東京 麻布十番から伊豆下田へ、移住で手にした家族の時間
「東京からもそんなに遠くないから・・・」
移住を考えている人が下田を訪れた時の理由の1つとしてよく挙げられます。下田の魅力は関東圏から近いことだけではないのです!
伊豆半島の南端で自然に囲まれた下田市。観光地としても関東圏からの人気は高く、移住先としても選ばれるようになってきました。自治体としても2018年から移住・定住促進にも力を入れています。
そんな下田市に2019年末に移住された村中さんご家族。(村中勇太さん、奈緒代さん、沙千楓ちゃんの3人家族)下田への移住を考え始め約1年で下田への移住が実現しました。東京での生活では得られなかったもの、移住の悩みやエピソード、そして下田で叶えた家族の生活について聞いてみました。
ーー下田へ来られる前のことを教えてください。
勇太さん(以下、勇):東京で育ち、調理師専門学校を卒業後、両親が経営している麻布十番の飲食店で15年働いていました。妻は大学を卒業後はOLをしていました。夫婦と娘の3人家族で東京生活をしていました。
ーー移住を考えたきっかけは?
勇:一番の理由は子供と過ごす時間、家族と過ごす時間がなかったことです。私が飲食店で働き、妻はOLでしたので、基本的には土日が休み。休みが合わないことも多く、帰りが遅くなるなど子供と接する機会も少ない生活でした。
もともとは移住することが目的ではなかったのですが、「家族との時間をつくるにはどうすれば良いのか?」と考えた時、「移住」という選択肢を知りました。
東京で育ち、田舎の実家というものがなかったので、田舎暮らしへの憧れもありました。
ーー奈緒代さんはどう思われましたか?
奈緒代さん(以下、奈):主人から初めて「移住したい」と話があったときは、正直ビックリしました。私も田舎暮らしに興味がないわけでもなかったのですが、それは定年後の話かなーと考えていましたので、「えっ、今?!」と思いました。
ーーなぜ下田だったのですか?
勇:人に恵まれたことですね。
移住を考え始め、有楽町にある移住者相談窓口に行きました。そこで窓口の方が下田市の移住担当の方を紹介してくれました。熱意のある担当者ということで紹介された渥美さんは、移住に対してとても親身になって対応してくれました。
そのような人に恵まれたことが下田への移住を決めたきっかけの1つです。
あとは「もしも仕事に困った時」に調理師の資格を活かすことができるということがあります。仕事に対しては全く違う仕事をしたいという思いがありましたが、調理師の資格を活かせるという理由で「観光地」を選びました。観光地だとホテルや旅館などで調理師の需要がありますので、資格を活かすことができるんです。
ーー下田を選ぶにあたってどのような情報が参考になりましたか?
勇:渥美さん始め市役所関係の方々からの情報はもちろん、移住者の先輩である津留崎家のコロカルの記事もよく見ていました。
勇:また、渥美さんに紹介されて宿泊した、温泉民宿勝五郎さんにもとてもお世話になりました。同じ移住者であり、家族構成が近い人と移住についての話ができたことがとても良かったです。その時に津留崎さんも紹介していただき、一緒にたくさんお話しができました。
ーーありがとうございます。勝五郎にご宿泊にいただいたのが2019年1月でしたので、最終的に12月の移住まで1年経たなかったですね。笑
※勝五郎は「移住希望者滞在費補助金」(移住を目的とした人の滞在費の一部を補助する制度)の指定施設にも登録していて、私たちも夫婦で下田市の移住・定住支援サポーターをやっています。
ーー移住を考える時に課題や問題はありましたか?
勇:お金と仕事(就職)ですね。
ですが、移住支援金の制度(※)を利用することで一度に解決しました!移住のために必要な資金を支援していただき、さらに就職先を決めることができました。
この制度がなかったら本当に移住できていなかったと思います。移住するために貯金などもしていましたが、すぐに移住できるほどではなくどうしようかと思っていました。そんな時に支援金の話を紹介していただき、これも決め手の1つになりました。
仕事は静岡県実施のマッチング支援事業対象の会社に就職することができました。
(※)移住支援金・起業支援金(地方創生推進交付金)
東京圏から下田へ移住した際、県実施のマッチング支援事業対象の会社に就職するなど、一定の要件を満たした場合に支援金が支給される制度。
移住支援金は一世帯あたり100万円、企業支援金は最大200万円。
奈:とんとん拍子に移住の話が進み、主人の就職先が決まったことで、あっという間に移住が決まってしまいました。
ーー本当にあっという間でしたね。急な環境の変化は大丈夫でしたか?
