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ドラマ「未成年」最終回ー水無瀬の水が満ちる時ー

ytv未成年がとても良かった。
既に多くの方がこのドラマを賞賛していると思うが、私も最終回、更にアフターストーリーまで見届けてあらためてこの作品のドラマとしての良さを噛み締めている。
原作、脚本始めキャスト、演出、音楽全ての要素がまるでパズルのピースのように奇跡的にがっちりと噛み合っていて、全話を通して一枚の美しい絵を作りあげるように細部まで緻密に丁寧に作られた作品なのがよくわかったからだ。

ドラマ評も感想も考察も自分で書くのは得意ではないので上手い人の文章を読んで相乗りさせてもらうことの方が多いのだけれど、今回ばかりは自分に言えることを少しだけ書いてみようと思う。
そうさせる力がこのドラマにはあった。

ドラマ未成年では至るところで「水」の表現が効果的に用いられているのは言うまでもない。
水道、川、水槽、雨、海…
水無瀬と蛭川を取り巻くあらゆる水のモチーフには視聴者も敏感で、既にたくさんの考察や各々での意味づけが行われている。

そんな中で私が注目したのは、水無瀬の涙という要素だ。
涙って、言ったら体から出る水である。
こじつけかもしれないがこれだって水のモチーフの一つと言えないだろうか?

そして水無瀬という名前の持つ意味。
乾いて表面には水のない枯れた川ということだ。
でも地下には伏流がある。
古来、和歌などでは忍ぶ恋の例えに使われる言葉らしい。
水無瀬まんまじゃないか。

ドラマ序盤、他人への無関心からどこか冷たくさえ見えていた水無瀬の、湿った冷たさでなく乾いて冷めている感じとも合致する。

それに、確実に心を許し始めた4話以降何げない言動に現れていた蛭川への仄かに温かな気持ちや、大学生になって以降の煙草や酒や小説などの拗らせとも言える描写から推し量れる熱量からして、水無瀬という人物の中に流れている水は、実は決して冷たくはないということを視聴者は徐々に理解していったはずだ。

蛭川の手紙の言葉を目にして自分の「好き」も自覚し、ひと雫の涙を零して以来、水無瀬仁という人間の内側に確かにずっと底流していた蛭川への想い。
それがようやく表に清流となって湧き出たのが最終話冒頭のあの美しい涙だとするなら、このドラマ、作り方があまりにも優秀すぎないか。

ここまで2人を追ってきた視聴者ならばあの一筋の涙だけで、すでに万感のこもった「好き」が溢れていることに絶対に気がつくし、例えその時点の蛭川に涙のそこまでの意味が伝わるはずもないとわかっていてもなお、この場面が告白シーンと同等の重みがある場面だと誰もが理解できる。
なぜならそれだけの画の力があるから。

直前の「迎えに来たよ」からそれは始まっていて、アップになる蛭川の顔の美しいこと。顔面凶器と言われるだけある謙信くんの造形の良さもすごいが、何より表情が良すぎる。
水無瀬の頭を優しく撫でながら見つめるその眼差しに、呼びかける声音に、今に至るまでの水無瀬への深い思いが全て、出ている。

本人の気づかぬところでかかってしまった一本の電話で駆けつけてのただ文字通りの意味の「迎えに来たよ」でもありながら、蛭川の空白期間の過ごし方や水無瀬への思いも垣間見させてもらっている視聴者としてはどうしても、5年越しの思いの詰まった「迎えに来たよ」だと解釈したくなるに決まっている。
さりげない台詞のダブルミーニングの秀逸さもすごい。

再会までのすれ違いで散々焦らされて、駆け出す蛭川を期待を込めて見つめた9話終わりから繋がる大事な大事な冒頭。
泣いても笑ってももう最終話。再会できたら起こるはずの2人のあれもこれも、まだ何も見せてもらってない。
1話の中に全部詰めこんで、物語を締め括らなきゃならないのに。
絶対尺が足りないだろ、と誰もが思っていたであろう最終話の冒頭。

「迎えに来たよ」涙伝う。たったこれだけ。これだけで2人が今までどれほどお互いを思っていたか、痛いほど伝わる。
実質ここが物語の山場で、柴田監督のインタビューの言い回しを借りれば「もはや告白」シーンであるのは明白だ。

その説得力の根拠が「水無瀬の涙の美しさ」であり、そこに全てを託せる制作現場の肝の座りっぷりがもうあっぱれだし、期待に応えた本島純政(当時まだ未成年!)末恐ろしい…じゃなくて今後に期待しかない。

(何度か撮り直したというのを後で聞いて納得。やはりこの涙はそれほど重要で、妥協することなく美しい画にこだわって撮影してくれていたとわかって本当に嬉しかった)

何かもう始めのこの場面が良すぎた段階で、残りの展開にもある程度、謎に安心感というか余裕さえ生まれてしまう。
ここがあるから、その後の部屋での告白シーンのやり取りがシンプルでもいいのだ。

公園から家までのシーンの良さについては言わずもがな見どころしかなくて挙げきれないのでここではほぼ省略させてもらうが。
蛭川に飲ませてもらった水が呼び水になったかのようにその後もまたはらはらと涙を流す水無瀬もよかったし、覗き込んで話す蛭川に「蛭川のせい」と正面からぶっちぎったのを皮切りに、蛭川に対して思っていたことがポロポロと恨み言みたいにこぼれていくところも酔ってようやく本音を見せられているのすごくよかったし、とにかく水無瀬が終始可愛すぎて頭抱えましたよね。

