槍を担ぐ人
夏の暑さに辟易とするこの時期、大学生はレポートにも追われるので二重苦です。前期もまとめの時期ですが、今年は、西洋美術史を勉強しています。美術史Aという科目名で、古代ギリシア・ローマ美術からルネサンス期までの西洋美術を概観します。90分間の講義はオンデマンド形式で、パワポや動画で作品を観ながら教授が解説してくれる授業です。この授業が、西洋美術にはまるきっかけでした。
どのくらいはまっているかと言うと、聖書の有名なエピソードや、特定の人物がもっているアトリビュート(日本的な観点だと、金太郎にはまさかり担いで描かないとだよね的な)まで自分で勉強してしまうくらい。ルーブル展は2回行ったし、全然分かりもしない抽象画の展覧会にも行きました。本も5冊くらい買いました。
作品自体が見てるだけで美しいとか、美術館という空間が落ち着くから好きとか、美術に興味をもった理由はいろいろあります。しかし、作品の解説を聞くだけのこの講義が面白いのは、作品のすばらしさや見どころ、美術史上の功績、時には批判すべき点まで含めてすべて言葉で説明しようとするからです。それを表現する日本語がまた美しいのです。
例えば、ポリュクレイトスの 《槍を担ぐ⼈》。
盛期クラシック様式の代表的な作例です。と言われてもピンとこないかもしれませんが、美術史を概観する授業なので、前の時代との作品と比較してみると、見どころやその功績がよくわかります。
下の画像、ポリュクレイトスの《槍を担ぐ人》は、アナヴュソスのクーロスの100年ほどの後の作品です。
解説はこんな感じ。「ポリュクレイトスの代表作《槍を担ぐ人》は、左脚と右脚、左腕と右腕に、動きと静止、緊張と弛緩を対比し、さらにX字に組み合わせることで、完全な均衡と調和を実現しています。
また、従来の彫像が正面を向いていることを前提に構想されていたのに対して、像の周りをめぐって多方向から眺めることを促す点も斬新です。
ポリュクレイトスはこの作品をカノン(規範)とし、同名の著書で、体の各部位と部位、部位と全体の間との適切な比例関係にこそ美があると説いています。数的比例に基づく理想的な美のカノンは、その後西洋の芸術家が幾度となく立ち返る男性彫像の型となりました。」
(補足しておくと、クーロス像の腕は重力に逆らうことなく身体と同じように直線的で、対比というよりもむしろ対称性を具えています。また、多方向からの視点を促すこともありません。それは展示方法をみても明らかです。《槍を担ぐ人》の周りには鑑賞者が円を描くように集まっているのに対して、クーロス像は背後に壁があります。)
文章の語感とリズム、美術を生業とする方々の日本語の美しさにはそれだけで目を見張るものがあります。