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「パン裂き」にある5つの確認と5つの益


5つの確認

①神が「人となられた」ことを覚える


神が、人と同じようになられた。これは、無限を有限に、永遠を時間に、収めることであり、創造主が被造物と成られたことであり、私たちの理解を超える。
 
@創世記21:33 協共訳
アブラハムはベエル・シェバに一本のタマリスクの木を植え、そこで永遠の神、主の名を呼んだ。
*「永遠の神/エル・オラム」:時空間を超えた領域の神
 
@ピリピ2:6-12 協共訳
キリストは/神の形でありながら/神と等しくあることに固執しようとは思わずかえって自分を無にして/僕の形をとり/人間と同じ者になられました。/人間の姿で現れへりくだって、死に至るまで/それも十字架の死に至るまで/従順でした。このため、神はキリストを高く上げ/あらゆる名にまさる名を/お与えになりました。それは、イエスの御名によって/天上のもの、地上のもの、地下のものすべてが/膝をかがめすべての舌が/「イエス・キリストは主である」と告白して/父なる神が崇められるためです。
 

②神が「人を経験された」ことを覚える


神が、人として地上を歩まれた。無力な赤子として生まれ、両親の権威に従い、人として肉体の痛み、精神の痛みを味わい、様々な誘惑に会い、「人」を経験された。故に、罪人の弁護者となってくださる。
 
@へブル4:14-16 協共訳
さて、私たちには、もろもろの天を通って来られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、信仰の告白をしっかり保とうではありませんか。
この大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではなく、罪は犯されなかったが、あらゆる点で同じように試練に遭われたのです。
それゆえ、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜に適った助けを受けるために、堂々と恵みの座に近づこうではありませんか。
 
@Ⅰヨハネ2:1ー2 協共訳
私の子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、私たちには御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます。
この方こそ、私たちの罪、いや、私たちの罪だけではなく、全世界の罪のための宥めの献げ物です。
 

③イエスの「傷」を覚える


イエスは、私たちのために傷を受けられた。
頭にはイバラの冠(@マルコ15:17)、背中には鞭打ち(@マルコ15:15)、
手足には釘(@ヨハネ20:25)、脇腹には槍(@ヨハネ19:34)。
 
その傷の故に私たちはいやされた。
 
@Ⅰペテロ 2:22-24 協共訳
「この方は罪を犯さず/その口には偽りがなかった。」
罵られても、罵り返さず、苦しめられても脅すことをせず、正しく裁かれる方に委ねておられました。
そして自ら、私たちの罪を十字架の上で、その身に負ってくださいました。私たちが罪に死に、義に生きるためです。この方の打ち傷によって、あなたがたは癒やされたのです。
 
 

④「流された血」を覚える


罪の代償として、血が流されなければならない。
これは神の定めであり、創世記3:20から表されている「購い」。
 
@レビ記  17:11
肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。
 
 @ヘブル 9:22 協共訳
こうして、律法によれば、ほとんどすべてのものが血で清められます。血を流すことなしには赦しはありえないのです。
 
 @Ⅰヨハネ1:7 協共訳
しかし、神が光の中におられるように、私たちが光の中を歩むなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血によってあらゆる罪から清められます。
 
 

⑤主の死を告げる


@Ⅰコリント11:26 協共訳
だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。(「宣告」また「宣言」)
 
@Ⅰコリント15:3-5 協共訳
最も大切なこととして私があなたがたに伝えたのは、私も受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおり私たちの罪のために死んだこと、
葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、
ケファに現れ、それから十二人に現れたことです。
 
 

5つの益


この記念の「パン裂き」を持つ毎に、私たちは、主イエスを思い起こす。
その結果、私たちはどのような益を得るだろうか。
 

①世との分離


私たちは、血によって購われた存在であるが、「肉」(魂+体)に従ってしまいやすく、世と妥協した歩みをしてしまう。私たちが記念の食卓を持つときに、主の血潮の贖いを思い起こし、世の罪悪と共調することはできなくなる。
 
