大西寿男/棟梁のこころ──日本で木造住宅を建てる、ということ
ぼくの父は、大工の棟梁だ。昭和五年(一九三〇)生まれの父は、敗戦後の昭和二四年、手に職をつけるべく、生まれ故郷の静岡県富士市(現)で棟梁・植杉師に弟子入りし、二九年に独立。家族の都合で昭和三四年、兵庫県神戸市に移住。次男にあたるぼくが生まれたのはその三年後、昭和三七年(一九六二)五月のことだった。
以来、五十年。大工のあとを継がず、出版という〝虚業〟に就いた息子が、棟梁という〝実業〟の父が大切に守ってきた仕事について問う。
【語り手:大西與五郎/聴き手:大西寿男】
1……安くなった戦後の住宅
──お父ちゃんにとって、家を建てる仕事って、どういうこと?
棟梁 ● むかしは、一軒の家を建てるというのは、一世一代の大仕事やった。そやから、百年二百年使える家を、建てる施主(せしゅ)さんのほうも、大工のほうも考えとった。いまは、家も消費財になったんやな。安くなったから、だいじにしない。古くなったら、修繕をして長く使うより、壊して建て替える風潮に変わってきた。
──いつごろから?
棟梁 ● 昭和五〇年(一九七五)以降やな。プレハブの家、つまり工場生産の家ができるようになって、単価と工期が安く短くなった。むかしは最低三か月から半年くらいかけて建てた家が、プレハブなら現場で一か月未満で組み立てられる。
その後まもなく、海外から入ってきた2×4(ツー・バイ・フォー)の工法は「壁式構造」といって、合板を貼りあわせたパネルを箱形に組み立てる。それに対して、日本の在来工法は「軸組構造」で、柱(木や軽量鉄骨)を組みあわせた軸組に、造作材・仕上げ材を取り付けていくんや。
──施主さんにとって、コストが下がって建てやすくなった?
棟梁 ● そのさきがけは、終戦後まもなく「月掛け方式」が生まれたことやな。それまで建築費は一括支払やったから、大金を貯めたり借りてからでないと、着工できなかった。月掛けでは、掛金を二~三年貯めたら着工して、残りの費用は家が建ったあと、分割払いで支払っていく。これを始めたんは、殖産住宅や日本電建といった建築会社。いまのローンとはちがうんよな。昭和三〇年代(一九五五年~)になって、住宅公団で公的資金をローンに使うようになったけど、「月掛け方式」はあくまで個人の積み立てやから。
2……工具と材料の進化
棟梁 ● 昭和三〇年代後半(一九六〇年~)に、木工事(もっこうじ)の工具が変わった。カンナ、ノコギリ、ドリルが電動になって、材木を切ったり削ったりするだけやなく、穴あけ、釘打ちも電動の木工機械を使うようになった。工具専門メーカーのマキタ電機とかが開発してな。
電動化で工期が大幅に短縮された。建築の費用は、材料代よりも工賃の占める割合が大きい。そやから、工期が短くなるということは、コストも安くあがることにつながるわけ。
昭和四〇年代(一九六五年~)になると、輸入材が安く入るようになった。アメリカ、カナダ、ソ連から。ただし、外材は、湿気の多い日本の気候に合わない。弱いんよ。日本材より三倍くらい早く腐ってしまう。それでも、外材は節のない木目の通ったきれいな木が安く手に入るんで、みんな飛びついたんや。それまで内地材の、節のいっぱいある木(スギ、ヒノキ)を美観的に使ってたからね。
そのためにね、日本の林業が衰退していくわけや。値段的にたちうちできない。山が荒れて、植林しても間伐せえへん。その間伐材も、以前は住宅建設の現場では丸太を足場に組んで使ってたのが、平成(一九八九年~)になってから、鋼管足場いうて、鉄パイプを足場に組むのに変わったんや、安全上の問題もあって。むかしは足場からよう落ちてケガしとったけど、いまでは間伐材の足場で事故が起きても労災に認められなくなってきたんよ。ケガはね、電動工具が発達してケガの程度も深く大きくなったな。
