ブルアカについてのオタク語りがしたくてたまらない人の乱文。
オタク語りをしたいのに書ける場所が見当たらぬ……! よって私はnoteで書き記す事にした。時折自分で読み返して未来の自分に感動を分け与える事が出来れば重畳であろうという意図である。
今回はブルアカに復帰してから二周年半までにドはまりしたことを書く。
エデン条約編の感想、最終編の感想、サントラのジャケット素晴らしすぎ編、ブルアカの曲好き過ぎる編などはそれぞれ別で書く予定。
ブルーアーカイブをダウンロードしたのはリリース初期。満員電車の中で死んだ目で通勤しているときに流れたリリース前の広告で、澄み渡る青空と共に描かれた世界が美しいと感じたからだった。
実際にプレイしたときは意外性たっぷりで広告詐欺では!? くらいに思ったものだが、二年半の月日を経てドはまりしている私は、確かに美しさを持つゲームだと確信している。
そんな私は冒頭でも書いた通り、いわゆる復帰勢である。初期のメンテ地獄及び強制終了の多さに離れてしまい、可愛らしいシロコのアイコンは整理されたフォルダにしまい込まれ、時折ログインしてはガチャを引くだけの”端末に残っているだけ”のソシャゲと化してしまった。
復帰したきっかけは今やXとなり果てたツイッターであった。
トレンドに入った”バットエンド”の文字。ネットの知人たちから曇らせと言えばこの人みたいな扱いを受けている私は、吸い込まれるようにそのトレンドをタップした。
そこでは私がかつて触れていたゲームで出てきたキャラたちの悲惨な姿をスクリーンショットで張り付ける先生方がたくさんいらしたのだ。(ここだけ切り抜くと鬼畜の所業だな……)
なんとこのブルーアーカイブというゲームは二周年という近年のソシャゲでは大成功と言える素晴らしき記念生放送で、今まで救ってきた生徒たちの救えなかった未来を見せつけたのである。鬼かな?
更にトレンドに踊るは”ミカ実装”の文字たち。
当時のツイッターTLにはミカミカゼミの死体たちが足の踏み場もないほどに転がっていた。あまりの狂い方にドン引きを通り越して『そこまで狂わせるほどの魅力があるキャラクターを作り上げた作品だったのか?』と心惹かれたことを覚えている。
交流があったネットの知人に先生がいたためにブルアカについて聞いてみると、ぜひやろう! の声が返ってきて、ほな復帰するか~。ミカって子は? エデン条約編? 結構遠いね……と若干面倒くささを覚えながらリリース初期に途中で読むのをやめてしまった対策委員会編から読み直すことになった。
正直対策委員会編に関しては、雑に読み進めてしまった自覚がある。前に読んでいた時から二年の月日が経っており忘れていることも多く、かといって最初から読み直すのも億劫。ミカって子に早く会いたいな~、でもエデン条約編と繋がりがあるらしいから読み飛ばすわけにもいかないな~と、世界観に浸りきらないまま読んでいた。
そうして油断していたところで、第二章一六話『大人の戦い』でぶん殴られた。
唐突だが私が好きな曇らせについて語ろう。正確には私は曇らせ好きと言うよりは、その状況から『それでも』と輝く人々の光が人間の真価だと感じ取っているというだけなのだが、それについてはエデン条約編について書き散らす時にでも語ろうと思う。
まず曇らせについて。曇らせ隊と呼ばれる人々はキャラクターの表情が曇ること。つまり悲しみや不安、時に怒りや憎悪といった感情を見せる姿に心惹かれる人々である。大体やべぇやつ扱いされる。
もちろん私はやばいやつではないが、曇らせが好きだ。
曇らせというのは”現実”や”理想”、”利害”や”愛情”……そういう相反したり混濁して分別できないものがとても大切だと思う。人間という生き物が多角的な側面を持ち、そんな生物が築き上げてきた社会が複雑怪奇であることを受け入れて初めて曇らせというものは輝きを放つ。
時折、理不尽に酷いことをすれば満足なんだろう? と誤解をされたりもするがそうでは無いのだ。理不尽なことをされて曇るのもそれはそれで良いけど。(別種の美味しさがあるよね)
小難しい書き方をしたが、シンプルに直すのであれば
《キャラクターが、生きている感覚が欲しい》
これに尽きるだろう。
そのキャラクターがその世界で生きている。それをしっかりと受け取り手である私の感覚とリンクさせてくれる、その技法のひとつが曇らせであったということだ。
つまりその感覚があれば曇らせにこだわるわけでもない。ゆえに私はやべえやつではないということだ。
さて、序盤の対策委員会編ではそのリンクしている感覚がまだなかった。
借金という現実は存在していたが、額が大きすぎて一般庶民の私には実感が湧かなかったし、生徒がその借金を背負っていることにも違和感が拭えない。銃で撃ちあって痛いで済む世界観を自分の中に収めることがまだできていなかったし、ブルアカ世界の学校が私たちにとっての国に近いこともまだ理解が及んでいなかったと思う。
そこで叩きつけられたのが、第二章一六話『大人の戦い』なのだ。
それまでずっとブルアカの世界観で語られてきた話が、ここで途端に現実になる。
大人ってこういうものだろう? 現実なんてこんなものだろう?
……あぁ、全くもってその通り。私たちが良く知る”現実”はそれだ。
ルールを学び、ルールの穴を突き、利益を得る。それを悪徳と知りながら、ルールはきちんと守っているからという言い訳を自分に重ねてゆく。そうやって子供のころ憧れていた大人という幻想を打ち破って、瞳の輝きを消して電車に揺られる毎日。良く知っているとも。
そんな残酷なまでに身近な”現実”が、この楽しげで、現実感が薄い世界の傍に息づいていることを否応なしにわからされたのだ。
なんとなく察しているだろうが、ここまでの私はブルアカのメインストーリーを軽んじていた。ブルアカはえっちな二次創作が多い単なるキャラゲーだと意識があったのだ。(でもブルアカはえっちなゲームだと思います)
だが違うのだと。現実が確かに存在する世界で、彼女たちは生きているのだと。そうわからされ――初めて私の世界とブルアカの世界がリンクし、私(先生)が生徒を守らなければならないと感じたのだ。
――感じた矢先に生徒の足舐めてるんですけど!?(先生に変態属性を付与して動かしやすくする意図と、イオリにヘイトを向かせないためだとは思ってる)
とまぁ、先生の行動に驚きつつ……そこからは転がるようにブルアカの世界観に沈んでいった。
”キャラクター”だった彼女たちが”生徒”であると理解し、彼女たちが騒ぎ、笑い、精一杯生きていることが尊いことへと変わっていった。
そうしてエデン条約編及び最終編を迎え入れて私は立派なブルアカオタクに成長したのである。かなり沼だよこれ!
エデン条約編の感想に続く。