「少年たち」とロミジュリ、ウエスト・サイド・ストーリー、ドリボ
ウエスト・サイド・ストーリーはロミオとジュリエットの構図を元に作られている。
常に何かと何かの対立と、それを乗り越えようとした若者に起きることがテーマ。ドリボだってそう。
ということで、今年の少年たちについてもロミジュリ・WSS・ドリボと類似する構造について。
まずロミジュリとWSSのお話の要素を取り出すと、
対立(モンタギューVSキャピュレット、ジェットVSシャーク)
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対立を乗り越えるもの(ロミオ&ジュリエット、トニー&マリア)
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対立を強化するアクシデント(マキューシオを殺された怒りでロミオがジュリエットの親戚を殺してしまう、リフを殺された怒りでベルナルドを殺してしまう)
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外の世界へ逃亡しようとする(ジュリエットの部屋→薬を使った時間差逃亡、マリアの部屋→落ち合う約束で逃げる)
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アクシデント(悲劇)(ロミジュリ死亡、トニー死亡)
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残された人々(両家反省、両軍反省)
こんな感じ。
対立:赤と青
2023年の少年たちでは、
日本が戦争によってSOUTH(赤)とNORTH(北)に分断され、対立してしまった状態がスタート。
対立する構造が印象的なダンスナンバーで始まるのがお約束で、今年の少年たちは配給車を襲うシーンからスタート。フォーメーションが凝ってた。
ドリボでいえば、1番初めのリングの回想シーン。
対立を乗り越えるもの:日記の少年
対立が当たり前の中、戦争で家族全員を亡くしたトラウマから記憶喪失&子供がえり、極度の争い嫌いになった大昇があらゆる争いをダメだ!といい、みんなに仲良くして欲しいといい続ける。
今の状況を当たり前だと消極的に受け入れていた若者たちに響くピュアな言葉と大昇の可愛さ(?)により、徐々に交流を深め、お互いの抱えるもの(藤井ちゃんの病気の弟、夢を諦めた那須と諦めきれない浮所、龍我のパン愛)に共感し、金指の少年兵だった過去から心に深く残る傷を受け止めた時、遂に赤と青はひとつになって行動する力を得る。
対立を強化するアクシデント:藤井ちゃんの弟、看守長
刑務所内で人間関係が出来上がり生活も順調になってきた頃、そんな悠長なこと言ってられない出来事が起こる。
藤井ちゃんの弟の病状が悪化。看守長に弟に会わせて欲しいと直談判。それを完全に否定され、また永遠に出す気は無いとまで言われ、絶望が決定的となる。
いつかは出してくれると思っていたがその日は来ない、しかも藤井ちゃんの弟が危ない。いつ行動するか、今でしょ。
ロミジュリでは子と親、WSSでは半グレ集団と警察がもうひとつの対立構造だが、
少年たちではここから看守長対少年たちの対立構造にスポットが当たる。
外の世界へ逃亡しようとする:脱獄しよう!!!
現状を打破するために日記の少年は叫ぶ。「脱獄しよう!!!」
ロミジュリのジュリエットの部屋のシーン、WSSでのマリアの部屋のシーンやsomewhereは、少年たちでは「闇を突きぬけて」でしょうか。ドリボでは何もかも引き受けてやろうじゃねえか!!かな。
で、脱出の計画を立てる。
ロミジュリの場合は修道僧がジュリエットを仮死状態にして埋葬させ、眠りから蘇った所を墓地でロミオと再会し一緒に逃げる作戦。
WSSの場合はドクの薬屋で落ち合い、街を逃げ出す作戦。
少年たちも脱獄の計画を企てる。
ドリボは……主人公が何もかも引き受けて、ビルとビルを飛び回る。トム・クルーズもびっくり。
アクシデント:僕がおとりになる!!
ロミジュリで伝言が上手くいかなかったように、
WSSでアニタが嘘を叫んでしまったように、
少年たちでも脱出劇は上手く行かない。
この対立の壁を乗り越えようとする時、ロミジュリでもWSSでも誰かが死んでしまいます。
少年たちが最後に阻まれたのはまさに壁。
追い詰められた結果、日記の少年は自ら塀に登り、おとりになることを宣言します。
これが何かを端的かつ現代的に表現した言葉、
みんな誰かのために生きている。
ということで、ドリボではチャンプが弟に心臓を渡したところでしょう。
残された人々:あいつのぶんも生きる、君にこの歌を
ロミジュリでは大人が大人にお説教をくらい、跡継ぎを亡くした両家しょぼん、
WSSもマリアの嘆き悲しむ姿にしょぼん、
ドリボは主人公からチャンプの心臓が弟に渡り命がリレーされたことを知り、みんな誰かのために生きていることを知る。
少年たちはあいつが死んでも夜明けはいつものようにやって来て、だけど何かが足りないことを知り、この歌を歌う時共にいることを誓う。
エピローグ
ロミジュリとWSSはそこで終わり。
これ逆にエピローグとかあったら冷めるな。
ロミジュリの両家が仲良くしてるシーンとか入れられたら何勝手なことしてくれてんねん???って思う。
WSSもどこかに自分が投影できるキャラクターが出てきて、その人に自分を重ねる。だからあの終わり方でいい。
今年の少年たちはこのエピローグがしっかり作られていた。
この少年たちの中で我々が1番共感すべきは、どの様に平和を守るのかというメッセージであり、赤いあの1画が観たものの心にいつまでも残っていることから、それに成功していると思う。
蛇足:「隠れ家」のモチーフ
今回の少年たちでは「夢の世界」という題で、大昇が僕がみんなにできることは何か…と悩みながら日記を広げ、その中から少年たちが出てくる場面がある。
これって何よ?ということだが、これはロミジュリ、WSSにも出てくる「隠れ家」のモチーフかな?
ドリボでいえばDeath Spiralに通じる場面。光一くん演出になってからデススパだけど、それ以前は綱渡りとかしていた場面だからそこと比較した方が似ているかもしれない。
ロミジュリでは修道院が、
WSSではドクのドラッグストアが出てくるように、主人公の「隠れ家」になるわけで、
ドリボでいえば古い劇場がそこにあたる。
ところでドクのドラッグストアってロミジュリに出てくる薬屋をオマージュしてるのかな。
ロミジュリは修道僧が考えた作戦がまどろっこし過ぎたし、ドクもアニタの言うことそのままトニーに伝えちゃったからああなるし、なんかもうちょっと頼むよ……って大人なんだけど、でもこの隠れ家のモチーフが私は大好き。
以上。
終わりに
こう考えてみると、やっぱりドリボは面白い。人間関係も何重にもなっているし、畳み掛けるように色々起きて飽きない。
・映画の撮影で揉める(弟の手術のため)
・試合で頭にヒットを決めてしまう(通称・鉛の板)
・チャンプの弟子がナイフを持ち出し、揉み合いの末、弟がチャンプの弟子を刺してしまう(通称・ナイフ)
→何もかも引き受けてやろうじゃねえか!
千と千尋ばりのこの展開の多さよ!大好き。
少年たちは刑務所内のシチュエーションに限られ日々を切り取った描写が多くなるから、どうしても幾重にも畳み掛ける感じというのは生まれにくいんだけど、でもこの特有の、ロミジュリもWSSも彼らが情熱・苛立ちを全身で表現する若者たちの物語だからこそ我々に伝わるものがあって、そこの特性を生かしているのはやっぱり少年たちだと思う。
つらつらと持論を述べてしまいましたが、つまり私は岩﨑大昇がロミオで佐々木大光がマキューシオのロミジュリが観たい。