清水伸宏/定年退職のご挨拶(最終稿)
本日はお忙しいなか、僕のためにご参集いただきありがとうございます。
この会社にかれこれ38年もお世話になりました。そして今日が最後になります。
定年退職と聞いてまず思い浮かぶのは、さえない年老いた男性が職場で従業員に囲まれて、若い女性社員から花束を渡されている光景だと思います(笑い)。確か、内館牧子の定年小説『終わった人』の表紙カバーも、花束を抱えたくたびれたサラリーマンのイラストでした。
そして、愚にもつかない挨拶をして、お義理の拍手のなか退場して、ジ・エンド。
そんなのは真っ平ごめんだ、とずっと思っていました。
最後の日は、みんながあっと驚くような挨拶をして華やかに退場する。僕の幕引きだけは、そんな自分らしいものにしようと決めていたのです。
そして、ついに本日、その日が来ました。陳腐な言い方ですが、時がたつのは本当に速いです。「TIME FLIES LIKE AN ARROW」とは実に言い得て妙ですね……。
それはともかく(わざとらしい咳払い)、この長いサラリーマン生活のなかで、いまでも忘れられない、みなさんがあっと驚く出来事を披露して定年退職のご挨拶の代わりとさせていただきたいと思います。
この話はいままで誰にも言ったことがありません。誰にも言わずに墓場まで持って行くつもりでした。
でも、それも嫌になって来ました。結構重い話なのです。いまでも夢に出て来るくらいです。だから、最後にみんなに話してしまって肩の荷を下ろしたいという気持ちもありました。
もう30年以上前の話です。当時二十代だった僕はこの会社で週刊誌の記者をしていました。
その頃、人気絶頂の女性アイドルKが飛び降り自殺をするという事件がありました。自殺の動機を巡って、さまざまな噂が飛び交い、週刊誌だけではなく一般紙までもが取材競争に参入していました。
この自殺騒動はしばらくして、第2フェーズに突入しました。アイドルの後を追って自殺する若者が続出したのです。
当時の編集長はそんなケースも積極的に取り上げました。アイドルの自殺に関する記事を掲載し始めてから、雑誌が爆発的に売れていたのです。
僕がその少女に会ったのは、自殺したKの実家に取材に行ったときです。
山陰地方にあるKの実家は、人気アイドルが生まれ育った家とはにわかに信じられないほど、貧しくみすぼらしい家でした。
今にも崩れ落ちそうなブロック塀に囲まれたトタン屋根の小さな平屋で、建物の隅にはシュウトツが突き出ていました。
シュウトツと言われても、若い人にはなんのことかわからないかもしれませんね。臭いのシュウに煙突のトツと書いて、臭突というのです。煙突が煙を逃すためのものなのと同様に、臭突は臭いを逃すためのもので、汲み取り式トイレにはなくてはならないものでした。
玄関の呼び鈴を鳴らすと、出てきたのは真っ白な髪を短く刈り上げた年老いた男性でした。Kの祖父でした。
祖父はKの遺影が飾られた部屋で取材に応じてくれました。遺影の周りには、ファンたちが持ってきたらしき沢山の花が飾られていました。華やかな衣装を着て微笑むKの遺影は、八畳ほどの擦り切れた畳の部屋で恐ろしく浮いていました。
「みなさん、それぞれ事情をお持ちなんでしょう。あなた方が結びつけているだけで、うちの孫が死んだこととはまったく関係ないことです」
Kの後追い自殺についての感想を求めると、老人はそう淡々と応えました。残念ながら、週刊誌的に美味しいコメントはいくら聞いても出てきませんでした。
これでは、電車を乗り継いでわざわざ山陰の小さな町まで来た時間と交通費が無駄になります。
僕は暗澹とした気持ちで辞去しました。そして、玄関の引き戸を開けた僕の目の前にその少女が立っていたのです。
華奢な身体に淡いピンクのカーディガンを羽織り、白いデニム地のミニスカートを履いていました。軽くウェーブさせて肩まで伸ばした髪はKの髪型をコピーしたかのようでした。しかし、目を伏せた顔の半分が白いマスクで覆われていたので、肝心の顔はわかりません。
コロナ禍のいまでこそ、世の中はマスクをした人間であふれ返っていますが、そのときはかなり奇妙な印象を僕に与えました。
「おや、また来たのかい?」
背後から祖父の声がしました。少女はなにも言わずにペコリと頭を下げ、僕の横をすり抜けて家のなかに入って行きました。
僕は家の外で1時間ほど待ち、出てきた少女に声をかけました。なにかもっとネタをつかまないと、東京に帰れない気分でした。
その少女、Eは九州からはるばるこの山陰の町を訪ねてきた、高校2年生のKの熱狂的なファンでした。実家を訪ねるのはこれで2回目ということでした。
「ほら」
駅に向かう一本道を歩きながら、突然Eは白い手を突き出して来ました。
僕は訳がわからずにマスクをしたEの顔を見ました。少したれた大きな目がKに似ていました。
「見えないのかよ、ほら」
Eはじれったそうに左手首をそり返すようにして、僕の顔にさらに近づけました。