──よしあしやなぁ。
棟梁 ● ほかにもな、木材の接着剤がよくなったんやな。これは大きいよ。端材(たんざい)を接着剤で貼り合わせて、柱や壁なんかの構造木材が作れる。一本の木から切り出すよりも貼り合わせたほうが、じょうぶで狂いがすくないからね。
たとえば和室の天井板あるやろ? あれ、一枚板で作ろうと思たらものすごく高くつく。けど、ベニヤ板やったらかんたんにできる。紙みたいに薄く削った木目のきれいな板(経木:きょうぎ)を、合板に貼ったらええんやから。おんなじように柱も集成材にスギ、ヒノキの無地の薄い板を貼ってできてしまう。
タイル貼りもむかしはセメントやったけど、いまは接着剤。垂直面に貼ると、セメントやったら乾くまでにタイルが重みで下にずれてくるけど、接着剤ならその心配もない。
さらにアルミサッシが普及し、壁紙も出てきた。合板や壁紙は、火事になったときガスを出すんやな。基準値がきびしくなっとるけど。火災で死者が出るのは、家具や調度品や建材からのガスがおもな原因やろう。
──じゃあ、大工の仕事も変わった?
棟梁 ● 世の中も変わったな。住宅が洋式化して和室と床の間がなくなって、いまでは和室はせいぜい一間(ひとま)あるくらいやろ? 窓はアルミサッシに、ドアは工場製品になって、建具職人の仕事がなくなってしもうた。外壁はサイディング(仕上げ板材)、内壁は合板・クロス仕上げが普及して、建築に欠かせない左官職が衰退することになった。大工かて、そうや。加工機械が進んで、仕上げ材料に工場製品を使うように変わって、大工はいまではたんなる組立工や。
3……道具
──お父ちゃんが家の裏の道具置き場で、カンナやノミを黙々と研いでる姿をおぼえとうよ。
棟梁 ● むかしの建築は、墨壺と差し金で始まったんや。あと、間竿(けんざお)とも尺杖(しゃくづえ)ともいって、十二尺まで書きこんだ木の長い定規。それだけで、家ができるんや。土地の大きさを測り、材木の長さを決め、どこにノコギリを入れるか、しるしを付けることができる。
カンナやノミの研ぎも、ノコギリの目立ても、大工はみんなじぶんでやったよ。あのな、神戸の湊川神社専属の刀鍛冶が作ったノコギリがうちにある。手打ちでたたき出されたノコは、目立てがしやすい。ヤスリが乗る。ヤスリのかかりがいいんやな。そして、木を切るときに吸いつくように切れる。曲がっても歯が折れることはない。最近の新しい鋼(はがね)のノコは切れるけど、硬すぎてヤスリが乗らないし、折れやすい。替刃式のノコギリまでいまはあるからね。
──ノコギリやカンナは、切れればよいというわけではない?
棟梁 ● いまの道具では、削り肌につやがないな。
──むかしの大工道具は、なんか味があるやん。墨壺に鶴や亀の彫刻がほどこしてたりして。
棟梁 ●(笑)まぁ、あれは道具自慢でみんな、わざわざ高いのを買うとんやな。
4……腕と技
──家を建てはじめる儀式の「建前」(棟上げ式)は、華やかで厳粛なもんやったけど、それも変わってきた?
棟梁 ● 建前では柱や梁(はり)を組んで、その上に棟を上げるんやけど、むかしは手作業で複雑な継ぎ手をこしらえて組み上げとった。いまは「プレカット工法」ていうて、機械で部材を加工するから、墨壺を使ってじぶんで木に線を引く墨付きができない大工が増えるんよ。工場でコンピューターで加工できるからロスなく、コストダウンにもつながる。それに、都会と田舎でも建築はちがうんや。
──どういうこと?
