前編
ツアー「心海パラドックス」において大事な曲を考察します。
[What's a pop?]
耳を澄ませば
聴こえるメロディーが
くすぶってる88
→88は柳田周作がツアーでピアノを弾くために買ったRoalandのキーボード
ドレミで紡いだ音階の
狭間の奥を知ってみたい
触れてみたい
I'm looking for the starry sky.
「ドレミで紡いだ音階の狭間の奥を」
→ここがこの曲で1番大事な歌詞だと思う。
「ドレミで紡いだ音階の狭間」
これはどういう意味でしょうか?
僕はこう解釈しました。
神サイの音楽を聴いてると、音と音の間に、
何となく何かが見えることがある。
曲を聴きながら、目を瞑ると目蓋の裏にその曲の情景が見えてくる。
その情景は、作り手の心、感情と繋がっている。
音の向こうからさざ波のように作り手の想いが伝わってくるような気がする。
ドレミで紡いだ音階の狭間に何かを感じる。
ドレミの狭間
=歌心
=歌が上手いということじゃなくて、どれだけ感情を込めて、人の感情を揺さぶれるかどうか
=人の心の琴線に触れる
ピッチが外れる瞬間、音程を外すこと、は歌唱力という観点では技術不足と定義されるけど、人の感情の生々しさを伝えられる。感情の浮き沈み、心海パラドックスを伝えられる。だから僕にとっては「ドレミの狭間にある可能性」
柳田周作は今まで、事あることに散々言ってきていた。音楽は歌の上手さが1番大事なんじゃなくて、その人がどれだけ感情を込められるかが1番大事だと思うと。
その人の感情、何かが伝わってくるのは歌だけじゃなく、楽器の演奏でもそう。
[スピリタスレイク]
この部屋から飛び出したいよ
もういっそ楽になりたいなんて
思うだけで足は竦むけど
命なんてくれやるさ楽になりたいんだ(僕だけが失敗作みたいで)
→この部屋から飛び降りて楽になりたいけど足はすくむ
→死にたい願望が出てきた
遊泳禁止のスピリタスレイクで
へべれけのまま溺れて浮かべた手
近づいては遠のいてく
→スピリタスレイクはアルコール度数96%のウォッカ。飲み物じゃない、だから遊泳禁止。
とても泥酔して遊泳禁止のスピリタスレイクで溺れている感覚になった。幻覚が見えた。
苦しくなればいつだって
バラバラに爆ぜる手榴弾
御守り代わりに今日も
左胸ポケットしまって
→バラバラに爆ぜる手榴弾は死にたい衝動が爆発すること
「その気になればいつだって人生終わらせてやる!みたいな。」
柳田周作がいろいろあって超泥酔してキレてた配信の時にも
「俺はいつだって死にてえんだよ!
I always wanna die だよ!
死にてぇに拍車かけんじゃねえよ!
と叫んでいた。
スピリタスレイクはその時期に作った気がする。
この曲でも心海パラドックス、感情の揺れ動きがある。
パンパンに膨らんだ風船
幾重に積み重なったジェンガ
ネジの緩んだプラモデルも全部
この手で壊す勇気さえもない
いつでもぶっ壊す準備はできてるけど、いざとなると行動に移す勇気はなくなる。
→感情が揺れ動いている
→心海パラドックス
[僕にあって君にないもの]
僕にあって君にないもの
君にあって僕にないもの
万華鏡のメリーゴーランド
歪なくらいでいい
→万華鏡のメリーゴーランドの意味はツアーに行ってライブでこの曲を見ればわかる。
僕が1番気になったのは「歪なくらいでいい」です。いったいなにが歪なのか?
こう解釈しました。
最初はみんな個性溢れる尖った、歪な形の石だけど、生きてく内に色んな壁にぶつかって同じ丸い形になる。傷つくのが怖くて周りに合わせてだんだん丸くなっていく。でもみんな丸かったらパズルのピースの隙間は埋まらない。凹凸してるからこそピースが噛み合う。
歪なくらいがいい
未完成のイラストレーション
余白を僕で埋めて
この曲のメッセージは
「僕にあって君にないもの」
があるし
「君にあって僕にないもの」
があるから
お互いの個性を無くさないで、丸くならないで、歪な個性を持ち続けてほしい。
凹凸した歪な個性があればお互いの余白を埋められる。孤独、空いた穴を埋められる。歪な個性があるからお互いがお互いを必要だと思う。
歪なくらいがいい
Cause I need you
この曲のギターソロも「ドレミの狭間」を表している。
[告白]
まず始めに、この曲をイヤホンで聴きながらこの文章を読んでほしい。冒頭1音目のアコギが鳴った後、一瞬だけ「紙の音」が聞こえてくる。
これには意味があると解釈しました。
あの音は、遺書を書くために
メモから紙をちぎった音か
ノートの1ページをめくった音。
さよならの代わりに少し置いておきたい言葉がある
→遺書の一文目
魔法も永遠もおとぎの国の中の話なんだ
馬鹿げてるね
→魔法のコトバで連れてゆくよ世界の向こう側まで(カラーリリィの恋文)
おとぎの国の中の話なんだ
→自分が作ってきた曲は理想を歌っていて、それはおとぎの国みたいに現実味がない。リアルじゃなくて馬鹿げてると思ってしまう。曲の中で永遠を歌ってきたけど、人は必ず死ぬし、バンド、人気商売は浮き沈みがあって永遠に続かない。人生は「諸行無常」なのが現実、リアル。今までの自分が築き上げてきた理想、人生すら疑ってしまう。
父さんも母さんも友達も恋人も
みんな全部消えちゃうんだろ
→大事な人たちもみんないつか必ずいなくなる。それが現実。
どうせいつかいなくなるなら
僕の全てを是が非でも遠ざけて
優しくなんてしないでほしいのに
どうしたって纏わりつく温もり
→遠ざける理由は、自分で自分を殺す前に孤独になって大事な人たちとの間に壁を作りたいから。距離を作ることでその人たちとの未練を無くしたい。
優しくなんかしないでほしいのに
→優しくされると独りになりたいのに、その人のことを思い出してしまう。
どうしたって纏わりつく温もり
→いざ自分に手をかけようとしたけど、その人たちの温もりがどうしたってチラついてきて、離れない。そんな情景が見える。
今ある幸せが全部
息絶える前に見る夢で
なんて絵空事考えては
時折怖くなる
→今生きてる現実は死ぬ直前に見る走馬灯のような、夢を見てるのかもしれない。と思ってしまって時折怖くなる。こんな自分が今の幸せを感じられているのはおかしい。だから死んだ後の夢なんじゃないかと思う。
いっそ独りでいいのに
→どうせ死ぬんだったら誰かのこと思い出さないようにいっそ独りにしてほしい。
間奏
→ここで今までの人生全てを思い出す。走馬灯のように愛してくれていた人たちの顔を思い出す。
自分は色んな人たちに愛されていたんだ。
どうせいつかいなくなるけど
もらった分だけ返せたらなって思うよ
愛してるよ
愛されていたんだよ
生きて今日もこうして歌っているんだよ
君に歌っているんだよ
→間奏とこの歌詞がこの曲で1番言いたいメッセージだと思う。
このメッセージを紐解くためにツアー初日からずっと意味を考え続けていたら、昨日の夜中に気がついて自然と涙が溢れ落ちました。
ここの部分が僕の人生において大事な考え、死生観と重なりました。詳しく書くとさらに長くなるので
後編に続きます
お楽しみに