米田祐子

米田祐子

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「じぶん」をつくっているもの

未知のものに足を踏み出すときには、ワクワク感と不安が入り交じり、神経を細部まで覚醒させる。その一方で、慣れない環境や役割に身を置くと、身体も心も強張り、自然体でいることが難しい。新しい環境で、周囲との関係性を探りながら、もう一度、自分を作り上げなくてはならない。その負担感は人それぞれだが、5月病というのは、誰しも通り抜ける調整のプロセスなのだろう。 人は、それぞれの文脈の中で生きている。物事が細分化されてしまった世の中では、あたかも、人は一人で生きているように見えるかもしれ

    • あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 5/5

      2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。 目次 1. 空間と空

      • あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 4/5

        2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。 目次 1. 空間と空

        • あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 3/5

          2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。 目次 1. 空間と空

          あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 2/5

          2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。当日の5つの探究プログラムを通して、「あそび」について考えてみる。 目次 1. 空間と空

          あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 2/5

          あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 1/5

          2024年4月に應典院のあそびの精舎構想が始動した。「葬式をしない寺」として、人の心に寄り添う本来のお寺の営みに立ち戻り、地域の暮らしに根差したライフコモンズの在り方を探ってきた應典院の新たな挑戦である。共に遊ぶことで、世代を超えて、生命の繋がりに気づき、生きることを見つめ直すというその構想に心打たれて、3月23日に開催されたオープン記念プログラム「子どもいろいろ探究フェス」に参加した。 瀟洒な洋風の應典院の建物は、本堂の脇、壁を隔ててすぐ通りに隣接するところにたたずむ。奥

          あそびが解き放つ生命のエネルギー:あそびの精舎訪問記 Part 1/5

          怒りの感情との向き合い方、手放し方

          相手の内から湧き上がる怒りのエネルギーに画面越しでも影響を受けた。怒りのエネルギーに力を吸い取られてしまい、消耗。思い通りにいかない状況の責任を全て私に課すかのような口調で詰問され、私自身の言葉で情況を語るスペースを奪われた。いったん距離を置かないと自分を保てない。それなのに、その後、気をそらそうとしても、自然と意識がそちらに引き寄せられるように向いてしまう。 以前、上司に「フィードバックは、半分あなたを、半分フィードバックをくれた相手を反映している」と言われたことがある。

          怒りの感情との向き合い方、手放し方

          リーダーシップ再考

          「なんで私ばかり」 ものごとを切り盛りする役割を担うときは、それなりの覚悟を以て引き受けるが、それでも弱音を吐きたくなる時もある。 特に、労われることもなく、役割をこなすことが 空気のように当たり前と思われている環境にあると、一層徒労感が増す。 その気持ちを紐解いてみると、役割をこなすこと自体の負担、 というよりも、自分も生身の人間として受容してほしい、 という根源的な欲求が満たされないことのほうが大きいのでは、と思う。 自分の想い、気持ちを受け止めてほしい、という欲求は、

          リーダーシップ再考

          あらゆるものごとに内在するリズム

          目を瞑って、呼吸に意識を向ける。吸って、吐いて、繰り返されるリズムに頭部、喉、胸、腹部がすべて連動して動く。心臓の鼓動も、全身を巡る血液の流れも、意識下で働いてくれているその他の臓器も、すべて同じリズムを刻む。私自身を自分の内側の生命のリズムに同化させると、ふわふわしていた意識が引き戻され、心が落ち着く。 調子のよい掛け声とともに、杵を振りかざしては降ろす人と、手元の水に手を浸しては、臼に手を伸ばして白いお餅を返す人とが、リズムよくお餅をついていく。取り巻きには小さな親子連

          あらゆるものごとに内在するリズム

          「うまのまにまに」体験記:馬から学ぶ生命の在り方

          遠野へクイーンズメドウ・カントリーハウスの創設メンバーであるTさんの言葉の奥深さに心を動かされて、迷わず「馬と過ごす2泊3日のプログラム:うまのまにまに〈秋編〉」に申し込んだ。 遠野は、北上川流域の都市部とリアス式海岸の沿岸域の漁港のあいだの山間地域にある。山間部と言っても、決して閉ざされた土地ではなく、武家の城を擁し、海と山の民衆の往来があった。古くから馬と暮らす文化があり、今も全国有数の馬の里なのだという。現実と幻想の間に、神聖なもの、妖しいものが渾然一体となって人々と

          「うまのまにまに」体験記:馬から学ぶ生命の在り方

          繋がりを回復してくれる手の力

          「ゆき」という東洋医学の技法が話題に上る。対角線上に両手で患部を挟むように、 でも患者の身体には直接触れない位置に手を持ってくる。患部は冷えているが、そこ に手の温かみが伝わり、血液が固まらない。打ち身にならずに血が巡る。 そう解説してくれた彼は、「西洋医学の医者は数字しかみない。パソコンの画面にくぎ 付けで、患者の顔も見ない。」と不満を漏らす。 いつものように、ヨガの先生が、力の入った私の肩をそっと手でなでおろしてくれた。い つも、知らないうちに、肩に力が入ってしまってい

          繋がりを回復してくれる手の力

          平穏無事

          家族で迎えるお正月。お重のお節料理。お屠蘇に酔って、炬燵で寝てしまう父。駅伝の応援に熱の入る母。他愛のない会話に笑いが弾ける。毎年、この季節が巡って来ると繰り広げられる馴染みの光景に、どこか安心感を覚える。 一方で、世界各地では、出口の見えない戦闘が続く。新年早々、立て続けに起こる震災や事故。あまりにも突然に、状況は一変する。生命の危険に瀕し、愛しんできた全てを奪われ、思い描いていた夢や希望を断たれ、言葉を絶する苦しみにある人々に、その一人一人の人生に、思いを馳せる。 平

          新年を迎える準備

          普段手を入れないところまで、身を入れて大掃除をする。いったん手を入れ始めると、その周囲のこまごましたところも、気になりだす。棚の上にあるもの、中にあるもの、ひとつひとつの形をなぞって拭くと、慈しむ気持ちが湧いてくる。こぎれいに整った空間を眺めて覚える清々しさ。大掃除をすること自体が禊かもしれない。新しい年に向けて、気持ちの入れ替えになる。私の日常の生活空間を彩るものとの関係性を紡ぎ直しながら、毎日を丁寧に暮らしていこうという気持ちになった。   手書きで人にメッセージを送るの

          新年を迎える準備