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DJって必要ないよね?
これは僕の思考の備忘録であり、堅苦しいことは書いてないので暇な時間にでも読むのがちょうど良いと思う。
結果として辛辣な表現をしてしまった部分もあるが、前提として僕はDJや音楽を愛する全ての人間に対してリスペクトを抱いているということを伝えておきたい。
DJは間違いなくカッコいい職業だし、大きな社会貢献をもたらすことができる可能性を秘めている。
なにより僕がこれまで地道ながらもDJ活動を続けてこれたのは多くの方々のサポートがあってこそ。
みんないつもありがとう。
ということで、つらつらとnoteを書いていきます。
存在価値がない職業
さて、「DJって必要ないよね?」というnoteなのだが、これは決して釣りタイトルではない。初めて人前でDJしたのは2022年の9月1日、その帰り道でふと頭によぎった考えは今でも鮮明に覚えている。
「好きな音楽はApple Musicで聴けるし、好きなアーティストのライブはチケットを買えば行けるのに、わざわざ高い機材を買ってナイトクラブで他のアーティストの曲を流すだけのDJに存在価値があるのか?」
「それDJが言っちゃうんですか、、、?」と引いているかもしれないけど、皆さんも一度は考えたことがあるのではないだろうか。
「DJってさ、アイツらなんか音楽流してるけど何者なのよ?」って。
そもそもDJを始める前の僕はナイトクラブにも行ったことがない音楽好きの大学生。当時の僕はApple Musicで好きなアーティストの曲を聴き、たまにライブに行くことで音楽に対する欲求は満たせていたので「別にDJって必要ないんじゃないか?」と本心で思っていた。
とはいえナイトクラブに来るお客さんだって僕と同じ人間だ。
Apple Musicで音楽を聴く人もいれば、チケットを買って好きなアーティストのライブに行く人も沢山いるだろう。
にも関わらずナイトクラブには連日沢山のお客さんがやってくる。
何よりも衝撃なのはコロナで日本中が大打撃を受けたにも関わらず、未だ全国には沢山のナイトクラブがあり、多くのDJが精力的に活動していることだ。
もしDJに存在価値がないならコロナの時に全滅しているはず。
これはきっと今の自分じゃ思い至らないような魅力があるに違いないと思い直した僕は改めてDJの存在価値について考えてみることにした。
DJの役割とは?
どのように辿り着いたのかは忘れてしまったが、意外とすぐ結論は出た記憶がある。
詰まるところDJの役割とは「空間演出」だ。
例えばナイトクラブに来ているお客さんは特定のDJに会いに来ている、特定の音楽を聴きに来ている、というよりもナイトクラブという非日常的な空間に惹かれているからこそ、わざわざ仕事終わりに睡眠時間削ってお金払った上で座ってくつろげもしないような空間に足を運ぶのだ。
(※あくまで日本の場合。ドイツだとtechnoが無形文化遺産に登録されていたり、ニューヨークは終電がないのでそもそもナイトクラブに対するイメージが違うかも)
そしてナイトクラブという非日常的な空間の演出の根幹を担っているのがDJであることは言うまでもない(もちろんPAやVJ、スタッフさんなど多くの方々の尽力あってこそナイトクラブの営業が成り立っていることも忘れてはならない)。
アーティストのライブだと人が踊ったり会話するのは難しいだろうし、何より営業終了時間までアーティストの体力がもたないだろう。
また、ナイトクラブはその日の雰囲気によって合う曲や流れも変わってくるのでプレイリスト作って垂れ流しておけば良いというわけでもない。
こうしてみると長時間の空間演出を担うことができて、多様な楽曲をその場の雰囲気によって選択してくれるDJがナイトクラブで導入されるのは至極当然の流れと言える。