棟梁 ● 田舎では、その家の大きさに合わせて必要な寸法の材料を注文して、製材所が加工するんやけど、街では規格品がいろいろあるねんな。だから規格品に合わせて材料を買うわけ。
──見積り出すときも、必要になるぜんぶの材料を計算せなあかんのやろ?
棟梁 ● 時間かかるし、頭使う。いまやったら設計図は平面図、側面図、断面図、いろいろ何枚も描くやろ? でないと役所で建設許可、取れないしな。ところがむかしは平面図だけ。二階建ての家やったら、土台の平面図、一階の平面図、二階の平面図、そして屋根の図面、それだけだもんな。それだけでできる腕と技があったんや。平面図一枚で見積り出して、家を建てられるようになるには十年、経験を積まんと。
──頭の中ではすでに仕上がりのイメージができてるんか……。よい大工、わるい大工って、どこでわかるの?
棟梁 ● 建てた家を見てもらうことやな。見てもらったら、わかる。それから、口コミ。人からの評判やな。いまは戸別訪問やパンフレット攻勢で営業して仕事を取ってくることが多いけど、いい仕事をする工務店は、へんな職人には勤まらない。すぐにやめさせられるか、掃除くらいしかさせられへんから。打ち合わせでなんべんも話してたら、相手の大工がいいかわるいか、工務店がちゃんとしとうかしてへんか、それはわかるもんや。
5……マンションと建売住宅
──いま、お父ちゃんらはマンションに住んどうわけやけど、木造住宅とくらべて、どう?
棟梁 ● マンションのいいところは、まず安く住宅が手に入るところ。それから、共同住宅やし、スペースにも限りがあるから、一戸建てより生活が簡素化されるな。
むかしの木造住宅は、施主さんがみずから材料も選んで、大工と相談しながら家を建てる。建てる側と建ててもらう側とのコミュニケーションがあって、信頼関係ができる。そうやって、夢が広がっていき、家も土台から始まって、柱が立ち、屋根ができてと、だんだん形になっていくやろ? じぶんたちの財産を人まかせでなくじぶんたちもかかわってつくっていくのは、たいへんな苦労もともなうけど、そらぁいいもんだよ。
──いまは建売住宅がほとんどやもんね。
棟梁 ● 建売住宅は、昭和四〇年代(一九六五年~)に増えたなぁ。住宅難時代は、粗悪な建て売りでもかたっぱしから売れた。庭もない、収納もない、外観だけは凝(こ)ってな。材料にも一等、二等があって、アメリカ産の米(べい)マツはまだいいけど、ニュージーていう輸入材のマツは安いが弱い。ずるい建売屋はそういう二等品を使っとったり、検査なしの手抜き工事が平気でおこなわれていた。まともな職人なら、でけへんよ、そんなん。職人の恥やんか。
──ええとこないやん、いまの木造住宅。
棟梁 ● いや、そんなことはないよ。いまでは検査がきびしくなって、そうそうかんたんにはインチキができないから、いまのほうがぜったい、いい。
ただ、材木だけは、日本の湿気には日本の木材がいい。集成材は、まぁいいんやけど……。
──意外やな。むかしのほうがいいというかとおもった。
6……棟梁として
──棟梁になって、最初の仕事はどんな?
棟梁 ● 平屋の一軒家やった。静岡の。それはうれしさに、ただ夢中やったよ。親方の下でじゃなく、じぶんで家を一軒仕上げられる、そのよろこびは大きかった。
──その後、歳月を重ねてベテランになって、変わったことは?
