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アチューンメントとは②

ヒーリングという言葉を耳にする機会がある人、あるいはヒーリングについて多少「知っている」とか、施療そのものを受けたり、スピリチュアルに興味があったり、その手のサイトを閲覧したことのある人の中には、『アチューンメント』という言葉を目にしたり耳にしたりして、        「それってなに??」って思った人も少なくないかもしんない。

レイキに限ってではないけれど、例えていうならレイキなどのハンドヒーリングを伝授することを、英語で、『アチューンメント』と言うので、この言い方を使う人が多いから。(レイキ(靈氣)だと正しくは靈授というけど)

とはいうものの、アチューンメントというのは、翻訳すると「共鳴」「共振」するという意味合いなので、アチューンメント伝授で、ではありませんが、あくまで教え伝え授けるための方法として、アチューンメント(共振させる)というやり方があるってだけです。

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レイキみたいなハンドヒーリングは、(詳細は別途記事参照のこと<ハンドヒーリングのススメ) 本来・・・そうですね、日本でだと、例えば密教とか修験道なんたらの行者さんとか、そうした人たちが厳しい修練と修行を重ねて、肉体や精神を鍛えた結果、神通力とおぼしき霊能力を授かって、人々の病を治すような力を発揮するようになったり、あるいは生まれつき『緑の手(グリーン・タンブ)』『癒しの手』(その対極が「炎の手」ですね)を持ち、他人に氣を譲渡することができる人がいて、ハンドヒーリング(手かざし療法)が出来る人っていったら、生まれつきの天賦の才か、厳しい修行を何年もして…の二つの道、いずれかのパターンの道しかなかったんですけれども、

実はこういう方法もあるんですよ・・っていう、第三の方法なわけです。

っていっても、新しい方法ではなくて、いにしえの…太古の時代からあった方法ではあるのですが。古くて新しい方法というのかな。何故なら、ずっと閉じられていた方法だから。一部だけで伝えられて、一般の人には開示されなかった方法というだけで。(この続きはあとで)

何かを誰かに教えたりするとき、それが知識とか学問であったなら、「お勉強」を通じて、読書や筆記口述でそれを伝えることが出来ます。
これも『伝授』。伝え授けること。文字や書物にすることを禁じている教えもあったりします。その場合は「口伝」のみになりますね ※アフリカとか文字や文章で残す文化のないところでも広く用いられてた方法

武術などの技であったなら、精神論もさることながら、実際に体を用いたトレーニングなどの実践でそれを体得してもらうことになりますでしょうか。「ドラゴンボール」では悟空は亀仙人からカメハメ波『伝授』してもらい、「北斗の拳」でケンシロウは一子相伝の北斗神拳を師匠であるリュウケンから『伝授』された…と言う感じ。

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そんな感じで、知識も技術も教えもどんなことも誰かに伝え授ける方法があって、その『伝授』の手法が、いろいろあるってだけです。

ヒーリングの方法を人に教えるのも、『伝授』

で、知識とか作法とか方法を『伝授』するだけでなくて、”氣を集めて、他人に譲渡できる状態にする”のが『アチューンメント(共振)』なんですね。
それしないと、氣を流せないから。

レイキなどの見えないエネルギー(氣)を用いたヒーリングの伝授は、
『アチューンメント』もまるまる含めてのこと。つまりアチューンメントの作業は、伝授のメインでもあり一部でもあり。

『アチューンメント』だけしても意味ないし、
『アチューンメント』をしないと意味がない・・・みたいな。

さて、このアチューンメントって行為をイメージするには、別記事に書いてありますので、良かったらソレ読んで、イメージ掴んでみて下さい。あくまで正論というより比喩として判りやすく書いただけの説明ですけど。

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さて、このアチューンメント。

一時期、色んな人が書いてある説明書に釣られてか、「これを受ければ自分の人生にもこの説明のことが起きる」とばかりに、たくさん受けられた人がいるようです。流行ったといいましょうか。

私もたくさん、メニューとして持ってもいますし、出していますけど(サイトには一部しか載せてません)。でも、これ・・・受けたから「何か起きる」ってものではないんです。

その独特のカラー(波動)を持った、ある種の氣と繋がることができるようになると言うのは、それを使えてこそのものなので。問題は、どう使っていくか、であるし、使っていくことをしないことには・・・なので。

それに実はそれ以前の問題もあります。

ここが肝心要なことで、『アチューンメント』という方法の醍醐味でもあり、どうして長いこと、一般の人に開示されず、一部の人だけにしか伝えたり、受けることが赦されてなかったか、という理由でもあったりします。

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もともとアチューンメントという方法は、波動を引き上げ、霊性を高めるための方法としてのものでした。霊的進化を促進するための裏技って言いますかね。

