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油注ぎは「任職」

キリストは「油注がれた者」

旧約聖書の時代には、イスラエルの「王」「祭司」「預言者」という神が任命する職務に就く際に、油を注がれる、塗られる、という行為が起こなわれていました。


@出エジプト30:30 聖書協会・共同訳
出 30:30 アロンとその子らに油を注いで聖別し、祭司として私に仕えさせなさい。

@Ⅰ列王 聖書協会・共同訳
列上 19:15 主はエリヤに言われた。「来た道を引き返し、ダマスコの荒れ野に向かいなさい。そこに着いたら、ハザエルに油を注いで彼をアラムの王としなさい。
列上 19:16 また、ニムシの子イエフに油を注いで、イスラエルの王としなさい。さらに、アベル・メホラ出身のシャファトの子エリシャに油を注ぎ、あなたに代わる預言者としなさい。

@Ⅰサムエル 聖書協会・共同訳
サム上 10:1 サムエルは油の小壺を取り、サウルの頭に油を注ぎ、口づけして言った。「主があなたに油を注ぎ、ご自分の民の指導者とされたのです。

@Ⅰサムエル 聖書協会・共同訳
サム上 16:13 サムエルは油の入った角を取り、兄弟たちの真ん中で彼に油を注いだ。この日以来、主の霊が激しくダビデに降るようになった。サムエルは立ってラマに帰った。


これら「王」「祭司」「預言者」の働きは、やがてこられる「救い主」を予表している。
「救い主」という言葉の実際の意味は、油注がれた者。
ヘブル語ではマシアハ、いわゆるメシア。
ギリシャ語ではクリストス、いわゆるキリスト。


キリスト者とは「キリスト」を内在している存在

イエス・キリストは、創造主ヤハウェの第二位格である「子」が、肉体を取られた存在。彼は復活の後に昇天し、今なお人として天の御座についておられる。

そして同時に「いのちを与える霊」として、キリスト者の内におられる。

@Ⅰコリント15:45 聖書協会・共同訳
1コリ 15:45 聖書に「最初の人アダムは生きる者となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となりました。
*最初の人アダムは「生きる魂」となった、が原語の意味


「最後のアダム」はイエス・キリストであり、イエス・キリストは復活の後、弟子たちに息を吹きいれて、彼はご自身の霊を与えられた。

これは、ご自身が創造主ヤハウェであることの表明であり、創造の再現。
これにより人は新創造とされる。

@創世記2:7 聖書協会・共同訳
創 2:7 神である主は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き込まれた。人はこうして生きる者となった。
*最初の人アダムは「生きる魂」となった、が原語の意味

@ヨハネ20:21ー22 聖書協会・共同訳 
ヨハ 20:21 イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父が私をお遣わしになったように、私もあなたがたを遣わす。」
ヨハ 20:22 そう言ってから、彼らに息を吹きかけて言われた。
「聖霊を受けなさい。

@ガラテヤ6:15 聖書協会・共同訳
ガラ 6:15 割礼の有無は問題ではなく、大事なのは、新しく造られることです。
*新しく造られること ⇒ 新創造、新生命体


キリスト者は、すべからくイエス・キリストの霊を内在している。

@ローマ8:9 聖書協会・共同訳
ロマ 8:9 しかし、神の霊があなたがたの内に宿っているなら、あなたがたは肉の内にではなく、霊の内にあります。キリストの霊を持たない者は、キリストに属していません。

その霊のゆえに、キリスト者は彼と一体となっている。

@Ⅰヨハネ4:13 聖書協会・共同訳
1ヨハ 4:13 神は私たちにご自分の霊を分け与えてくださいました。これによって、私たちが神の内にとどまり、神が私たちの内にとどまってくださることが分かります。