※余談
「空間デザイン」という表現をしてしまうと少し語弊が生まれそうなので、この場では「空間演出」という表現をさせてもらった。
下記の画像を見てほしい。
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DJとはエリカ(三つ編みメガネの女性)の説明でいう「エンタメ」に当てはまるのではないかと思う。
記号(デザイン)とアートの中間を陣取るエンタメにこそDJの居場所はあり、その中で作曲活動をするアート性が強めのDJもいればナイトクラブで流行りの曲を流すデザイン性が強めのDJもいるということだが、総じてDJとは空間演出家(エンターテイナー)であると言える。
ただ、いずれにせよ作詞作曲してライブをするアーティストがいる限り、他人の曲を流すだけのDJがアーティストを名乗るのは難しいだろう。
ゆえに色んな曲を自由にMIX出来るという強みを活かした空間デザイン寄りの「演出」にこそDJの価値があるのではないかと思う(ターンテーブリストなど例外がいることは除いて)。
偏見(レッテル)
DJの役割については結論が出たが、話を締めるにはまだ早い。
そもそも「空間演出」という概念はDJに限らず飲食店やホテル、アパレル、照明、建築、映像など様々な分野で応用されているはず(武蔵野美術大学の空間演出デザイン科に進学した友人がいるが、彼はDJ機材に触れたことすらない)。
にも関わらず、空間演出を生業とするDJがナイトクラブでしか活躍できていないのは何故なのだろうか?
DJなら様々な楽曲を扱えるのでカフェの空間演出に一役買うようなゆったりしたジャズを流すことも出来るし、学校の運動会やスポーツイベントを盛り上げるような熱い曲を流すことも出来るし、アパレルショップにDJブースを設置することで空間に付加価値を与えることも出来るし、おばあちゃんと孫がそれぞれ好きな曲を流しながら一緒にDJすることだって出来る(きっと家族の絆が深まるに違いない)のだが、実際そのような場面に出会したことはほとんどない。
潜在的なニーズは確かにあるはずなのに日本ではいまだにDJの活躍の場がナイトクラブに限定されているという不思議。
少し極論だが、これらは全てDJに対する偏見(レッテル)が原因だ。
なぜ偏見(レッテル)が原因と断言できるのか?
その答えはまたしても漫画「2.5次元の誘惑」が教えてくれた。
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「酒と女と爆音の音楽」
「チャラチャラしている」
「怖い」
「遊び人」
「真っ当な職業ではない」
「ボタン押して再生するだけでしょ?」
DJに対する偏見(レッテル)といえば大体ここら辺だろうか。
偏見(レッテル)が貼られているうちは多少変わったことをしたくらいでは気づいてもらうことすら叶わない。
「誰でもDJができるようになる」という道筋はPioneer(現Alpha Theta)が切り開いてくれているが、偏見(レッテル)を覆すほどのパワーはないし、プロDJの地位が上がってないまま有象無象のDJが増えても舐められて終わり。
僕自身こういった偏見(レッテル)を壊すためにYouTubeの投稿を始めたが、まだまだ火力不足。
世間の空気を醸成していくにはもっと様々な角度から丁寧に時間をかけてアプローチしていくしかない。
象徴的な存在
野球なら大谷翔平、サッカーなら久保建英、YouTuberならヒカキン、これはほとんどの国民が知っている有名人だ。
象徴的な存在は業界に大きな貢献をしてくれる(現にM-1二連覇を達成した令和ロマンがお笑い業界の象徴として新たな旋風を巻き起こしてくれるだろうと期待している人も少なくないはず)。
では、ほとんどの国民が知っているDJとは誰なのだろうか?
DJ KOO?