奈:実は、私は心の整理がつかないまま下田への移住が決まり、全く知らない土地での生活が始まりました。都会の生活から一変して、家から山が見える生活・・・。移住して1ヶ月も経たないうちに、喧嘩をしたこともありました。その時はまだ知り合いも少なく、本当に淋しく、頼れる人がいないんだと思ってしまいました。
それからしばらくして、「下田マニア」の方々が私たちの歓迎会を開いてくれました。そこで新しい出会いが沢山あり、家族ぐるみで遊びに行ける仲間とも出会うことができました。
「下田マニア」とは、
移住希望者と下田市民が交流するためのFacebookグループです。定期的なイベントを開催することでお互いが交流しやすい環境作りをしています。
※「下田マニア」のFacebookグループは非公開グループのため申請が必要。
ーー移住後の人間関係や知り合いづくりは大変ですよね。
勇:移住するにあたって乗り越えないとならない課題などを山に例えると、移住者には移住する前の山と移住した後の山があるんです。移住する前に知り合いがいたり、コミュニティーがあったりと、人と人の繋がりを作ってからの移住の方がうまくいく気がします。「下田マニア」というグループがその部分をフォローしてくれているのでとてもありがたいです。
ーー移住後の生活はどうですか?。
勇:仕事でもプライベートでもとても人に恵まれていると感じます。
プライベートでは休日を利用して家族で色々なところに行ったり、交流会やイベントに参加して下田の環境を満喫しています。先日も移住者の先輩の稲田さんの田んぼのお手伝いに参加しました。
奈:私は東京時代には持っていなかった車の免許も取得し、「これから下田で生活していくんだ」という気持ちが徐々に固まっていきました。悩むこともありますが、それでも周りの人たちに支えられ、助けられ、毎日楽しく生活できています。
ーー今の仕事についてはどうですか?
勇:SHKという地元のケーブルテレビの会社に就職しました。そこで電気通信関係の仕事をしています。
今の仕事は前職とは全然違う仕事なので新しく覚えることも多く大変ですが、やりがいもあり満足しています。職場環境、同僚にも恵まれ充実しています。仕事は基本定時に帰れるので、しっかりと家族と過ごす時間を作ることができています。
ーー奈緒代さんもお仕事はされているのですか?
奈:保育園のママ友や友人に紹介してもらった民宿や飲食店でアルバイトをしています。仕事をしてみると、いろいろなところで知り合い同士が繋がっていたりすることがあり、いい意味で狭い町だなーと感じることが多いです。その環境を心地良く感じるようになった自分は、すっかり下田市民になっているのかも!!と思いました。
ーー下田に来てよかったと感じることはありますか?
勇:娘がすれ違う人に挨拶するようになりました!東京にいるときはすれ違う人に挨拶をすることなんてありませんでしたが、下田ではそういうことが自然にできるようになりました。移住してもうすぐ10ヶ月ですが、子どもにも良い環境だと感じます。
ーー自分たちの経験も踏まえ移住を検討している方へのメッセージなどはありますか?
奈:生活環境や風習の違いはありますが、まず思い切って飛び込んでみること。周りの人たちに頼ってみること。そして、1つでもいいから自分の場所を見つけること。私は仕事を始めて、自分発信の知り合いを家族に紹介できたことで大きく変わりました。
主人について来たから下田で生活をしているわけではなく、自分自身も下田での生活や人間関係を育んでいるという実感で下田での移住生活と向き合うことができるようになりました。また、主人が望んでいたような家族の時間も手に入れることができました。毎日夕ご飯を一緒に食べて、一緒に寝る。当たり前のことかもしれませんが、私たち家族にとってはとても新鮮で幸せな時間です。
下田の魅力を聞いたとき、一番に「人」を挙げてくれた村中さん。家族の時間とともに素敵な交友関係も作られていました。そして、とても人に恵まれていると感じました。
移住については生活環境や仕事環境の変化で悩みや問題もたくさん出てきます。その中でも、人と人の繋がりやコミュニティーづくりはとても大切です。それが移住前からしっかりと作られることで、安心して移住できる環境がつくられます。コロナの影響もありローカルの魅力がより見直されてきている中、下田としてよりよい移住・定住環境、受け入れ態勢を整えることが、今後の移住促進にもつながるのではないでしょうか。
ライター:温泉民宿 勝五郎 土屋尊司(下田市移住・定住支援サポーター)
写真提供:村中勇太、津留崎徹花(5枚目)、西川力(6、7枚目)、稲田みのり(8枚目)※写真は上から順に(トップ画像含む)