合も、恐ろしいほどの深度で三島を批評的に分析しているところがあり、当然そこには「上から目線」的なトーンはないのですが、見抜いている指摘は、尋常ではありません。私たちは、一級品の小説を得て、併せてそれにふさわしい一級品の批評を得て、文学の好事家冥利に尽きると言えましょう。
中村光夫と並んで、江藤淳がこの「金閣寺」についてどう批評しているのか読んでみたいと思っています。お二人とも鬼籍に入られていることは、日本の文学にとって、由々しきことです。というより、もし現代におられても、その批評の俎上にのるに値する作品は、皆無でしょう。
大昔に江藤淳の講演を聴いた覚えがあります。テーマは「漱石とその時代」だったと記憶します。何せ江藤淳先生の真価を知る由もない頃のことであり、自分の動機も、講演内容も全く覚えていません。
文芸時評は、そもそも新聞紙上に掲載されてきました。そのときどきの発表小説に対して、リアルタイムに批評していくものです。文芸誌が自作を世に問う作家の発表の場であり、新聞に掲載される文芸時評は文芸評論家の檜舞台と言っていいでしょう。
江藤淳の「上から目線」
先般、江藤淳の大部な本としてまとめられた「全文芸時評」上・下二巻を、最寄りの図書館で借りることが叶い、思わぬ幸運が舞い込んできました。江藤淳は毎日新聞紙上に書いていたので、私は、その当時は江藤淳の批評には一切接してはいません。一読して圧倒されるのは、その「上から目線」ぶりです。批評の嵐に晒される作家の方はたまったものではないでしょう。
ところで、この「上から目線」についてですが、一般的には偉そうなもの言いをする人に対して使われます。端的には上位概念で下位概念を相対化してしまうことでしょう。
批評家の深い教養に基づいて、作家の作品を批評する時、それは高所から物申すことになります。小説創造にも戦略的な階層があって、戦術の良し悪しを言う前に、戦略レベルの観点から論じるそのことがすなわち「上から目線」を意味することになります。物言いの語り口の問題というより、戦略論の問題、それが文芸批評のクリエイティブな本質と言えるのではないでしょうか。
江藤淳の「全文芸時評 上」で「憂国」を扱っています。これを読んだ時、「作品を分解し、叙述していくその語り口が、どうみても小説本体に魅了されていて、その感興が批評のエネルギーを焚き付けている」という風に感じられました。中村光夫が「金閣寺」を評した時と全く同質の感触を得たのです。
当然に批評対象として他作家も取り扱っているのですが、この「憂国」の部分だけ文章が立ち上がってくる、と感じられたのです。これは文芸批評に接する醍醐味と言うべきでしょう。
因みに、江藤先生は、「この短篇はおそらく三島氏の数ある作品のなかでも秀作のひとつに数えられるものであろう。」と書いているぐらいです。しかし、その一方では「英霊の声」については、容赦なく酷評を浴びせている、という具合です。そんな「上から目線」の評論家江藤淳をして、評価を語らしめる小説作品は、燦然とした輝きを放ちます。小説を読んでおいしく、その批評を読んでおいしく、愉楽が二度訪れてくれることになります。
当代の文芸評論家と言えば、福田和也氏を真っ先にあげることに異論はないものと思います。かの江藤淳が見いだした方、と言っていいでしょう。文芸評論家としての該博さは、もはや泰斗であり、世の作家たちは恐れおののいているはずです。正確な文脈は忘れましたが、どこかで氏自身作家を抑圧すると言い放っています。
あの「作家の値うち」の著者です。発行は2000年に遡りますが、私自身はずっと気になっていたものの少し後になってから入手し読みました。何しろ執筆当時現存の作家100人について、その著作を批評した上で、百点満点で評価するという前代未聞の企画です。作家を萎縮させるには十分な効果を発揮したことでしょう。リアルタイムで文学界をフォローしていませんでしたので、どれだけ大騒ぎになったか知りませんが、反発した作家もあったことは、何かで目にしました。
私の印象としては、五木寛之氏などはショボショボの低得点だったのに対して、石原慎太郎氏などは高得点だったことが、思いだされます。石原氏は読んだことがありませんし、興味がありません。ですから福田先生が石原氏の作品を高評価する理由がわかりません。ただそれだけです。私たちは素人であり、専門家のように広く目配りする必要はありません。読みたいものだけ読めばいいのです。石原氏の政治家としての思想的スタンスは評価できるとは考えています。
剥奪すべきノーベル賞
大江健三郎氏については、福田氏は石原氏ほど高得点を付けていなかったと記憶します。しかし、2006年頃だったと思いますが、大江が中国共産党へ謝罪に行ったあのニュースを知った時は、正に開いた口がふさがりませんでした。勤務先で、大江を読んでいそうな人にそのことをどう思うか、と尋ねたことはよく覚えています。しかし、全く興味がないようで、話題は広がりませんでした。
この一事をもってノーベル賞は剥奪すべきだと思っています。日本文化の代表者の一人とも言うべき知識人が、わが国の歴史を汚すことに加担するとは、どういうことですか。もう一人、ノーベル文学賞をとりたくて右往左往している人がいます。この人も海外で、日本をディスるスタンスの発言をしています。どうも作家には、右往ではなく、左往したがる連中がいるようです。
話が逸れていますが、福田和也氏にお願いしたいのは、没後作家についての「作家の値うち」を著して頂きたいことです。三島由紀夫をどう論評するのか見ものです。また、一般読者の興味としては百田尚樹氏の作品に対する福田先生の分析を読ませてもらいたいと思います。百田氏が怒りのツイートをあげるのが目に見えるようです。そうです、「作家の値うち」は百田氏デビュー前の上梓だった訳で、だから載っていないのですね。
「作家の値うち」は、超「上から目線」の企画と言えましょう。しかし、福田氏にとって、今の文学界の活動には、抑圧に値する作品などない、という感じではないでしょうか。これは、文学のせいなのか、時代のせいなのか、作品の低迷を作家だけに帰せられないものがあるかもしれません。
批評家にとって「上から目線」は商売道具でしょうが、今の時代は批評に値する小説がないことが、批評家の刀を錆び付かせているかもしれません。
3年ぐらい前のこと、ニッポン放送の朝の番組に福田先生がゲスト出演した時のことです。福田氏は文学の専門家というより、一般的コメンテーターとしての出演です。確かに、スペース、ブランクが生じたのです。先生はラジオスタジオで朝寝されたことは、はっきりわかりました。垣花アナのコメントぶりからです。どうも飲み明かしてスタジオに入ったようなのです。那須恵理子部長の逆鱗ぶりが目に浮かぶようです。この後、同放送局からは呼ばれていないだろうと、推測しています。当代の、泣く子も黙る文芸批評家を無作為にさせてしまう、小説の不作は目も当てられません。
福田和也氏には、スタジオで、派手ないびきをオンエアしてほしかったと、思っています。★
(初出2020.6.1)