ほとんどの国民が知っているかもしれないが、彼の生き様を見て自分もDJやろう!となる人は少ないだろう。
(※DJ KOOさんの若手時代から現代に至るまでの歩みを踏まえた上で特大のリスペクトを抱いているが、僕がKOOさんに抱いている感情と客観的な所感は切り離して考える必要がある)
Taku Takahashi、DAISHI DANCE、DE DE MOUSE、、、
偉大なDJを言い出したら枚挙に暇がないけど、いずれも国民誰もが知っているか?と聞かれるとYESとは言えない。
2002年にDJ KENTAROが日本人として初めてDMC World Championになった時は各新聞がその功績を取り上げ、Technicsのターンテーブルの売上も増加したようだが、インターネットとSNSの発展に伴い、当時よりも圧倒的に情報量が増えた現代ではより強い輝きを持った象徴的な存在が生まれないとすぐに忘れ去られてしまうだろう。
その点で言うとDJ松永は強い輝きを持った象徴的な存在と言えるかもしれない。Creepy Nutsの人気とともにDJのイメージアップに多大な貢献をしてくれた上に、当人の実力も折り紙つきだ。
しかし、DJの社会的価値を知ってもらうにはまた違った角度の象徴的存在も必要。少なくとも松永はDJ業界を変える人間というより、DJ業界の最前線で戦い続けるプレイヤーという印象が大きい。
「可視化」と「度し難さ」
今ある偏見(レッテル)を覆すために、ほとんどの国民が知ってるような象徴的な存在を生み出すために、我々はどうしたら良いのか?
個人的には「可視化」と「度し難さ」が重要になってくると考えている。
「可視化」とは「分かりやすさ」に近いように思えるが、「形を認識できるか否か」と定義した方が本質的だ。
形というものは色彩がないと認識できない。
アメリカの画家ロバート・ライマンは「作品はまず目の反応と関わっていなければならない」という言葉を残しているが、僕はこの言葉を初めて見つけた時に深く共感した。
それこそコスプレ業界はSNSの登場によって「可視化」の機会が増えたことにより大きく発展したと言っても過言ではないし、音楽で言えばどのレコードを買うかジャケットのデザインで決めた人も多いはず。
今のDJは色彩が薄くて、形が認識しにくい。
これではどんなに素晴らしいDJが生まれても認識されないままスルーされて終わってしまう。
DJに色彩が与えられ、形を成すことで可視化できるようになるためには、評価しやすい明確な指標を設けることやSNSでの発信方法の工夫が必要不可欠になってくるだろう。
ここに関しては「お笑い業界の変遷」をロールモデルにすると良いのかもと思ったり。少なくともM-1のこれまでとこれからについて徹底リサーチしてDMC(日本一、世界一のDJを決める大会)に応用すればそれだけでも業界に大きな恩恵を与えることができそうだ。
そして「度し難さ」
これは見る者に衝撃を与える術、これは何だ?と考えさせるパワーを指す。
度し難さにおいて重要なのは「上手さを競い合わないこと」と「リスペクトに細心の注意を払うこと」だ。
ほとんどのDJがここで間違える、上手いDJになろうとするし、そのために他のDJと鎬を削り合う。
そんなことをしていたって大衆に違いは伝わらないのに。
白がすでに200色あるのに201色目を作り出そうとしているようなものだ。
では、どうすれば度し難さを出すことができるようになるのか?