Eの手首には数え切れないほどの切り傷がありました。
「自殺したアイドルの後を追う美少女か……。いいなあそれ。連絡先を押さえたのはお前さんにしちゃ上出来だ。すぐに九州に行ってこいよ」
会社に戻り、出張の報告をすると、案の定デスクはEの話に食いついてきました。
僕はその日のうちにKの祖父のデータ原稿を書き終えました。データ原稿といっても今の人はわからないですよね。取材して来た話をそのまま文字に起こした原稿です。文章力なんて必要ありません。
Eが住む街は、九州の主要都市だけあって、高いビルが建ち並んでいました。4月だというのに汗ばむ陽気で、ランチを食べに会社から出てきたサラリーマン、OLが、強い日差しのなかを行きかっていました。
目についた公衆電話でEの家に電話しました。Eには前もって連絡を取らずに、九州に乗り込んでから、「用があって近くまで来たから会わないか」と、さりげなく誘い出すというのがデスクの考えた作戦でした。
「そのほうが相手も身構えないからな」
デスクは両腕を頭の後ろに組み、椅子の背もたれに全身を預けるようにして訳知り顔をしました。
親が出たら友だちを装うつもりでしたが、幸いにも電話に出たのは本人でした。僕は台本通りに誘いをかけました。
しかし、Eはしばらく沈黙した後で「来週の火曜なら」とつまらなそうな声で返してきました。
来週の火曜日といったら4日後です。そんなに長い間この街で待っていては取材費がかかるばかりです。しかし、僕がもう少し早くならないかと食い下がっても、Eは「無理」と言うばかりでした。
それから4日間、僕は当てもなくその街を歩き回っていました。日課のように覗いていた書店で、僕の所属する週刊誌の最新号を見つけて手に取りました。Kの後追い自殺に関する記事が掲載されている号です。
僕が取材したKの祖父のコメントは、4ページに渡る特集の締めに使われていました。
「みなさん、天国にいるKの後を追っても、Kが悲しむだけです。孫の分まで生きてください」
僕が取りたくても取れなかったコメントが載っていました。僕のデータ原稿を読んだアンカーマンが、これじゃ使えないと判断して創作したようでした。
僕は週刊誌を買わずにラックに戻しました。
Eが待ち合わせに指定したのは、街の中心部にあるデパートの屋上でした。
平日のデパートの屋上は、幼い子ども連れの女性や老人が数組いるだけで閑散としていました。玩具みたいな古びた観覧車がゆっくり回っていました。
早く着いた僕はベンチに座ってEが現れるのを待ちました。
心臓が高鳴っていました。デスクからは4ページ行けるくらいの内容のインタビューを取ってこいと命じられていました。加えて、グラビアページでも取り上げたいから、と一眼レフカメラを渡されていました。この企画に編集長も期待しているらしいことが、デスクの口ぶりからわかりました。
自分には身に余る大仕事です。緊張するなというのは無理な相談でした。
約束の時間を10分ほど過ぎた頃、屋上の出入り口からひとりの少女が出て来ました。膝丈くらいの真っ白なレースのワンピースを着ていました。
ピアノの発表会で舞台の袖から出てきた少女のようなその可憐な華やかさには、寂れたデパートの屋上に異物が混入したかのような、どうしようもない違和感がありました。
出入り口のところであたりを見回していた少女は、ベンチに腰掛けている僕に目を止めると、真っ直ぐこちらに向かって歩いて来ました。
Eはマスクをしていませんでした。
僕は驚きました。マスクを取った彼女は、自殺したKにそっくりだったのです。
大きな目が似ていることは気づいていましたが、少しだけ上を向いた小ぶりの鼻から薄い唇、シャープなあごのラインまでKに生き写しでした。
「あたしのことを記事にしたいんでしょう? Kの後追い自殺志願者だって」
Eはベンチに座る僕の前で両手を腰に当て、すべてお見通しだという顔をしました。
「そんなこたないですよ」
Eの可愛らしさに圧倒され、情けないことに呂律が回りませんでした。
「いいって、気にしてないし。それよりこのなかにカメラが入っているんでしょ? ここであたしの写真を撮ってくれないかな。Kちゃんみたいに」
Eは僕が傍に置いていた黒いショルダーバッグを指差しました。あわてて一眼レフカメラを取り出しました。
「わっ、すごいカメラ。プロのカメラマンみたい」
Eははしゃいだ声を上げました。
僕はカメラを手に立ち上がりました。カメラの使い方は、写真部のカメラマンからひと通り手ほどきを受けていました。
「Kちゃんはこれからも可愛いまま年を取らないんだよね。すごいよね……」
Eは僕が手にしたカメラを見つめながらつぶやくように言うと、ゆっくりと後退りして僕と距離を取りました。観覧車を背景にしたアングルが出来上がりました。
Eはそれこそアイドルのように次々にポーズを変え、僕も近づいたり遠ざかったりしてシャッターを切りました。
