あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 4/5
2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。
目次
1. 空間と空気感に触発されるエネルギー
2. あそびが培う身体感覚の豊かさ:「日本と海外の伝承遊びで体幹作り」
3. 子どもから学ぶ創造力:「紙皿大変身!~自然の枝葉や実で工作しよう~」
4. 身体技法で培う心の持ち方:「合気道の動きを入れた体操と呼吸法に挑戦!」
5. コミュニケーションの基本に立ち戻る:「海外の人ってどんな人?留学生と対話してみよう!」
6. 音楽と静寂が調える陰陽のエネルギー:「リトミック音楽&キューバの歌ってどんなの?」
7. 大人の日常にこそ、あそびを
6. 音楽と静寂が調える陰陽のエネルギー:「リトミック音楽&キューバの歌ってどんなの?」
音の響きは、子どもたちの発想を誘発しているようだ。「空手」から「唐揚げ」、「キューバ」から「9」。子どもの発想は、音を起点に、大人の世界のものごとの概念や分類を超えて、広がっていく。だから大人には子どもの発想が自由奔放に見えるのだろう。
人の身体には、音の波動が内在しているのではないか、と思うことがある。リズムを聴くと、自然とリズムに合わせて身体を動かしたくなる衝動が生まれる。ウォームアップのゲームは、そんな衝動を解き放つあそびだった。子どもも大人も、ピアノが弾かれている間は広いスペースいっぱいに自由に動き、音が止まったときは、どんな不自然な格好をしていても、その場で固まり、一切身動きしない。キューバ出身のピアノ奏者が、静寂の中、固まった人たちの間をゆっくり歩き、本当に動いていないか、厳しい目で検証する。彼が真剣な眼差しを向けると、子どもたちは息を殺し、小さな身体に力が入るのが感じられる。目があうと、くすっとこぼれる笑いを一生懸命こらえる子どもたち。音楽と静寂の反復が、それ自体、場に流れるリズムを生んでいる。
ピアノの音色にのって身体がほぐれたところで、今度は、リズムの伝言ゲーム。親子2チームに分かれ、キューバ人講師に倣って1チームが手足でリズムを打ち、もう1つのチームがそれを反復する。目と耳を講師や相手チームに集中させ、リズムを感覚で掴む。言葉の伝言ゲームより、リズムの伝言ゲームのほうが正確に伝わる。繰り返されるリズムは、やまびこのように耳に心地よかった。
身体がリズムに馴染んだところで、キューバの楽器であるマラカス、タンバリン、トライアングルが登場する。参加者それぞれが楽器を手に持ち、まずは音を出してみる。講師の奏すリズムに倣って、楽器で反復する。あそびのステップを踏んで楽器を手にすることで、楽器が身体の延長であることが一層強く意識された。
最後に登場したのは、ハンドパン。深い、奥行きのある音が響く。講師の周囲に子どもたちが集まり、興味津々で楽器に触れる。「内側が空洞」という発見に興奮。好奇心に導かれて、叩く角度や場所を変え、音色の深さや響き具合に耳を澄ませる。工作と同様、人とモノの触れ合いから、一期一会の音色が生み出される。
締めに、静寂の時間を参加者全員で共有した。ハンドパンの落ち着きある音の響きに身を沈ませて、ひとりひとり仰向けになって目を閉じる。ヨガのシャヴァーサナのように。瞑想の時間を「何もしない時間がよかった」と話す子もあるという。音楽と静寂の反芻が動と静のエネルギーをバランスさせて心身を調えてくれたようだった。
(続く)