【三杯目】アイスレモンティー選手の自己紹介 前編
お疲れさまです。アイスレモンティー選手です。
昨日はnoteデビューによる挨拶、そして1.5リットル(1,500文字)にも及ぶデビュー経緯のご説明をさせて頂きました。
本日は、アイスレモンティー選手のお茶っ葉時代から現在に至るまでの自己紹介をしていこうと思います。今回は中学時代までのお話です。1.5リットル(1,500文字)くらいです。
種子時代(幼少期)
私は人間界で言うところの神奈川東部で栽培されました。太陽の暖かい光と、東京湾の潮風を背に受け大きく育ちました。
現在の身長は175センチです。某プロゲーマーの基準に当てはめても茶権(じんけん)はあるみたいです。
発芽時代(小学生時代)
人間界で言うところの小学生時代、私は大変内気な性格でした。低学年の頃、「生活」の授業で朝顔とかチューリップを育てますよね。
私がセンコーから頂いた種や球根にも内気な性格が乗り移ってしまったんでしょうか。朝イチで登校して他人より真面目に水を上げているのに一向に土の中から葉っぱが出てくることはありませんでした。
授業内で観察レポートの課題が出されます。探検バッグにA4の紙切れ1枚と色鉛筆を持って、絵を描くのです。
ただ私には観察対象が無いものですから、植木鉢をめちゃくちゃ丁寧に描いていた記憶があります。いっちょ前に影とかもつけてね。
先生も困ったでしょうね。返却された観察レポートには花丸が付いていました。
つぼみ時代(中学生時代)①
正直なところ紅茶になる葉っぱに「つぼみ」とかあるのか全くわかりません。なぜなら植物と触れ合ってこなかった茶生(じんせい)だったからです。それではつぼみ(中学)時代についてです。
私のつぼみ時代はかなり辛かった記憶があります。なぜなら校則や先生が厳しかったのです。靴下は15センチ以上。毎朝定規で測るのです。アホらしい。
1年生の頃は部活なり楽しくやってましたね。問題はその後の2,3年。
当時の担任の名は伊藤メスゴリラ。伊藤メスゴリラは体育教師で、年齢は50代。メスゴリラなので常に発情期なのです。常に怒鳴り散らしていました。
学年主任ではありませんが、恐怖で学年の先生を丸め込み、北条の執権政治のような格好で我々や学年主任を従えていました。
宿題忘れとか前髪が眉毛にかかっていたら、即雑巾がけです。私の茶畑には1フロア10教室くらいあるのですが、それを1往復するのです。掃除なので体罰では無いという風潮。グレーゾーンですよね。
つぼみ時代(中学生時代)②
最後に1番のクソ伊藤メスゴリラエピソードを記します。
ある時私は伊藤メスゴリラに呼び出されました。伊藤メスゴリラは頭から湯気が立つほど怒っていました。
全く心当たりがありません。ただ強いてあげるなら、私も中学生という発情期の頃でして、女子に訴えられ無い程度に雑談形式でセクハラを繰り広げていました。
それがついに告発されたのかと思いまして、内心ビクビクしていました。
実際はセクハラの件に関しては告発されていなかったようで、助かりました。
怒られた内容は私が黒人の女の子をいじめたという内容でした。全く心当たりがないのです。そもそもその子を知らないのです。
密室の教室で怒鳴られているのです。無実の私を恫喝する方がよっぽど酷いですよ。
しかも「被害者の女の子は『アイスレモンティー選手と微糖くんに虐められた』と供述しているんだけど?」と言われました。その子は虚偽の申告をしているようです。
私は頭の中で、人権問題とセクハラを天秤にかけました。「セクハラならしましたが、いじめはしていません。」と余計なことを言ってしまいそうになっていました。
今思い返すとあれは巧妙な罠だったのではないかと感じます。ゴリラのくせによく知恵を絞り出したもんですよ。
この件から学んだこと。それは閉鎖空間で恫喝され続けることで、冤罪というのは発生していくんだろうなという社会の闇です。闇を垣間見た中学3年生の夏でした。
おわりに
ズズズッ。飲み干してしまいましたね。四杯目は、アイスレモンティー選手の自己紹介②についてお話ししていければとい思っています。
それでは、いいアフタヌーンティーライフを!