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長らく人生の主役は自分じゃなかった話

「あんたは育てやすい子やったわ」

母からお墨付きをもらった通り、私は昔から空気を読むのが得意だった。
自己主張のかけらもなく、わがままを言ったこともない。

人生は選択の連続だ、なんてよく言うけど私は自分で選んでいるようで誰かの意見に追従しているだけだった。


もちろん家庭環境は大きかった。

10歳上の姉はいわゆる重度障害者1級で、自分の意思で体を動かすことも話すこともできない。

そんな姉の世話にかかりっきりの両親を見ていたので、この人たちの手を煩わせちゃいけないと小さい頃から思っていた。

自分でできることは自分で。
欲しいものがあってもわがままは言わない。
言われたことは守る。

どこにいっても借りてきたネコ状態の私は、「おりこうさんやねぇ」と周りの大人に褒められ、余計におとなしい性格を助長させて育った。

小学生になってからは体力をつける為にスイミングスクールに入れられた。

私はアレルギー性鼻炎を患っていたので口呼吸しかできない。
鼻をつまんで泳ぐことを想像して欲しい。
水中で口呼吸しかできないのは致命的だ。

結局3年間かけて『背泳ぎだけやけに早いマン』が誕生することになる。
人生で背泳ぎが活躍する場面はあまりに少ない。


スイミングに絶望していた私に親はスイミングを続けるか塾に行くかの2択を提案する。

そんなもの選択の余地はない。
私は迷わず塾に行くことを選んだ。

塾でも持前の素直さを発揮し、勉強に励んだ。
おかげで地域で1番人気があった中高一貫の進学校に無事入学できた。

中学では1番仲の良かった友達が入ったからという理由でテニス部に所属し、大学もその時仲の良かった友達が志望したからという理由で薬学部を選んだ。


あれもこれもどれも、全て誰かがイイネと言った道を選んできた。

だってそれが安心安全を担保された道だもの。


すっかり甘ったれた根性のまま結局私は9年間大学に在籍し、博士課程まで進学する。

そこで大学に残るか、企業に勤めるかの二択となるが、これまた尊敬する研究室の先輩が就職した企業に入ることを希望した。

先輩が入った企業というのは業界トップの一流企業。
一応先輩の口利きもいただいてはいたが、残念ながら私が採用されることはなかった。

この時26歳。

ここに来てようやく、なかば強制的に自分の進路を自分で選ぶこととなった。


そこからの15年間、選択しては壁にぶつかることの繰り返しだ。


就職。

結婚。

家の購入。

出産と育児。

いずれも決まった道があるわけではない。初めての経験でも自分で選んで決めなくてはいけない。

あれもどれもこれも、一筋縄ではいかない。

時折りふと考える。
あのまま順調に先輩と同じ会社に入っていたら。


やはりそのまま大して疑問も持たずに誰かがイイネと言う道を選び続けたのではないか。

ここぞと言うときに親や他人の顔色を伺って、ものごとを決め続けていたのではないか。

いい大人が誰かの選んだ道を進むことを無責任というのだろう。

それに比べて今は凸凹道ばっかりでまともに進むことなんてできない。

それでも人が選んだスムーズな道を通っていた時には決して味わうことのできなかった満足感を感じている。

苦労するからこそ、得られる喜びも大きい。

自分で選んだ道だから後悔しない。

誰かが引っ張ってくれる人生は26年かけてようやく卒業できた。


おかげで今、人生の主役は自分だと胸を張って言えるのだ。


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