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太宰治と三島由紀夫
太宰論を書いたら、さいわいなことに、おおむね好評だった。
ところが、三島をあれだけ否定的に描きながら、太宰には好意的な態度をとっている、おまえは太宰派か、という声がある。
しかしそれは、誤解である。私には、三島を肯定的に、太宰を否定的に書くこともできた。ただ、そうはしたくなかったのである。
三島由紀夫はみずからの命を日本に奉げた稀有の文士であり、太宰治は、背徳的で破滅型の自堕落な小説家であるというのが、世間の「常識」である。
私はこの「常識」に反抗したまでだ。へそまがり、といえば、そういえなくもないが、たんなる「逆張り」でもない。
よくいえばそれは、福田恆存ゆずりの「平衡感覚」である。世間の常識を疑い、それと距離をおき、バランスをとる。そうすることで見えてくる真実というものがある。それが、批評というものではないか。
三島由紀夫は、折にふれて、太宰を批判する言辞をもらしている。太宰の「苦悩」なんて、体操でもして身体を鍛えれば、雲散霧消する程度のしろものだと、くちをきわめて否定している。
告白するが、私も学生のころ、三島とおなじように考えていたところがある。太宰が好きなどといえば、沽券にかかわる、そんな気がしていた。
ところが、社会にでて、さまざまな経験をするうちに、ふたたび出会った太宰の「心づくし」が、しんそこ、身にしみたのである。
三島由紀夫にしても、自身、ボディビルで肉体改造し、白刃を振り回せるようになってなお、かれの「苦悩」は解消しなかった。
ある批評家が、「知行合一」を唱える三島に、それではあなたは太宰と同じではないかと難じたのに対して、そうだ、俺は太宰と一緒なんだ、と答えたという、晩年のエピソードが伝えられているのだが、その真偽は不明であるにしても、いかにもありそうなことだと、私にはおもえる。
強くあらんとする人間の意志を否定するものとして、三島は太宰を躍起になって非難した。そこは、私も同感なのだ。
太宰は、「貧しき者は幸いなり」というイエスの言葉の真意を誤解していると、私にはおもえる。
しかし、三島由紀夫はその点で、太宰の主張をたんに、さかさまにしているだけであるように、私の眼にはうつる。
弱さが善でないとすれば、強さもまた、善とはいえない。そして、二人とも、どうしても人を愛することのできぬ自分に、絶望していたのである。
太宰と三島はぜんぜん似ていないし、まったく逆の方向にむかって歩んだといってもいいのだが、出発点と終局には、パラレルな共通点があるようにおもう。それどころか、かれらの人生が示した曲線を、背中合わせに重ねると、奇妙に似通った軌道として処理しうるとさえおもえる。
私はたしかに、太宰文学を弁護するために、プラスの札ばかりをならべて見せたかもしれない。しかしその札を、いち枚いち枚、裏返してゆけば、太宰治の否定面が見えてくるように、書いたつもりでもある。
よく読めば、どなたにも、解ってもらえるとおもう。
ただいえることは、太宰にしても、三島にしても、私がかれらの否定面であるとみなしている諸問題は、けっして他人事ではなく、私にとってもまた切実なものにかぎられる、ということだ。それどころか、われわれ日本人すべてに通底する問題であるとすら、考えているのである。
アナトール・フランスは、「クランビーユ」のような救いのない小説を書くいっぽうで、「聖母の軽業師」のような幸福な小説を書くことができた。「ドレフュス事件」をはげしく非難しながら、アカデミー・フランセーズの会員に迎えいれられ、ノーベル賞も受賞し、堂々たる文学者の生涯をおくることができた。そこに、太宰のような自己矛盾を感ずることも、三島のように文学と行動の背理を見いだすことも、まったくなかったのである。
それはかれに信仰があり、神があったからだ。そして、そういう同意にもとづいた社会にささえられていた。少なくとも、フランスはそう感じていた。人間の力では、もうどうにもならない諸問題を、神の領域にあずけることができたのだ。
いうまでもなく、太宰や三島には、そういうものはなかった。近代日本の混乱した社会は、なんのささえにもならなかった。かれらは孤独だったのだ。
ふたりとも、神を、絶対者を、心からもとめていたのだが、その存在を実感することはついにできなかったし、そういう自己に嘘をつくこともまたできなかった。それゆえ、かれらは自分のかぎられた短い人生の時間のうちで、それも独力で、みずからの課題に片を付けるしかなかったのである。
だからこそかれらは、市民の論理を超越し、世間のごまかしごとを粉砕しうる、絶対にぶれない自己の拠り所となるものを見いだし、さらにはそれをつくりださんとして、みずからの生命を燃焼し尽くしたのである。
神への強い思慕が、自己救済ではなく、自己破壊にしかつながらなかったということに、かれらの――いや、われわれ日本人のつらい宿命が黙示されている。
私は、いまもなお太宰の真意は理解されてはいないと書いたのだが、たしかに理解はされていないにしても、じっさいには、多くの日本の読者にそれは、確実に感じとられているのである。
太宰のほとんどの作品が複数の文庫におさめられ、新しい読者を得て、絶えることなく、ずっと読まれつづけているのはそのせいだ。むろん、三島由紀夫にも同じことがいえる。
この二人の不幸な天才の作品は、現代に生きるわれわれに贈られた、かけがえのない宝物である。かれら自身は救われなかったかもしれないが、われわれにとってそれは、ひとつの救いとなる。そこに、文学というものの偉大さがある。
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