修羅の巷 MV考察
モノクロの映像で女性が写真の裏に書かれてる文字を見た後、映像に色がでてくる
黒の文字で書かれたwonderful memory
に青の文字で書かれたpandemoniumが写ってみえる
wonderful memory=素晴らしい記憶
pandemonium =修羅の巷 の英語訳
これは「素晴らしい記憶」が「修羅の巷」と化してしまったという暗示だと考える。
また
ラストシーンの映像が赤青緑紫オレンジ茶色など様々な気持ち悪い見え方をした後にまたモノクロに切り替わる。
これは色の残効という錯視現象を暗示している
たとえば
青色と黄色の円の間にある十字を10秒ほど見つめた後、十字から目をはなさず、2枚目のモノクロの画像に見ると、一瞬、さっきのカラー画像が見えてくる。
これが色の残効という錯視現象。
MVのラストのカラフルな映像の中心点をずっと見つめた後にモノクロに切り替わるとさっき見ていたカラフルな色が一瞬だけ見える。
これは、以前歌詞の考察で書いた
フラッシュバックによりグラグラグラと目眩が邁進された状態で夜桜をもう一度見ると、さっき見ていた目眩が夜桜にも写り、夜桜に火花が散ってるように見えたということ
と同じであり、歌詞の意味をMVで暗示させて表現したと考える。
なので
wonderful memoryが「夜桜」
pandemoniumが「火花」
に対応していると考える。
さらにこの考えに根拠を一つ加えるなら、
MVのラストにあるモノクロ写真の中にwildfireと書いてある。
wildfire
=激しく急激に広がる大火
これは歌詞の一番最後にある
「狂ったように咲く火花」
に対応している。
以上の根拠から
wonderful memory →「夜桜」
pandemonium→「火花」(wildfire)
であり
「wonderful memoryに浮かび上がってきたpandemonium」
→素晴らしい記憶が修羅の巷と化した
「夜桜に浮かび上がってきた火花」
→夜桜が狂ったように咲く火花に見えた
である。
また、MVの時系列を追ってみよう
2サビで歌詞がFalling Love
女性がタバコを吸っているシーン02:21から
フラッシュバックぽいものが一瞬見え、
柳田が赤いカーテンを下ろすと
モノクロの世界に戻る
これは女性がフラッシュバックによって堕落していき、モノクロの世界に堕ちていくことの暗示。
その後、女性が写真の裏側を見るとpandemoniumの文字が見えたので、モノクロ世界に普通のイメージとは違った逆の色がつき始める。
最後の
赤青緑紫オレンジ茶黒などカラフルで気持ち悪い見え方をするところは「色覚異常者」の見え方の暗示だと考える。
・色覚異常者の見え方
色覚異常者は緑色を茶色に間違えることがありますが、緑がいつも茶色に見えるのではなく、形や明るさ、色の面積など周囲の状況によって、ある時は茶色に、ある時は緑色に、また別の時は灰色に見えたりもします。 また、赤や緑が灰色っぽく見えるだけではなく、逆に灰色が赤や緑に見える場合もあります。
以上から言えることは
そもそも、自分が見てる色、この世界は
見る人によってそれぞれ違って見える。一つではない。
ドラマのラストマンは盲目のFBIだが、
想像力を使って普通の人とは違うものを見ているのかもしれないということ。
・公式からでてるMVの説明
今作でのパフォーマンスシーンはMV全体のストーリーテーリング的な役割を担っており、窮屈に閉塞感を感じて生きている人々を鼓舞する本楽曲に込めたメッセージを、1人の女性の2つの生き方をパラレルワールド化して表現している。
さらに本MVでは、「見えているものが、全てではない」ということを、体感できる様々なギミックを盛り込んでいる。赤を基調とした映像の世界観でモノクロのシーンも同色であるという先入観を植え付け、後半のシーンでは色彩的な裏切りを起こす。また、写真の落書きからは、とあるメッセージが浮かび上がり、ラストには、見方によってカラフルにもモノトーンにも見える、錯視体験のラストシーンが待ち受ける、そんな"視覚を裏切る"映像となっている。