あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 3/5
2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。
目次
1. 空間と空気感に触発されるエネルギー
2. あそびが培う身体感覚の豊かさ:「日本と海外の伝承遊びで体幹作り」
3. 子どもから学ぶ創造力:「紙皿大変身!~自然の枝葉や実で工作しよう~」
4. 身体技法で培う心の持ち方:「合気道の動きを入れた体操と呼吸法に挑戦!」
5. コミュニケーションの基本に立ち戻る:「海外の人ってどんな人?留学生と対話してみよう!」
6. 音楽と静寂が調える陰陽のエネルギー:「リトミック音楽&キューバの歌ってどんなの?」
7. 大人の日常にこそ、あそびを
5. コミュニケーションの基本に立ち戻る:「海外の人ってどんな人?留学生と対話してみよう!」
この日初対面だった子どもたちも、この頃にはすっかり仲良しになっている。ハンカチ落としでは、お母さんの隣に座ろうと画策する姿もあったが、後方に座る大人には見向きもせず、異年齢の子どもたち同士でじゃれ合っている。緩みすぎた場の空気は、張り詰めた緊張感と同じくらい、進行役の立場には、難しい局面だ。進行を担うのは、大阪に来る留学生のサポートに携わる若者グループ。前のアクテビティの興奮冷めやらぬ子どもたちと軽い会話のキャッチボールから入っていった。
Zoomの画面に、阪大の留学生だったというオーストラリア人、マレーシア人の女性2人が並ぶ。だが、大人のZoom会議のようにはいかない。子どもたちにとって、周囲の子どもたちや進行役の若い男性のリアルな存在に比べて、オンライン上の二人の女性は、まるでテレビ画面のように画像としか認識されていないようだった。進行役の男性は、そんな子どもたちと目線を合わせて、心を通わせ、その上で、子どもたちの意識をZoomの画面に導く。注意も離れやすい。アイ・コンタクトやクイズの問いかけが、子どもたちを引き戻す。本が好きという女の子が一番集中力を持続させているようだった。漠然と画面を眺めるのと、会話相手に対してチューニングインするのは、全く質の異なる意識の向け方だ。目の前の男性の介在を得て、子どもたちは「何を食べていますか?」「赤ちゃんはどうやって育つの?」「夢は?」とヴァーチャルな存在の二人に開いていく。
リアルか、オンラインか、日本語か、英語か。私たちは日々コミュニケーションの手段に終始していないだろうか。小学校に英語教育が導入されて、かえって、英語嫌いの子どもが増えてしまったという。コミュニケーションは、言葉ではない。大切なのは、相手の存在をしっかり受け止めて、繋がること。
子どもとの会話は、むしろ大人にとって、コミュニケーションの基本に立ち戻る訓練になる。
(続く)