@ローマ 12:2 協共訳
こういうわけで、きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたの理に適った礼拝です。
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を造り変えていただき、何が神の御心であるのか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるのかをわきまえるようになりなさい。
 
@Ⅰヨハネ 2:15-17 協共訳
世も世にあるものも、愛してはなりません。世を愛する人がいれば、御父の愛はその人の内にありません。
すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、見栄を張った生活は、御父から出たものではなく、世から出たものだからです。
世も、世の欲も、過ぎ去ります。しかし、神の御心を行う者は、永遠にとどまります。
 

②受け入れ


ともに食卓に預かるとき、互いが同じ主に購われたものであることを思い起こす。
 
@ローマ 15:5-7 協共訳
忍耐と慰めの源である神が、あなたがたに、キリスト・イエスに倣って互いに同じ思いを抱かせ、
心を合わせ、声をそろえて、私たちの主イエス・キリストの父なる神を崇めさせてくださいますように。
だから、神の栄光のためにキリストがあなたがたを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに相手を受け入れなさい。
 
@コロサイ 3:12-14 協共訳
ですから、あなたがたは神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。
互いに耐え忍び、不満を抱くことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。
さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。
 
@Ⅰコリント12:12、27 協共訳
12:体は一つでも、多くの部分から成り、体のすべての部分は多くても、体は一つであるように、キリストの場合も同様です。
27:あなたがたはキリストの体であり、一人一人はその部分です。


③イスラエル背景の回復


聖書は、イスラエル民族の歴史背景において書かれており、それを知ることにより、御言葉の理解が進む。
 
@ヨハネ伝4:22-23 恊共訳
あなたがたは知らないものを礼拝しているが、私たちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
 
@エぺソ 2:11-13 協共訳
だから、心に留めておきなさい。あなたがたは以前は肉において異邦人であり、いわゆる手による割礼を身に受けている人々からは、割礼のない者と呼ばれていました。
その時、あなたがたはキリストなしに生き、イスラエルの国籍とは無縁で、約束の契約についてはよそ者で、世にあって希望を持たず、神もなく生きていました。
しかし、以前はそのように遠く離れていたあなたがたは、今、キリスト・イエスにあって、キリストの血によって近い者となりました。


 

 ④十字架の想起


この食卓は、主イエスの「死」を宣言する。それはたった一度の十字架での「死」であり、その向こうには「復活」がある。主の「死」を宣言するとき、それは「十字架」を指し示し、「復活」に導く。
 
@ガラテヤ 2:19-20 協共訳
私は神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストと共に十字架につけられました。生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。私が今、肉において生きているのは、私を愛し、私のためにご自身を献げられた神の子の真実によるものです。
 
@コロサイ2:13 協共訳
あなたがたは、洗礼(バプテスマ)によってキリストと共に葬られ、キリストを死者の中から復活させた神の力を信じて、キリストと共に復活させられたのです。
 
 

⑤再臨の希望

@使徒 1:10-11 協共訳
イエスが昇って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い衣を着た二人の人がそばに立って、言った。
「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたを離れて天に上げられたイエスは、天に昇って行くのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またお出でになる。」


@ピリピ 3:20ー21 協共訳
しかし、私たちの国籍は天にあります。そこから、救い主である主イエス・キリストが来られるのを、私たちは待ち望んでいます。
キリストは、万物を支配下に置くことさえできる力によって、私たちの卑しい体を、ご自身の栄光の体と同じ形に変えてくださるのです。
 
@ユダ 1:14-15 協共訳 
アダムから七代目のエノクも、彼らについてこう預言しました。「見よ、主は幾万の聖なる者たちを引き連れて来られる。
すべての人に裁きを行うため、神を畏れぬ者たちが犯したすべての不敬虔な行いと、不敬虔な罪人が主に対して口にしたすべての暴言とを罪に定めるためである。」



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