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石橋を叩く前に渡る

「どういう生き方をしてきましたか?」と聞かれたら、「石橋を叩く前に渡ってきました」と答えることにする。実際にはこんなにダイレクトに聞かれたことはないのだが、サラリーマンをやめてみて、新しい道を模索している今、自らを説明する際にそう発している。
「行動力すごいね」と、ものすごくたくさんの方に言われる。自分に行動力があると思ったことはないが、やりたいと思ったことをやらずにはいられない性格なので、他人からはそう見えるのだろう。

「恥の多い生涯を送ってきました」太宰治の人間失格の冒頭のごとく、「石橋を叩く前に渡ってきました」と文学的に声に出したくなるのであるが、そんな立派なものではない。

いつからこんな生き方をしているのか振り返ってみると、新卒で入った旅行会社を辞めると決めた時からであろう。
2001年に旅行会社に新卒で入社して、池袋の大きな支店に配属された。同期とも先輩とも仲良く、大学生のノリが抜けきれなくとも、楽しく働かせてもらっていた。
ある休日に支店のスタッフたちと訪れた新潟のスキー場で私の人生は変わった。スノーボードのレッスンに参加したのだが、インストラクターの、「以前は自動車会社で働いていたのですが、今は冬は日本で働き、夏はニュージーランドで働いているんですよ」という言葉に、『最高じゃないか。私もそんな生き方したい!』と心が反応してしまい、翌日には支店長に「あと10か月で会社辞めます」と伝えていた。支店長からは「そんなに早く辞めるって言ってくるやついねーよ」と言われた。ごもっともである。そして2002年の12月末で退職した。

どの国に行こうか考えて、スノボができるところ、あんまり田舎じゃないところ、という選択肢でカナダのバンクーバーでワーキングホリデーをすることに決めた。
バンクーバーには2003年2月に入国し、最初の3カ月は語学学校に通い、夏ごろから働きたいなと職を探し、バンフでガイドの職を見つけた。バンフに行く前に友人のハワイ挙式に参加するために、バンクーバーからホノルル、ホノルルからバンクーバー経由カルガリー行きのチケットを持ってスーツケースひとつでハワイへ向かった。

当時はスマホはないし、ネットカフェでインターネットにつないでメールを確認する時代。ホノルルのネットカフェでびっくりなお知らせを受け取った。「SARSで観光客が来ないので、来てもらってもいいけど仕事ないよ」と。2003年はSARSが世界規模で流行した年であった。
困ったな、でもまだカナダにも行ったばかりだし、日本に帰るという選択肢はないなと、バンクーバーへ戻り、友人宅に寝袋で泊めてもらいながら仕事を探した。2週間くらいで日系の旅行会社に採用してもらい、アパートも探してバンクーバー生活を続けることができた。

振り返って文章にしてみると、よくやったな自分!と思う。
若いって怖いもの知らずで、それが若者の特権だなと思うけど、40代半ばでも同じような生き方をしていることに、今、驚いている。
今までとは全く違う道へ進んで行くことを、勢いで決めてしまったのだけど、やるしかない。
だって、石橋を叩く前に渡ってしまったのだから。

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