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3.正明さんの逮捕から公判開始までの5年間――韓国の民主化運動に学ぶ
2017年に正明さんが逮捕され、公判が始まったのは2022年10月、逮捕から5年以上も経過してからのことでした。今となって振り返ると、この裁判を成立させるには無理があったのではないかと思わざるを得ません。しかし、当時の私はそうした疑念を抱く余裕はなく、むしろ中核派への恐怖に支配されていました。
正明さんが逮捕された後も、中核派が「正明さんは無実」と書かれた幟を掲げてデモを行っている様子がインターネットの記事や動画で何度も目にしました。警察官が殺害されているという事実があるにもかかわらず、犯罪者とされる人物を擁護する中核派の姿勢に、私は一層の恐怖心を覚えました。さらに、公安の公式サイトでは中核派が「極左暴力集団」と紹介され、中核派自体も「暴力革命」を掲げていたことから、SNS上で「中核派=テロリスト」と記された投稿を見た時も、その投稿に違和感を覚えることなく、そのまま受け入れていました。
そんな中で、私の心を揺さぶる一冊の本に出会いました。元韓国大統領、文在寅氏の書いた書籍『運命』です。この本は文氏の半生をつづったもので、朴正熙や全斗煥政権下での圧制や、それに抗う大衆の民主化運動が文氏の実体験を通して描かれています。特に、盧武鉉元大統領と共に人権弁護士として活動したエピソードには、感動と興奮を覚えました。
偶然にも、正明さんが2017年に逮捕され、2022年に初公判が行われるまでの5年間、文在寅氏は韓国で大統領を務めていました。その間、韓国では文氏が掲げた「人権と民主主義」の理念が国政の中心となり、社会に深い影響を与えていました。文氏の存在は、私が抱えていた正明さんの事件に対する見方にも大きな影響を及ぼしていたように思います。
文氏と盧氏は、国家権力によって犯罪者に仕立て上げられた多くの人々を無料で弁護しました。二人は命の危険や社会的な圧力を顧みることなく、冤罪を晴らすために奔走しました。その活動は、ただの弁護活動に留まらず、民主主義の本質を守る闘いでもあったのです。文氏と盧氏が守ろうとしたのは、ただの個人の名誉ではなく、人々の権利そのものでした。この『運命』を読みながら、民主化を求める韓国の人々の思いがいかに深かったのかを痛感しました。
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私は文氏の本をきっかけに、『1987、ある闘いの真実』『タクシー運転手 約束は海を越えて』『弁護人』『光州5・18』といった映画を次々と鑑賞しました。さらに、廬武鉉氏や金大中氏の書いた書籍にも手を伸ばしました。これらの作品や書籍を通じて、韓国の民主化運動の歴史が私の中でより鮮明に描かれるようになりました。
その中で気づいたのは、韓国の民主化がいかに多くの庶民の犠牲の上に成り立っているかということです。民主化運動の中で命を落とした庶民たちは「烈士」として称えられ、歴史に名を刻まれています。
日本では、学生運動が内ゲバや暴力といった負の側面ばかりが語られ、結果的に失敗に終わったと言われることが多いです。しかし韓国では、民主化を勝ち取った歴史が多くの「烈士」の名のもとで国家の誇りとして受け継がれている。この違いが私にとって衝撃でした。韓国では命を懸けた庶民の努力が歴史に刻まれていますが、日本ではその運動が暴力と混乱だけを残したものと見なされがちなのです。
こうした韓国の歴史を学ぶ中で、私は渋谷暴動事件についての見方に、少しずつ揺らぎを覚えるようになりました。そして、私は一つの問いを抱え始めました。渋谷暴動闘争が本当に「正義」から生まれたのか、あるいは単に暴力に過ぎなかったのか。このとき、答えはまだ見つかりませんでした。