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アナスタシアの夢を生きる〜私の物語〜〈愛〉3

こちらの記事は基本的にアナスタシア 響き渡るシベリア杉という本のシリーズをすべて読んでいる方向けです。

どんな内容かは読んでもらうのが1番なので、ここでは特に内容についての説明はしないこととしますね。


さて、前回に引き続き、愛について。

アナスタシアシリーズを読んで、その内容を自分の中に落とし込んでいくプロセスには、葛藤というものがつきものなのではないかと、私は思う。

本の中にある内容と

今の現時点での現状との間に。


シリーズと出会い始めてから、愛について、わたしは特に葛藤を抱くこととなる。

一巻から二巻、三巻、四巻、、と読み進めていくと、本から伝わる愛がどんどん自分の中へ流れ込んでくる気がしていた。

そして、私が最も好きな愛についての記述が四巻に書かれている。

神と愛との対話

私はこの部分が心の底から大好きで、何回読んでも涙が出る。

それだけではない。

アナスタシアの様々な本に散りばめられている各寓話を読んでも、その純粋な愛に毎回感動するのである。

感動というか、魂が震えるような、心が浄化されるような想いがする。

しかし、そうなればなるほど、現実とのギャップにも意識が向く。

私はあまり器用ではないので、そことのバランスを取るのに内側ですごく葛藤していたと思う。今もその葛藤は無くなったわけではない。

だって、

例えば

どうやっていきなり親に、愛について尋ねられるだろうか?愛の空間なんてものについて言えるだろうか?自分が産まれる前にどんな準備をしたのか、なんて聞けるだろうか?

例えば、

どうやって彼に愛のエネルギーの大切さを説明できるのだろうか?それを保つには?なんて伝えられるのだろう。性について、一族の土地について言えるのだろうか?

どうやって、友達と恋バナをしていたり、相談されているときに、真実の愛についてなんて言えるのだろうか?いやいやいや、言えるはずもない。。

アナスタシアのいう愛についての記述が大好きなのは変わりないけれども、愛がまだ自分でもよく分からないのに、それを軽々しく周りの人に言えるほど私は器用でもなかった。

そして葛藤が始まっていくのである。


私はそのうちだんだんとアナスタシア・スイッチなるものを自動的に持ち始めるようになった。

あるときは、そのスイッチをオンにして、そしてそのときはたいてい一人だったのだけれど、自分の内なる銀河の海の中をアナスタシアの本を携えて潜っていく。

でも、友達と話したりするときはそのスイッチをオフにして、なるべく意識のレイヤーをあえて深くせずに会話のやり取りをする。

私はそうでもしないと、自分と自分の外に表れている世界とのバランスが保てなかった。

でもね、だんだんとそのスイッチを持っていることに居心地が悪くなってくる

いつでも、

どんなときでも、

スイッチなんか作らなくても

本来の私でいられるようになりたかった

自由になりたかった

ありのままでいたかった


そんな葛藤をもう何年も抱えて生きてきた。


そして、わたしは決心した

当時私が愛している人

本気で向き合いたい人に、伝えてみようと思ったんだ。


そしてそのことは、私を深い深い学びへと向かわせてくれたのだった。


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