何人かの人間が僕らを遠巻きに見ていました。海が近いからか、日が傾きかけた空をカモメが斜めに横切って行きました。Eはとても輝いていました。
あの瞬間こそ、僕の40年近くのサラリーマン生活のなかで最も幸せなときだったと思います。
「もう充分」
いつまでたっても撮影を止めない僕に、Eは呆れた顔をして近づいて来ました。あたりは薄暗くなっていました。
「じゃあ、どこかでメシでも食いながら話そうぜ」
僕の口調はいつの間にかなれなれしいものになっていました。
恥ずかしながら僕は、女の子にモテませんでした。彼女も大学生のときに付き合ったことがあるだけで、それも1か月でフラれました。大して可愛くもない理屈っぽい女でした。
そんな僕がこのとき、どれだけ有頂天になっていたか。思い出すだけでも嫌になります。
「そんなのいらねえよ。じゃあな」
Eは突然乱暴な口調になると、くるりと背中を向けて駆け出しました。僕はなにが起きたのか理解できず、呆然とその背中を見送りました。
Eは出入り口に向かわず、観覧車の脇を通り過ぎて屋上を取り囲んでいる金網に飛びつきました。金網はEの背丈ほどありましたが、あっという間に上まで登り切り、そのまま金網を飛び超えました。
女性の激しい悲鳴が響き渡りました。
僕はあわててバッグをつかんで屋上を後にしました。そのまま宿泊していたホテルに駆け込み、翌朝チェックアウトするまで一歩も外に出ませんでした。Eが写っているフィルムは、すべて空港のゴミ箱に捨てました。
「待ち合わせしたのに姿を見せませんでした。完全にすっぽかされました」
翌日、出社した僕はデスクに頭を下げました。
「まあ、仕方がないな」
デスクは拍子抜けするほどあっさりとした反応でした。しかし、それでひと安心というわけではありません。
僕はEに名刺を渡していました。それを見つけた家族がいつ編集部に電話して来るかと思うと、生きた心地がしませんでした。
加えて、デパートの屋上で僕と会う約束をしていることを手帳にでも残していようものなら最悪です。そうなったら、電話をかけてくるのは家族ではなく警察でしょう。
そもそも、Eが飛び降りる直前まで、屋上で僕が彼女の写真を撮っているのを目撃している人が何人もいるのです。誰かが間違いなくそのことを警察に証言しているでしょうし、警察は撮影していた男を追っているに違いありません。
しかし、1か月たっても2か月たっても、Eの家族からも警察からも連絡はありませんでした。Eの新聞記事も載りませんでした。Eの自殺がKの後追いだと認識されたら、間違いなく全国紙で報道されるはずですから、幸いにもそうは思われなかったのでしょう。
こうして、Eが屋上でつぶやいたように、EはアイドルのK同様、若くて可愛いまま永遠にフリーズしました。一方、屋上から逃げ出した僕は、長い時間をかけて定年退職を迎えるほど老いてしまいました。
僕の話は以上です。皆さん、長い間ありがとうございました。
※
私の会社も新型コロナ対策としてテレワークが導入されました。しかしテレワークはどうしても社内のコミュニケーションが疎かになりがちです。
そんなこともあり、会社の先輩のHさんが定年退職になり、嘱託雇用に応じることなく会社を辞められたことを私は知りませんでした。
定年退職する人は最後の日にみんなの前で挨拶してもらい、拍手で送り出すというのが従来の習慣だったので、コロナ前だったらきちんと挨拶できたはずですが。
そのHさんから、しばらくして「定年退職のご挨拶(最終稿)」という添付ファイルがついたメールが送られてきたときは本当に驚きました。
メールの本文には挨拶もなにもなく、ただ、「せっかく書いたので君の力でどこかで発表してほしい」とだけあったのです。
Hさんにはちょっとした借りがありました。そしてその頃、たまたまこの媒体から「原稿を書かないか」とお誘いを受けていました。そういう事情とタイミングが重なり、この場で発表させてもらうことにしたのです。
本当は架空のペンネームで発表したかったのですが、この媒体の発行人から「本名で」との要請を受けました。しかし私の本名で発表してしまうと、この文章の主人公が私ではないかと誤解される可能性があります。
正直、それはあまり嬉しくありません。そこでこのようなあとがきを書かせていただいた次第です。
Hさんが定年退職後どうしているのか、詳しく知っている人間はいません。私もメールで様子を尋ねましたが、そのメールは宛先不明で戻って来ました。
わかっているのは九州に移住されたということだけです。Hさんの出身は埼玉なので、九州は縁もゆかりもないはずですが。
移住先がこの原稿に出てくるEが住んでいた街かどうかは定かではありません。そもそもこの原稿に書かれている内容自体、どこまで本当かわかりませんけど。
ちなみにHさんは未婚でした。だからどうした、という話ですが。
【初出:2020年4月/ウィッチンケア第11号掲載】