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日記って素晴らしい媒体かもしれない。
普段書かない、というかあまり気にも留めないことも文章にできるよなあとつくづく感じている。
会社の最寄り駅前の交差点でいつもすれ違う男がいる。信号なんてなんてそのおじさんと名付けた。
いつも薄いシャツ一枚を前少しはだけさせながら着ていて、暑そうにスタスタと歩いてくる。
彼が止まっているのを見たことがない。信号が赤でも構わずスタスタと歩いていく。止まるそぶりすら見せない。
そんな信号なんてなんてそのおじさんのついて書こうとすら思ったことないのだが日記なら書ける。信号なんてなんてそのおじさんも鹿のように走る女子もいる。だけど特に書くこともないな。

今日は学校でめっちゃ気持ち良い鍼をうってもらった。最高の気分である。
笑いの方法あるいはニコライゴーゴリを読んでる。

後藤明生がニコライゴーゴリの芝居のはねって戯曲を喜劇論として捉えてるのだけど、何故戯曲かって着目が面白い。後藤明生のとっての戯曲とは会話であり問答であった。
挟み撃ちからしばらくして、後藤明生は小説の中で問答をよくするようになる。
つまり後藤明生の小説はほぼ戯曲と言っても過言ではないと思う、いや過言か。



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