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あえて「前向き」に生きないこと


「悲嘆からの立ち直り」とか、「悲しみの克服」とかという言葉をよく聞きます。精神医学の領域でも、長期間悲嘆の状態にある人を「病理的」なもの(つまり病気)として、医療の対象に囲い込もうとしています。人の生き死に、死別の別れという、極めてプライベートで実に人間的で「自然」なことにまで、自然科学的な精神医療の枠組みの中に囲い込み、それで「食って」いこうとしている自称専門家や大学、研究機関があることに、一心理臨床家として呆れるとともに、憤りを覚えています。

 それに対する私の正直な気持ちは、「全く余計なお世話だ。いいかげん放っておいてほしい」です。立ち直りたい人は立ち直ればいいし、「前向きに」生きたい人は生きればいいのです。

 大切な人を失って悲しいのは当たり前のことです。その愛情や思い、そして一緒に過ごした時間が貴重であればあるほど、喪失の悲しみが長く続くのは自然なことです。一生、悲しみを抱いて生きる人がいたとしても、その人がそうしたいのであれば、他者がどうこう言うべきことではありません。

 ただ、世間の人は(家族も含みます)、死別の悲しみに暮れている人を見ると、自分自身も不安に陥ります。「もし自分の身にも同じことが起こったらどうしよう」という不安です。その無意識の不安を否認するためもあって(もちろん善意からですが)、死別した人が「(過去に囚われるのではなく)前を向いて生きる」ことに熱心に手を貸してくれます。

 もちろん、周囲の期待に沿って、そのようにしたい人はそうすればいいのです。でも「普通の生活」「以前のあなた」に戻って欲しいと思っている人の期待に過剰に適応しようとすると、見えないところで大きな負担を、自らの心身に強いてしまい、その結果、却って落ち込みがひどくなったり、燃え尽きてしまうことがあるので、注意が必要です。

 特に、死別後間もないときは、混乱の極地にありますので、あらぬところにエネルギーを過剰に注ぎ込み、ついつい頑張りすぎてしまって、後になってガックリと気分が落ち込んでしまうことがあります。それは言い換えれば、周囲の期待に「過剰適応」することで、そんなことはいつまでも続けられるはずはなく、いずれは「燃え尽き」てしまいます。死別間際で、ただでさえ心細く、孤独感に陥っている人が周囲に同調することで孤独を回避しようとすることは止むを得ないことで、実際に大部分の死別者が家族や友人、同僚など、周囲の人たちに「過剰適応」してしまっている状況は、とても起りやすいことです。

 私の経験では、こういう時もっともありがたい他者は、何も言わずに、ただ黙ってそばにいてくれる人です。でも、それは実は容易なことではないと思います。人は、ついつい「何してあげたく」なるものですから。

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