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火花 舞い散って漂う

走馬灯のよう流る冥土で
溺れまいと掻き分ける運命
命乞いし腰抜けの様なら
一矢報いて果てよう
旅の終わりは極楽浄土
ならばいっそ
咲かせてみせよ大輪の花 威風堂々

↓ネットから引用
[平家物語の冒頭]
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。猛き者も遂にはほろびぬ、偏ひとへに風の前の塵におなじ。
[現代語訳]
祇園精舎の鐘の音には、『諸行無常』 ― すなわち、この世のすべての現象は絶えず変化していくものだという響きがある。どんなに勢いが盛んな者でも必ず衰えるものである。世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、長いスパンで見てみると、まるで『春の夜の夢』のように短く儚いものである。勢いが盛んで激しい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである」といわれています。

祇園精舎とは「精舎」とは寺のことですから今日の言葉で言えば「祇園寺」で、お釈迦様がご説法をなされた寺のことです。この「祇園精舎」の北西の一角に無常堂(無常院)があり、祇園精舎で終末期を迎えた僧たちが、最後のひとときを過ごす場所。ご臨終を迎えると、建物の四隅に配されていた鐘が鳴りました。無常堂の鐘は、除夜の鐘で想像するような梵鐘ではなく、腰鼓のような形をして、素材は「頗梨(はり)」といって、水晶でできた小型の鐘でした。その鐘の音は耳に心地よく、妙なる音色でした。その祇園精舎の鐘の声は、僧の命が一つ消えたことを示している世の無常を感じさせる深さもあったのです。

以上からこう解釈
イントロで鈴の音が聴こえてくる
→ご臨終の暗示
死にそうになって走馬灯が流れた
冥土(地獄)が見えた
溺れまいと掻き分ける運命
命乞いし腰抜けの様なら一矢報いて果てよう
旅の終わりは極楽浄土
ならばいっそ咲かせて見せよ大輪の花 威風堂々

→死んだ後、地獄に行くとしたら嫌だ、命乞いするくらい腰抜けになってしまうけど、極楽浄土、天国に行くとしたら大輪の花を咲かせたい、有終の美を飾りたい
→冥土と極楽浄土で対比
心情が変化している

火花舞い散って漂う
疾風の如し 時代で  
身を任せてどこへ行こう
春が吹雪いている
→疾風の如し=急に激しく吹き起る風のように素早く
→吹雪に近い 
春が吹雪いている?
ここで、曲名がなぜ「火花」なのかを考える
火花は修羅の巷を作ってる時にサブで思いついたアイデアでそれをこの前形にしたと本人がMCで言っていた。
春に舞い散るものは桜
狂ったように咲く火花 (修羅の巷)
前にここに書いたように

過去のトラウマがフラッシュバックして目眩がし、視界がおかしくなり目の前の夜桜がバチバチと狂ったように咲く火花に見えた、まるで修羅の巷と化している
がジャケットの意味だと解釈

これらを踏まえると
夜桜が火花に見える
火花舞い散って漂う
→夜桜、火の花が舞い散って空気中に漂ってる
落ちてこないで漂ってるのは風が吹いてるから
→疾風の如し時代で
疾風の如し=急に激しく吹き起こる風のように素早く
春が吹雪いている
→夜桜が風に激しく吹かれて漂っている
ちなみに
火花散る戦い=激しい戦い
という意味もある
ここで柳田周作の作詞あるある
このまま風になって
いつか辿り着いてみせるよ タイムファクター

吹かれては飛んでく綿になりふわり漂えば
傷だらけになったって辿り着いても
そこに君はいないのに プラトニックラブ

→漂うものになって風でどこかに向かいがち
向かいたい場所がある
風見鶏は南に 修羅の巷
→風向きが変わる
など
身を任せてどこへ行こう
春が吹雪いている
→夜桜が火花のように舞い散って激しい風に吹かれて空気中を漂ってる情景を見て、春が吹雪いていると思った。自分を重ねてみた。自分の命も燃え尽きた後、どこへ行こう?冥土か?極楽浄土か?極楽浄土に行けるのなら最後は有終の美を飾って大輪の花を咲かそう

何度、死にかけても生に食らいつく不死身の杉元に自分自信を重ね合わせました。

2月11日、日本武道館は桜の季節
平家物語の文章に
諸行無常の響きあり 
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし
とある。
春の夜の夢のごとし
→夜桜のようにすぐ散る ほど儚い

世に栄え得意になっている者も、その栄えはずっとは続かず、長いスパンで見てみると、まるで『春の夜の夢』のように短く儚いものである。勢いが盛んで激しい者も、結局は滅び去り、まるで風に吹き飛ばされる塵と同じようである

→ 舞い散った火花は疾風の如し、強い風に吹かれてどこへ向かっていくのだろう、冥土か?極楽浄土か?

このまま風になって
いつか辿り着いてみせるよ

この痛みも色付いてく
諸行に無常ならば
→花が燃え、火花になるから
赤くなる、色付く
諸行無常は、常に変わり続けることだから
この痛みも色付いて
マイナスな意味だけではなくなる
自分の糧となる

夜桜掘り起こす過去
埋まったままの諸行無常

「埋まったままの諸行無常」
→埋まったまま?
夜桜の下に埋まっているものはなんだ?
→散った桜の葉っぱたち

→それを見て諸行無常を思い知らされた
諸行無常=どんな物事、命にも必ず終わりがくること。

要約すると
→散った夜桜を見て自分を重ねた。
栄光を掴み華やかなレッドカーペットを歩いたけど、自分にも、必ずいつか終わりが来て、儚く散り、地面に埋まってしまう=死んでしまう
(綺麗な桜の木の下には、死体が埋まっているという表現をした短編小説もある。その本では散った葉っぱを人の人生が終わった、人の死体が埋まってると例えている。)

「火花」
諸行に無常ならば
尚更くたばるつもりはない
あの世で待つ彼奴には未だ逢えない
踏み締める諸行無常
→埋まったままの「諸行無常」を踏め締めるようになった

[心情変化]
「修羅」の時は過去のトラウマ、いつか終わりがくることを思い出し、BADに入った。過去のトラウマすぎて封印したくなる、埋めたくなるくらい諸行無常、いつか終わりがくる事実と向き合いたくなかったのに「火花」では「諸行無常」を踏み締めている。終わりを受け入れ、前に進む、終わりがくるのならやりたいことやってやろう、この人生を死ぬ気で生き抜いてやると覚悟を決めている。
いつか必ず終わるこの命を
どこに使い果たすか決めている。

この世でまだ果たすべきことがあるから
化けてでも生に縋ってたい

死んだと思ったら、まだ死んでねえぞって霊としてこの世に出てくるくらい生への想いが強い。この世でまだ果たすべきことが残っているから死にきれない、尚更くたばるつもりはない。

燃え尽きて散りとなった火花は強い風に吹かれて冥土か極楽浄土へ向かって行く。でもその魂は生への想いがとても強いのでこの世に残り続ける。
灰になるその日まで(CLUB27)
どうせ荼毘に付されてしまうなら(アノニマス)
→燃え尽きて散りになっても生きた証、魂は現世に残り続ける
現世に刻む僕の生きた証を

何度死にかけても生に食らいついていく
不死身の杉元
と自分の生き方を重ねた
バンド 神はサイコロを振らない
ボーカル柳田周作

陽炎ツアー宮崎鹿児島熊本長崎の後、東京に戻ってきて火花を完成させた

日本武道館の1曲目は「火花」
と予想
日本武道館まで残り92日
這ってでも征けよ

自分に言い聞かせてる

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