「霊・魂・体」の救い
「救い」とは
ギリシャ語「sozo」は、救い、癒し、解放、などを意味しており、原語では111回記述される。
@マタイ1:21
マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
@ルカ6:9
イエスは言われた。「あなたがたに尋ねるが、安息日に許されているのは、善を行うことか、悪を行うことか。命を救うことか、滅ぼすことか。」
@啓示録21:24TR
救われた諸国の民は、都の光の中を歩き、地上の王たちは、自分たちの栄光を携えて都に来る。
ギリシャ語「soteria」は、救い、救出、救助、解放、などを意味しており、原語では45回記述される。
@マルコ5:28TR
「せめて、この方の衣にでも触れれば救っていただける」と言っていたからである。
@マルコ5:34
イエスは言われた。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。病苦から解放されて、達者でいなさい。」
@啓示録19:1
その後、私は、大群衆のどよめきのようなものが、天でこう言うのを聞いた。「ハレルヤ。救いと栄光と力は、私たちの神のもの。
ギリシャ語「rhuomai」は、「ある場所から引き取り、自分の方に引き出す」、という意味で、原語では18回記述される。
@マタイ6:13
私たちを試みに遭わせず、悪からお救いください。
@コロサイ1:13
御父は、私たちを闇の力から救い出して、その愛する御子の支配下へと移してくださいました。
@Ⅱペテロ2:9
主は、敬虔な人々を試練から救い出す一方、正しくない者たちを、裁きの日まで懲らしめのもとに置くことを心得ておられるのです。
これらの聖書の提示する「救い」とは、解放、健康、保護、など色々な意味があり、それらの意味を総合すると「すべての危険からの脱出、すべての欠乏からの解放」として、表現できる。
人は、創世記の記述にあるように、「神のかたち」に造られている。
神の御名(単数形)が「父、子、霊」であるように(マタイ伝28:19)、三位一体の「神のかたち」に造られた人は、「霊・魂・体」によって構成されており(Ⅰテサ5:23)、「救い」もそれぞれの構成部分に備えられている。
幕屋との対比
「幕屋」の構造「至聖所、聖所、大庭」と「霊、魂、体」は対比させて考えることができる。
イエスは、ヨハネ伝1:14「幕屋を張られた/住まわれた」と記述されている。
ペテロは、Ⅱペテロ1:13「地上の幕屋にいる間」、同14「幕屋を脱ぎ捨てる」、パウロは、Ⅱコリント5:1-4「住まいである幕屋」として、人の存在を「幕屋」として表現している。
人の「霊・魂・身体」の構造は、「幕屋」の「至聖所・聖所・庭」にそれぞれ該当しており、「霊=至聖所」、「魂=聖所」、「身体=庭」として、考察することができる。
霊と魂
多くの「キリスト教の会」では、霊と魂を同義語と考えているが、新約聖書は、霊と魂を区別している。
@Ⅰテサロニケ5:23
あなたがたの霊と魂と体とを完全に守り…
@へブル4:12
神の言葉は生きていて、力があり、いかなる両刃の剣より鋭く、魂と霊、関節と骨髄とを切り離すまでに…
@Ⅰコリント5:5
このような者を、その肉が滅ぼされるようにサタンに引き渡したのです。それは、主の日に彼の霊が救われるためです。
@Ⅰペテロ1:9
それは、あなたがたが信仰の目標である魂の救いを得ているからです。
霊と魂の違いについてはコチラを。
霊の救い
この救いは「罪の刑罰からの救い」であり、地獄(ゲヘナ、火の池、第二の死)からの救いを意味する。
(ヨハネ伝3:16、ヨハネ5:24、ローマ6:23、黙示録20:15)
この救いは、恵みと信仰による。(ローマ10:9-10、エペソ2:8)
この救いは、聖霊による「キリストの御身体に属するバプテスマ」を受けることで与えられる。(Ⅰコリント12:13)
この救いは、人の「霊」に「キリストの霊/御子の霊」が内住することで与えられる。(ローマ8:9)
この救いは、いのちの水が湧き出る泉となる。(ヨハネ伝4:14)
この救いは、イエスの血が、御父に対して証をする。
(ルカ22:20、へブル9:11-12)
この救いは、神の息子(相続人)としての立場を与える。
(ヨハネ伝1:12、ローマ8:14-17、ガラテヤ4:6)
この救いは、モーセの「幕屋」に表された「至聖所」が雛型。
そこには「契約の箱」があり、それが示すものはすべてが「キリスト」。
そこに年に一度入ることができる大祭司も「キリスト」の雛型である。
この救いは、
・新生:包括の原理(共なる死)による新創造。罪(Sin)からの解放。
・義認:代償の原理(身代わりの死)による罪々(sins)の赦免。
・聖別:神の小羊キリストの血潮による分離(この世からキリストの中へ)
「包括の原理」と「代償の原理」についてはコチラを。
魂の救い
この救いは、「罪の力からの救い」であり、世の誘惑に打ち勝つ。
(Ⅰペテロ1:8-9)
この救いは、明け渡しと従順による。
(エペソ5:1、ヤコブ1:21-22、Ⅰペテロ1:13-16)
