エデュケーションの鉄人「鉄人コーチへの10の質問」
この質問状は、鉄人コーチ集団 「Withコーチ」 の "鉄人の黒幕"こと、奥 祐斉が、鉄人コーチに向けて送ったものである。鉄人コーチとは困難な現実・テーマに、タフに楽しく気迫を持ってwith(伴走)する、強さとしなやかさと愛に溢れるコーチのことを呼ぶ。
拝啓 エデュケーションの鉄人殿
次の10の質問に回答願う。
敬具 鉄人の黒幕
1.コーチになったきっかけを回答せよ
Withコーチにお声がけいただいたのは、私は生まれながらコーチの資質があると言っていただいたことでした。
振り返れば、昔から人から相談されることが多く、様々な相談に乗ってきました。それは日本人だけでなくいろんな国の人からです。
最近では特に子供の教育(学校に行く・行かないを含む)や親として子供の教育にどう関わるかという相談が増えています。ビジネスの相談も受けますが、内容は市場を拡大したいなどビジネス自体の内容より、経営者自身が自信を失ったり迷っているという内容が多いです。
2.コーチをやってよかったことを回答せよ
相談者本人が自分の軸を見つけて、あるいは再確認して動き出した時のエネルギッシュで幸せな姿がみられることです。
3.コーチをやっていて辛かったことを回答せよ
本人の強みの話をしている時はいいのですが、物事によってはその強みが弱み転じてしまう時があります。それを伝える時は、コーチにも覚悟が入ります。
4.最近の日本のコーチング業界をどのように見ているか回答せよ
コーチングの資格ビジネスが拡大している印象を受けています。コーチングは大きな資本がいらないので参入しやすいのだと思いますが、コーチングがある程度広がった後には、淘汰されていくことでしょう。今は拡大している印象です。業界が大きくなればコーチングが広く認知されるので、Withコーチとしても喜ばしいことだと思います。
5.コーチが必要なのは、特にどのような人や企業か回答せよ
みんなにいた方がいいと思いますが、質問が「特に」でしたので、人に弱みを見せるのが不得意な人だと思います。そういう方は、かなり仕事もできるし、いつも頑張っているし、自分なりに問題解決もしてきていると思います。一見コーチングが必要なさそうに見えますが、物事には必ず両面があります。一人でかなりできてしまう人だからこそ、コーチングによってより広い視野で物事をみて、より良い方向に人生を運べたら良いのではないかと思います。
6.コーチに関する本で参考になった本と理由を回答せよ
「二宮先生語録」斎藤 高行
薪を背負いながら本を読んでいる二宮金治郎でお馴染みの二宮尊徳の語録を記したものです。当時、まだ教育制度もなかった頃の二宮尊徳の語り方がとても勉強になります。伝えたい相手がみている世界の中で物事を話しています。言葉や例えが簡単です。
「コーチング」は横文字であり、人によっては難しい言葉かもしれません。それを「困難な現実にもあなたと伴走する人」とすると、より多くの方にわかっていただけるのかなと思います。
7.コーチと監督の違いを回答せよ
監督とコーチは役割が重なる部分があると思います。明確に違うのは監督は、その分野に置いて専門性を持っている必要があり、その知識と経験で指導する役割があり、評価権限も持っていることが多いでしょう。
これに対してコーチは、相手の持っているものを内側から引き出し、相手がなりたい人になるのを伴走しながらサポートする役割で、相手を励ますことはあっても、評価することはないと思います。
8.Withコロナ時代、どのような世の中になっていくと思うか回答せよ
本当に必要なものは何かを考える成熟した世の中になると思います。様々な成長について、大きくなることがいいという単純なものではなくなり、本当に成長すべきか、どう成長すべきか、何を成長と見なすか、などをそれぞれが主体的に考えることが必要になると思います。
9.子供の頃の夢を回答せよ
世界平和。今でもです。
具体的な職業として、中学生の時は国際機関で働きたいと思っていました。
10.コーチを漢字一文字で表し、理由も合わせて回答せよ
「軸」
相手の軸をしっかりと見ながら伴走するからです。
エデュケーションの鉄人 Poko Oya(ポコ)
アンスクーリング実践家/大学講師(経営学) カンボジア首都プノンペン在住。一橋大学大学院商学研究科卒(経営学修士)。教師でありながら、我が子は学校に通わずにアンスクーリング(暮らしの全てから学ぶ教育思想)をしている。昨年は親子旅をしながら、その場とそこで出会った人々を教材にした”共育”に励む。大学の授業にもアンスクーリングの要素を取り入れ、学ぶ者自身が自らの学びを主体的に考える環境作りに努めている。菌活を趣味とし、発酵から人の個性のヒントを学び、人と人の発酵屋もしている。
鉄人の黒幕 奥 祐斉
場活師。大学を1年間休学して、バック1つで世界一周の旅を経験。卒業後、新卒で西アフリカのベナン共和国で勤務。帰国後は、会社員として岡山の西粟倉村、東京の表参道、香川の離島、を往来する生活を送る。新規事業の立ち上げや人材採用ならびに運営、地方創生コンサルティング事業、インバウンド事業に従事。中学校では問題児であった為に、義務教育をまともに受けていない。物心がつく頃から、人とは違った道を歩いてしまう。昨年、北朝鮮を訪問し合計で105カ国を訪問した。最近の活動は、料理する旅人として料理を作りながら海外を身近に感じられるイベントを全国で主催し、枠に収まらない生き方や選択、価値観、発想を日本の人たちへ伝えている。Withコーチでは、裏方として奔走する。