これは純粋に「コンテンツの掛け合わせ」になってくるだろう。
たとえば堅苦しいコンテンツや取っ付きにくいコンテンツを大衆化させることができるのがDJの強みなので、他のコンテンツとDJを掛け合わせることで見る者に衝撃を与えたり、これは何だ?と思わせることは可能だ。
ここに関しては過去に開催した企画にて仮説検証済みで、間違いないなという確信がある。
※過去開催企画1「ちるぽり」
堅苦しいコンテンツ(政治)とDJを掛け合わせた企画。
政治の話はつまらないと思っていたのだが、乙武さんの話が終始面白くて来場者も熱狂してくれたのでやってみて良かったなと痛感している。
※過去開催企画2「東京秘宝館」
取っ付きにくいコンテンツ(エロ)とDJを掛け合わせた企画。
AV監督を経て東京秘密基地で働いてる友人がいたので、彼を中心に合計3人の性のエキスパートをお招きしてトークセッションしたり、エロ同人誌の物販したり、DJしたり。
「度し難さ」はDJのポテンシャルを突き詰めることでもある。
銭湯×DJ
コスプレ×DJ
学校×DJ
建築×DJ
など、掛け合わせの種類や方向性は沢山あるのでどんどん試していければ面白い未来を描けそうだ。
しかし、掛け合わせする上で最も重要なのは「リスペクトに細心の注意を払うこと」。
建築とDJを掛け合わせるなら建築へのリスペクトを忘れてはいけないし、コスプレとDJを掛け合わせるならコスプレへのリスペクトを忘れてはいけない。「そんなの当たり前じゃん!」という話ではあるが、当たり前のことを徹底的にこなすのは何事においても重要だ。
例えばDJのブッキングやクリエイティブを交えたやりとりをしていると、その場のノリと勢いで話が進んでしまうことがよくある。
「とりあえず面白そうだからやってみようぜ!」という具合に。
こういった場面に出会した時にリスペクトを忘れないように「具体的な企画書を作成して打診する」という工程を挟むだけでもその後の流れは全然変わってくるし、結果的に良いコンテンツを生み出すことにも繋がってくる。
令和ロマンは熟練のDJ
コスプレや建築、銭湯、数学など別のコンテンツからDJに活かせることはないかと考えるのが好きなのだが、その中でも「お笑い」、特にM-1で二連覇を達成した令和ロマンのくるまさんは考え方がとてもDJ的だなと感じる。
「気温とか音響とか、その時々の環境を考えるのが好きなんです。例えば敗者復活戦の会場は野外の六本木ヒルズアリーナで、東京中の風が流れ込む。日が沈むとめちゃくちゃ寒いんです。寒いとお客さんは笑いづらくなるので、出順が遅いときついんですよ。そうなったらどうしようかなと考えて」
気温や音響、出順やお客さんの系統によってどう立ち回るべきか考えるという視点はまさしくDJそのもの。
令和ロマンはネットの記事、YouTubeの動画、書籍、どれを取ってもDJの参考になるような考え方が散りばめられているので最近は食い入るように目を通している。
下記の引用もとてもDJ的で勉強になった。
以前くるまさんが「令和ロマンの漫才は、構成を全世代向けにして、細かい言葉を若い人に刺さるように入れている」と仰っているのを拝見したのですが、それはどうしてでしょう?
「劇場のお客さんの層が混ざり合ってきたからですかね。
少し前のルミネtheよしもとやなんばグランド花月のライブには、昼はご高齢の方しかいなくて、夜は若い方しかいなかった。でもそれが最近はクロスオーバーしている印象です。お笑いが流行っていることもあって、お昼の公演にも若い方が来たり、アイドルみたいに“ある芸人”を目掛けて見に来る人がいたりする。以前はお昼はこの世代の人が多いからこのネタにしよう、ということができましたが、今はそういう話でもなくなっています。
特にお昼の寄席は、漫才や落語、様々な演目があります。せっかく劇場に見にきているのにあまりわからないな…という時間があるのは嫌じゃないですか。そんな人に向けても、楽しんでもらえるように工夫して、いろんな世代の方がわかる漫才をしつつ、そこにちょいちょい若い方々が笑えるようなワードを入れています。
令和ロマンのくるまさんは出身が僕と同じ東京都練馬区であることもあり、勝手に親近感を抱いている。いつかDJとして令和ロマンと一緒にお仕事できたら、、、きっと楽しいに違いない。
DJのSNSは気持ち悪い