この救いは、継続的成長過程にある(エペソ4:14-15、Ⅰペテロ2:2)。
この救いは、キリストによる「聖霊のバプテスマ」を含む(使徒1:4-5、2:4)。
その人の腹から、生ける水の川々が流れ出る(ヨハネ伝7:38)。
聖霊がキリスト者自身に証をする(ヨハネ伝14:16、エペソ1:13-14)。
この救いは、モーセの「幕屋」に表された「聖所」が雛型であり、そこでの祭司が日々の務めにより、予表されている。
聖所には「香壇、燭台、机」が備えてあり、その香壇は香を焚くことにより「霊拝と祈り」を、除夜灯である燭台は「聖霊の照明」を、その机にはパンが整列していたように「整った聖書理解」を、示唆している。
魂の救いは「健化」
一般的には「聖化」と呼ばれるが、多くの場合「これから聖とされる⇒聖ではない」という思考に誘導されることをため「健化」とする。
霊のいのちが、魂に浸透する。
・「キリストの思い」の現出(Ⅰコリント2:16)
・肉(魂+体)にある古い思考から、御言葉による思考の一新(ローマ12:1-2)
・再生の洗いと聖霊による刷新(テトス3:5)
・霊の実(ガラテヤ5:22ー23)
「霊の実」についてはコチラ。
体の救い
この救いは、「罪の存在からの救い」であり、「内在の罪」からの完全な解放をあたえる。
この救いは、奉仕者による「水のバプテスマ」によって予表される(使徒8:38)。
この救いは、将来あたえられる「救いの完成」である。
(Ⅰテサロニケ4:17、Ⅰコリ15;51-54、Ⅱコリ5:1-2、Ⅰペテロ1:5)
この救いは「栄化」
・新しい霊の体を着せられる(Ⅰコリント15:42ー54)
※補足:キリスト者の体について
キリスト者の身体は、神の神殿とされている、
(Ⅰコリント3:16、Ⅱコリント6:16)
キリスト者であることの公の表明として、「水のパプテスマ」によって、世に対して、見える領域と見えない領域に証される。(使徒2:38、8:12、18:8)
モーセの「幕屋」の大庭には、祭壇と洗盤があり、祭壇は「献身」(マタイ10:18、16:24、ローマ12:1-2)を、洗盤は「御言葉による思索」(出エジプト38:8、エペソ5:26)を想起させる。
追記①
キリスト者の霊と魂は、隔てが取り除かれている。
@マタイ伝27:51
すると、見よ。神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。
至聖所と聖所の隔てが、上から、つまり神により神の方法で(へブル10:20)、取り除かれた。
それは、霊と魂の隔てが取り除かれたことを示唆している。
へブル9:4の「金の香壇」の位置に注目されたい。
出エジプト30:1-8では「金の香壇」は聖所にあるが、ヘブル9:4では至聖所になっている。
ヘブル書の記述は間違いのように見えるが、この差異は、旧約時代の香は聖所で捧げられ、新約時代の香は至聖所で捧げられることを、示唆している。
旧約の聖徒たちは、聖所すなわち魂において、祈りと礼拝を捧げていた。
新約の生徒たちは、至聖所すなわち霊が機能して、祈りと霊拝を捧げるものとされている。
これは主イエスのことばの成就である。
ヨハネ伝4:23 聖書協会・共同訳
しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真実をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。
追記②
内なる人、外なる人、という表現がある。
@ローマ7:22 @Ⅱコリント4:16 @エペソ3:16
内なる人は「霊+魂」であり、いわゆる「心」。
新生して機能している霊が、魂の機能を使役している状態。
@Ⅰペテロ 3:15
ただ、心の中でキリストを主と崇めなさい。あなたがたの抱いている希望について説明を求める人には、いつでも弁明できるよう備えていなさい。
外なる人は「魂+体」であり、いわゆる「肉」。
魂が、体を使役する状態。
@Ⅰペテロ4:1ー2
キリストは肉に苦しみを受けられたのですから、あなたがたも同じ心構えで武装しなさい。肉に苦しみを受けた人は、罪との関わりを絶っているのです。
それは、もはや人の欲望によってではなく、神の御心によって、肉における残りの生涯を生きるためです。
@ガラテヤ5:24-25
キリスト・イエスに属する者は、肉を情欲と欲望と共に十字架につけたのです。
私たちは霊によって生きているのですから、霊によってまた進もうではありませんか。
追記③
霊の機能として、内奥覚、直覚、交覚、という三つを提示しています。
これは霊の理解として、類推している表現。
内奥覚
岩波訳聖書の「内奥の意識」より。一般的には「良心」。
日常的な意識と共にある、別の内的意識、とされる。
キリスト者にとって「キリストの霊/御子の霊」と一体化された意識。
直覚
神を知る、理解する機能。
魂の「思考」に影響し、御言葉の本質的意味を抽出し、聖書理解を構成する。
交覚
神に感応する機能。
魂の「感情」に影響し、愛、平安、喜び、などを受ける。
直接、体に作用することもある。