で道すがらお互いに色々話して水無瀬の部屋で話がやっと現在に戻って。

今の蛭川には自分じゃない誰かがもういるんだろうという水無瀬への、考えた末の一足飛びの「キスしていい?」からの、半ば答えを確信しながらの「俺のこと好きなの?」

初視聴の時は予告のシーン来た来た〜!しか考えられなかったけど、じっくり見返すと、んもう〜この一連のやり取り、どんだけ行間あるんだよ!
これが国語の授業なら赤線と長い矢印と細かい字の書き込みで本文見えなくなるレベル。

そして満を持して3度目の登場のこの言葉に対する返答を全国いや世界の未成年ファンが固唾を飲んで見守っていたと思われる中(…なんか言い方苦笑。未成年を語る際には必ず前にドラマかytvをつけましょう!)蛭川の返しはとてもシンプル。
目を見ての2度頷き(ここ大事)とあまりにも素直な「うん」
…2文字。2文字でいいんですよ!皆さん‼︎泣
だって、みんな知ってるから!水無瀬本人もたぶんもうわかってるから。

(公園で『手紙に好きって書いたよね⁈』と自分で言ってたのも効いている。過去の手紙とはいえ蛭川からの気持ちがあったことをさらっと2人の共通認識にできたのは大きい。
後は、今どうか、それだけだから)

問題は水無瀬だ。
別れる前も別れてからもどこにも出せない思いをずっと1人で抱えて拗らせてた水無瀬。
返事の手紙が小説になるくらいの重い思い、いくら態度や表情に全部出ているとは言っても、今度こそちゃんとはっきりと自分の言葉で伝えなきゃいけないのはどっちかと言うと蛭川より水無瀬の方で。
頷いてくれた蛭川に今ならやっと、言えるよね。

「俺も好き。高校生の時も、今も。…好き」
こちらもまたこれ以上なくシンプルに、でも必要なことはストレートに伝わる言葉が水無瀬らしくて、伝える表情も最高だった。

好きなの?
うん。
俺も好き。

これだけで済むんやないかーい!泣
ここに至るまで一体何年かかったのか。
それもこれも全ては彼らが未熟な未成年だったせい(暴論)。
お互いへの思いを胸に、離れて過ごした日々でそれぞれ大人になって。
会えない間止まっていたように見えた2人の時間の流れの川も、水のない川が地下には豊かに水を蓄えているのと同じで思いを育み自身を成長させながら確かに流れていて今ようやく一つに合流したんだね…とポエム調になりたくもなる。

ようやく蛭川に気持ちを伝えられて、ここでちゃんと水無瀬からキスするのもそう、それで正解!と叫びそうでした、視聴初回。
ここはどうしたって水無瀬から行かないと。

そうして顔が離れた時の水無瀬の頬にま〜た涙が‼︎…これがもう、ダメ押しでしたね。
言葉よりも何よりも雄弁に、溢れた想いを伝える水無瀬の涙。
そのまま2人倒れ込む展開の早さもこれならまぁそうなるのも仕方ない、と思わず納得させられてしまうだけの力がある。

ていうか最終話、大事な場面での心情の伝え方、水無瀬の涙にめちゃくちゃ頼ってない?
短すぎるドラマの尺の中に詰め込みきれない言葉や背景にある想いを全部、涙で語らせてるよね??
それだけで伝わると演者の力を信じ、視聴者に解釈を委ねてくれる。
このドラマの制作陣のそういうとこ、ほんと大好き。

…少し熱くなりすぎました笑。
とにかく。

原作を読んでいないので、再会の前後に端折られたエピソードがどの程度あるのかは推測するしかないのだけど(既読組の呟きからしてまぁまぁありそう?)、ドラマの作りとしては潔く他を削ってでも 、大学生になった2人がお互いに今までを言葉にして振り返って、今の気持ちを伝えて恋愛的な結末に帰着するまでをしっかり尺を割いて描いてくれたのはやっぱり正解だったと思う。

10話完結という枠の中で、中盤は蛭川周りの大変なエピソードが物語を大きく動かしながら結果的に水無瀬との関わりを経て成長していく蛭川という人物の魅力が浮き彫りになる描き方だったから、最後はずっと孤独なストーリーテラー(語り手)でもあった主人公水無瀬という人物にじっくりスポットライトを当てて、蛭川と対峙した時に起こる内面の変化を全部見せて欲しかったというのもある。

だから最終話、ありったけの心情を詰め込んだ美しい涙を何度も映すことでやっぱり言葉でも画的にも水無瀬に語らせてきたな、と勝手に受け取って1人で大納得しているのだけれどそれにしても私はなんでこんな作り手側の目線でドラマ見てるんだ?笑
いや単にそれだけドラマの作り方が上手いってことなんだけど。素人目にもわかる良さがたくさんあるよね、ドラマ未成年。

さぁいつの間にかこんなに長々と最終話について(涙という水の表現について)語ってしまっていたけど、実はもうひとつ語りたかったテーマがあって、それについてはまだ何にも語れてないという笑。

水の表現が全編に渡って印象的なこのドラマだけど、最終回とアフターストーリーを見て私がちょっと気になってきたのは「熱の表現」。
お風呂シーンやラストの花火から蛭川が水無瀬に伝えた言葉の内容とか、その辺りから感じたことを少し書いてみたかったんだった。

アフターストーリーが思った以上に見た後に重さがずんと残る作りだったせいか、まだあまりうまく言葉にまとまってないんだけど、もう少し見直して整理できたらまた少し語りたいかも、です。
では半端になりましたが、ここまで読んでくださった方、ありがとうございました!

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