@エペソ5:30 KJV 訳
私たちはキリストの体の肢体であり、彼の肉、彼の骨である。


キリスト者は、イエス・キリストの内にある存在であり、彼の受けた油注ぎの下にあり、それにより世から分離している。



新約の油注ぎ

新約においては、聖霊のバプテスマ。
これにより、王の祭司、としての働きが始まる。

@使徒2:14‐17 聖書協会・共同訳 
使徒 2:14 そこで、ペトロが十一人と共に立って、声を張り上げ、話し始めた。「ユダヤの方々、またエルサレムに住むすべての人たち、知っていただきたいことがあります。私の言葉に耳を傾けてください。
使徒 2:15 今は朝の九時ですから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではありません。
使徒 2:16 そうではなく、これこそ預言者ヨエルを通して言われていたことなのです。
使徒 2:17 『神は言われる。/終わりの日に/私は、すべての肉なる者にわが霊を注ぐ。/あなたがたの息子や娘は預言し/若者は幻を見、老人は夢を見る。


@使徒2:32ー33 聖書協会・共同訳
使徒 2:32 神はこのイエスを復活させられたのです。私たちは皆、そのことの証人です。
使徒 2:33 それで、イエスは神の右に上げられ、約束された聖霊を御父から受けて注いでくださいました。あなたがたは、今このことを見聞きしているのです。


@Ⅰペテロ2:9 聖書協会・共同訳 
1ペト 2:9 しかし、あなたがたは、選ばれた民、王の祭司、聖なる国民、神のものとなった民です。それは、あなたがたを闇の中から驚くべき光の中へと招き入れてくださった方の力ある顕現を、あなたがたが広く伝えるためです。

聖霊のバプテスマを受けたキリスト者は、任職されている。


メシアの型、予表であるダビデは、三度、油注ぎを受けている。
少年時代にサムエルから油を注がれ(Ⅰサムエル16:13)、ユダの家の王として油を注がれ(Ⅱサムエル2:4)、またイスラエルの王として油注がれた(Ⅱサムエル5:3)。

これは、任職の召し、公の召し、公の任職、であり、三重のバプテスマの型、予表となっている。



旧約思考のアブラソソギ

聖霊派の一部で見うけられる、誰か個人がアブラソソギを受けたとか、あのボクシは油そそがれた器、とか、そういったものは旧約的な認識。

新約の現代において、キリスト者はエクレシアであり、油注ぎの実体であるイエス・キリストの肢体とされているゆえに、特定の個人への油注ぎはない。それは、別のキリスト、別のメシア、ということになる。


聖霊のバプテスマを受けながらも

聖霊のバプテスマが新約における任職でありながら、聖霊のバプテスマを教え、また実践するクリスチャンにおいても、問題が多いのはなぜか。

理由は、思考が汚染されているから。

@使徒1:3ー5 聖書協会・共同訳 
使徒 1:3 イエスは苦難を受けた後、ご自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。
使徒 1:4 そして、食事を共にしているとき、彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れず、私から聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。
使徒 1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、あなたがたは間もなく聖霊によってバプテスマを受けるからである。」
*聖霊によって ⇒ 聖霊の中で

小羊の12使徒は、生まれながらのユダヤ人であり、創造主ヤハウェを認める世界観で生きてきた。
彼らは、イエスの公生涯の証人であり、イエスのことばを聞き、業を見、実際にイエスを知っていた。
彼らは復活のイエスに会い、神の国(神の統治)について、教えられていた。
そのうえで、聖霊を受けている。


現代の日本のクリスチャンの多くは、ヤハウェを認めない世界観の社会に生まれ、義務教育で進化論教育を受け、子供のころからオカルト的娯楽作品に触れて成長しており、思考が汚されている。
そして、その自覚は希薄。
聖書は翻訳文でしか読むことができず、聖書を自己中心の視点で読み、日本的自己卑下により無意識に御言葉を否定し、宗教キリスト教の枠組みで、聖書を読解しようと試みている。
聖霊のバプテスマを受けただけでは、これらの思考は変わらない。


自分の出自が異教的世界観の社会であることを自覚して、宗教キリスト教のイロメガネを外して、聖書を読み、理解していくことが求められる。


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