現実はただのツール~冥王星水瓶座入りで気づいたこと
3/23に水瓶座に入った冥王星は、やっぱりすごかった。冥王星のズレをアジャストする力はハンパない。
今日は冥王星の星座移動の直後に私に起きた変化と、気づいたことを書いてみます。
まず、冥王星が水瓶座に入った翌日の午後、何気なく過去のノートを見返していて、私が自分に関して大きな勘違いをしていることに気づいた。
著名なチャネラーさんや編集さんなど、いろんな方からアドバイスいただくうちに、私はある種の使命感を持つようになり、数年前からその使命感がいつもまとわりついていたのだが…………。
突然「いやいや、それ、いらないじゃん。それは私の役目ではないわ」と、気づいた。
本当に突然。雷に打たれたように、という表現があるけど、まさにそんな感じ。
何を一人で勝手に使命感とか持っちゃってたんでしょう。いやもう、全然そんなの私に課せられてないよ。望み通りに自由に好きにすればいいんだわ。なに一人で特別な人みたいな気分になってるんでしょう!ハッハッハ!マジで笑える!
憑き物が落ちるとはこういうことですよ。「お役目」とか「使命」という言葉は、人を高い木に上らせたり、自分を鼓舞したり、自分を特別視したい場合に使える便利な言葉。そのトリックにまんまとはまっていたなー。
どうせなら、もっと早く気づかせてよ!勘違いしたままでいた時間がもったいないし、何より恥ずかしいじゃない!とも思ったが、冥王星が私のバースチャート上の「私の認識をガラッと変える位置」にやってきた今だからこそ、気づけたのだろう。やっぱりタイミングは完璧なのだ。
そして、改めて自分のバースチャートを見返して、出生チャートの「魂の羅針盤(魂の青写真)」に描かれていることは、どんな内容であっても祝福で有益だと納得した。
いろんな方のチャートを拝見しつつ、話を聞いていると、なぜこういうシナリオを選んでくるのだろう……と不思議に思うことがたびたびある。このままいけば悲劇的な10年後、15年後、20年後を迎えるなぁ……という方も、まあまあいるからだ。
私自身はなるべくHappyに生きたいし、人は魂の領域では幸福を望むいきものだと思うので、バッドエンドなシナリオを修正すべく、今すぐできることをご提案するが、そういう方々は頑固で生きる姿勢を変えたがらない――そして、シナリオ通りに悲劇的な状況に陥ってから、やってくる方もいる。
でも、それでいい。悲劇でもいいのだ。
今回、よく分かったのだけど、私も含め人ってなかなか自分が信じたことを手放さないし、自分が信じたいように世界を見ている――だからこそ、同じ場所、同じ状況で生きていても、一人ひとりの内面の幸福度は大きく異なり、『風の時代』は幸福度の格差が進む。
で、おそらく「悲劇的なシナリオ」をもって生まれてきた人は、エゴの力が強くて、なかなか古い生き方を手放さないし、『上の人』からのアドバイスに気づきにくいタイプなのだろう。
そして、その在り方を続けていれば、いつまでも輪廻の輪から抜け出すことができず、いっこうにランクアップしない同じゲームを――ネズミがずーっと回し車の中で走り続けるように――何度も輪廻しながら続けることになってしまうため、ガツンと一発、アジャストが必要なのだ。
ショックなことが起きて立ち止まり、頑強な思考にひび割れができることによって、ようやく「あれ?なんか道を間違えてる?何か改める必要がある?」と気づくから。
だから万一、人生後半に悲劇を味わおうとも、失意の晩年だったとしても、そこでちゃんと内省と気づきがあって感謝が生まれ、魂がハイヤーセルフや宇宙の源に近づいていく上昇気流に乗れれば、魂的にも宇宙的にもオールOK。ランクアップ試験にクリアしましたよ、グッジョブ、ブラボー!ってことなんだね。
そこが「ポジティブ/ネガティブ」「良い/悪い」の二元論で現象を判断しがちな人間の感覚と大きく異なるけど、ハイヤーセルフや宇宙の源はそもそも二極性が統合された愛そのもののエネルギーなので、喜劇だろうが悲劇だろうが、かっこ良かろうが悪かろうが関係ないのだ。
大事なことは気づいて、感謝して、改めて、Happyな心持ちでいることだけだから。たぶん。
てなわけで、これからは悲劇的なシナリオを持っている方がやってきても、心を痛めることなく楽しくお話できそう♪
人生に起きる出来事は、どんなものでも全て「よりHappyに生きるために今、手放し改めるほうがいいこと」に気づかせてくれるツール。現実はただのツールだから、未来を怖がる必要はないんだな。
謎の使命感と共に、長年の運命の謎もさようなら~。すっごく気楽になった冥王星水瓶座入りの春です。