棟梁 ● 道具と材料が変わったな。きつい肉体労働が、機械を使ってできるようになった。加工材も使える。重労働がなくなってるわけやな。それから、休みが増えた。最初のころは、職人さんに払う給料日は月の十五日と月末の二回で、その翌日が休日やったから、月に休みは二回やった。
──休みの日でも家で仕事してたやん。休みはそれこそ盆と正月くらいやったんちゃう? じゃあ、もしいま、好きなように家を建ててもいいよっていわれた
ら、どんな家を?
棟梁 ● いわゆる「軒丸太」、縁側に丸太の桁(けた)をターッと使った仕事をしたいなぁ。丸太に柱を合わせていくのがたのしいんや。
丸太と丸太を組むのができる大工がな、そこらにはおらんねん。丸太を磨くのは女も総出で、スギ皮を剝いで、砂で磨いて、米ぬかでぴかぴかに仕上げる。そのままだとひび割れが来るから、丸太の後ろに「背割り」いうてノコギリを入れるんや。長さ1メートルくらいのノコギリを背負った、よぼよぼしたおじいさんが来てな、一時間ほど丸太を背割りして、目立てして、また丸太にむかって。そんなふうに、家を建てたもんや。
──お父ちゃんみたいな職人気質(かたぎ)の大工さんは、もうそんなにおらへんやろなぁ。
棟梁 ● 一人親方(会社に属さないフリーの職人)の大工は減ったな。弟子を養成する工務店も街では皆無。弟子になるんやなくて、学校で勉強して見習い大工になる時代やしな。わしらのころは住みこみで小遣い程度のお金をもらって五年で一人前になる、いう時代やった。
銀行ローンに強い大手工務店が個人住宅建築に参入したことも大きいな。このごろは家を買いたい個人が銀行ローンを組めないから、工務店が銀行と提携してローンもお膳立てするやろ? 個人の職人は、そんなめんどくさいことできへんよ。
──これから棟梁の仕事はどうなるんかな?
棟梁 ● むかしは大工はじぶんが納得できるまで、とことん仕事ができた。どこでもだれでも、そんな評判の大工の仕事ぶりを現場に見に行けた。けど、いまは坪いくらの建築費で予算を組むから、時間も人手もかけていられへん。
腕をかけて、情をかけて、家を建てる仕事ができなくなったのが、なさけないわな。職人なら、手がけた仕事で自慢できる家を一軒でも残したいが、それもできない。コストが第一で、技術は二の次。それではいい職人が育つはずない。
われわれ職人のよき時代は、もうおわった。いまは外交でじょうずにセールスできて仕事取ってくるやつが生き残る。それでも中身がともなわなかったら、一回きりの仕事におわるけどもな。
──ここまで、お客さんから信頼されて、仕事をつづけてこられたのは、なんでやとおもう?
棟梁 ● そやな……まじめに仕事やっとったら、人が認めてくれた。とくにお世話になった恩人が何人かおって、その人らがいてくれたからこそやな。
自慢できるのは、おれは手形を切ったことは一度もないよ(笑)。
二〇一二年一月十四日
神戸・須磨の両親宅にて
【インタビューをおえて】
父と呑みながら、大工の仕事について、とりとめなく話を聴くのはたのしい。でも、まとまった時間、あらたまって(しかも素面〔しらふ〕で!)インタビューするなどというのは、初めての出来事だった。
そして今回、もっともおどろいたことは、戦後六十年のあいだに、建築の資金繰りも材料も道具も工法も劇的に合理化が進み、父はその時代の変化のまっただ中で仕事をしてきたのだ、という発見だった。ぼくはずっと、父はむかしながらの大工仕事を変わらずにやってきたとおもいこんでいた。そうではなく、たとえば息子がデジタル化の進む激変の時代の出版界で生きてきたのとそれはたぶん、似ている。
なお、インタビューには母・大西系子が同席し、棟梁の妻として工務店の経理・事務を一手に引き受けてきた立場から、的確な補足の説明を加えてくれた。父と母に感謝します。
【初出:2012年4月/ウィッチンケア第3号掲載】
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?