「責めない生き方」が「楽に生きる」ことにつながる一番の近道
与えられることに慣れた人は、当然、与えられなくなれば他者を責める。原因を考えようとはせず、結果のみで判断し、状況も理由も理解しようとはしない。それはとても不幸なことだ。
不満や不安は自己の有り様でいかようにも解消や軽減できるのに、だ。責めない生き方、というのは精神鍛錬や我慢などではなく、自分の心がどれだけ楽でいられるかという工夫のひとつなのだ。人も自分も責めない、攻撃しない、ただ理解し、受容する。自分の心が傷つくのなら、傷つかないように歩み方を変えればいい。他者を変えられないことはないが、その前に自分を変えたほうが楽だし、すぐにできるし、好きなようにアレンジできる。
それでも状況が打開できないときは他者にぶつかればいい。離れることも消すこともできない相手にのみ、やる。このとき重要なのは、「相手を責めない」。だから感情で説明する。理屈で説明してしまうと、相手は「責められた」と感じる。責める、とはつまり、「自分は悪くない、正しい。相手が悪い」と善悪で判断することだからだ。従って「自分はこれこれが耐えられない、共に生きていくために変えてほしい」と頼むのがうまいやり方だ。
もうひとつ重要なのは、「自分の行動の結果は全責任を持つ」こと。それで相手がどう出ようとも、それによる結果は飲み込むことだ。
優秀な反面教師、環境の過酷さーーいわゆる毒親、いじめ、DV……いろいろな現場に立ち会ってきて得たひとつの「途上」が以上の論理である。
ここにライフログとして記しておく。