良い感じの話が続いていた中で水を差すような見出しにしてしまい申し訳ない。薄々気づいてはいたのだが、どうやらDJのSNSは気持ち悪いようだ。
たとえばThreadsでDJの投稿を見かけると、そのほとんどは長文のお気持ち表明、愚痴、不満、陰口だったりする(そもそもThreadsは不完全燃焼のクリエイターと愚かな美人を収容するための介護施設みたいなものなので仕方ないが、、、)。
ではInstagramはどうだろうかと見てみると、よく分からんイベントの告知と騒がしいパーティの投稿ばかり。
再生数を伸ばすためにしょうもない動画をあげているDJも結構いる。
そして、たまにDJからDMが来たかと思えばイベントの勧誘だ。良いイベントに誘ってくれるなら喜んで足を運ぶが、ほとんどのDJは内容がクソみたいなイベントでも自分が関わってるからという理由だけで勧誘してくるのでタチが悪い。
総じてDJのSNSは気持ち悪くてつまらないので、ミュートした方が良いと思うのだ。正直フォローする価値もない。
僕もDJとしてInstagram、Threads、YouTubeを運用しているが、こういった価値のないSNSにならないよう注意を払っているし、音楽へのリスペクトと愛を忘れずにまっすぐな投稿をしているDJもいるので彼らのことは心底リスペクトしている。
ここまで読んで「わざわざ他のDJの悪口言わなくても良いじゃん」と思う人もいるかもしれないが、そもそもこれは僕自身が歩んできた道のりでもある。
Threadsで愚痴を吐いていた時もあったし、Instagramで価値のない投稿やクソみたいなDMを送っていた時もあったし、再生数に囚われてしょうもない動画ばかりYouTube、TikTokにあげていた時もあった。
人間的にも素晴らしいとは言い難い、言葉の端々に人格が宿るとしたら今でも僕はなかなかのクソ野郎だと思う。
しかし、だからこそ身に染みて痛感しているのだ。
「人々に良い空間や音楽を届けることを生業としているDJがSNSにすら気を回せないのはダサすぎる」と。
最後に愛情の話をしよう
「DJをディスった次は愛の話か?感情の起伏どうなってるのお前?」とツッコみたくなるかもしれないが、クリスマスに坂本龍一を聴きながらこのnoteを書いてるので感情の起伏が激しくなってしまうことには目を瞑っていただきたい。
さて、なぜ最後に愛情の話をしようと思ったのか。
それはやはり自分がDJをやる中で愛情が1番大切と感じたからだ。
僕たちが生きている世界は時代的に言えば「皆それぞれの孤独を抱えている時代」なんじゃないかと思う。
起業家の友人に会えばお金と業績しか見てもらえないことに孤独を感じているし、容姿の優れた友人に会えば顔と若さしか見てもらえないことに孤独を感じているし、クリエイターに会えばバズったコンテンツしか見てもらえないことに孤独を感じているし、会社員の友人に会えば変わり映えのない日々に孤独を感じている。
誰しもが心のうちに気持ち悪い一面や偏愛を抱えていて、それを曝け出せないことに葛藤しているし、SNSで表面的な部分だけ繋がった交友関係が増えていくことに諦めに近いような気持ちを抱いている。
僕もそんな孤独を抱く人間の1人のわけだが、音楽やDJに救ってもらった。
DJなんて全然稼げないし、社会的な地位も低いし、業界の風習にも納得いかない部分が多いし、褒められた選択肢じゃない。
だけど僕は音楽が好きで、明日交通事故に遭って両腕が使い物にならなくなったとしても足でDJできるように練習しようと思うくらいにはDJを愛しているから今もこうして続けている(足でDJしている男、想像するとだいぶシュールだけどね)。
そして、愛情を持ってDJを続けているからには僕のコンテンツに触れてくれた方々に少しでもプラスになるような何かを提供できればと思ってる。
孤独を和らげるでも、場を盛り上げるでも何でも良い。
少なくとも僕を知ってくれたことを後悔はさせない。
まあ愛情の話はこれぐらいで。
年末に書き始めてしまったせいか柄にもなくペラペラと語りすぎた。そもそもDJがnoteなんて書くもんじゃない、あー恥ずかしい。とはいえ書いた内容に嘘はないし、後悔もないので良しとしましょう。
最後に、ここまでnoteを読んでくれた方々に心の底から感謝を。
本当にありがとう。
いつか素敵な音楽が流れる空間でお会いしましょう。