それは霊的真理の学びにおける私達の魂の起源、どうしてこの物質社会があるのか、私たちはどこから来てどこに行くのか・・・ということに密接に関わっていて、もともと神(大天使)であった私たちが人間として三次元・四次元・五次元の身体を所持して個別の存在として己を生き、この物質社会で様々な経験をした先に、(個別意識を持ったままで)再び神のもとに戻っていくに際して、ある身体を育てていないといけない(んですが、(この身体は神道でいうとこの神体(直霊)。神の元に戻る状態は仏教だと解脱)

そのためには、四次元の存在たる心の身体(サイキカル体)と五次元の存在たる思考の身体(ノエティカル体)をちゃんと使って、鍛えて、あるレベルにまで成長させないことには六次元の存在たる精神としての神体(サイコノエティカル体)は育たないのですね。

この辺りの知識はマガジン(カテゴリ)としてまとめてますので参照のこと

本来は、人間社会で色々な立場に生まれて、様々な人生経験を積み、その中で体験を通じて感情を育んだり、あれやこれや考えたり、日々生きることを実践する中で心や思考や精神を育てていって、智恵を身に付けたり、波動を上げて霊性を高める・・・のが正道なんですが、

手抜き?というのかな。。。そういうメンドクサイことを嫌ってかどうかは判りませんが、「早く~人間になりたい!」とばかりに、「早く~神に戻りたい!」と、思っちゃった人がいるわけです。

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そのためのカンニングみたいな、ズルしちゃう方法がアチューンメント。いや・・・ま、それも違うっつーか語弊がありますが。

ちなみに、霊的な知識(真理)はその昔、一般の人に開示されることなく、一部の神官とか王族とか、その手の人々たちの間だけで伝えられていて、民衆に教えることは罪・禁忌(タブー)とされていました。その理由としては、正しく理解できる人が少なかったから。それと庶民には教えたくないという上つ方の都合もあったり(一般ピープルは無知のままでいて欲しい的な)。
『アチューンメント』はそういう神官とか、秘教的なマスターたちの、まどろっこしい勉強を地道に続けていくよりも・・・この先の生まれ変わったもっと後の人生よりも、

とにかく今、今なんです! 
そんな地味なこと続けた先なんて、ぢぶん待ってられないですっっっ

とばかりに、「早く~神に戻りたい!」「霊的成長を遂げたい」っていう気持ち? 考えから生まれたもの。

この『アチューンメント』がもっとも盛んだったのは、古代エジプト文明。神はこの場合、太陽(アトン神)で、太陽の波動に合わせることが目標だったわけです。(それ以外の地域・文明なんかでも勿論ありました。東洋だとチベットとか、古代中国にもあったし。ただ、時代が下るにつれ、伝言ゲームあるあるで曲解というか、歪んで伝えられちゃいましたよね)

うーん・・・太陽の波動に周波数を合わせたら燃え尽きてしまうがな<肉体

けど、アメン神の信仰が盛んになってからの神官たちは、めちゃくちゃ堕落してて、エゴイズムの虜になってましたから、霊的な真理も意味をなさず、本当の意味を理解している人は、既にいなかったわけですね。いくらアチュしても無理無理で。

とはいうものの、本来のアチューンメントという行為は、秘教的教え・・・霊的真理の学びにおいては、『対象物に意識を合わせる』という、物事を理解するための方法としてのエクササイズでした。従ってトレーニング方法であり、レッスンでもありました。※そして対象物と同一意識になる状態のことはアット・ワント・メントと言います。

そういう目的のものだったんですが、堕落した神官たちがちょいズルな目的で使うようになり、霊性を高めるためと言えばそうなんだけど、いつの間にか、「早くスゴイ人になりたいんだもん」という、利己的な目的を遂げるための方法になっていっちゃったんですな。

やれやれ・・・

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で、アチューンメントは、もともとその人の波動を高めて、霊性を上げるためのトレーニング方法なわけですが、やったからって人生で奇跡や「何か」が起こるわけではないです。

また、霊性の引き上げという意味では、実際に人生で色んなことを体験して、そこで生まれた喜怒哀楽や知りえたことから考え、学び、経験を肥やしとして血肉にし、成長してレベルアップする過程とは比べ物になりませんし。愛と知恵を伴った行動をしないことには成長しませんから…サイコノエティカル体は。

ある一定のレベルに達していない人でないと、『波動を上げ霊性を高める』
っていう本来の目的を達せられないというのが確かにあるものの。かといって、アチューンメントがまったく意味のない事と言うこともなかったりもしますけどね。

でも、まあ、確かにどうしてもその人の"霊性"の状態に左右されるのは事実で…その人の身体がどの段階まで成長しているのかってことに左右されるので、アチューンメントしても、「共振」が起きず、「波動が上がらない」人も多いのです。

とくに『エゴイズム』がたくさんあって、下層のエゴイズムに囚われている人は。

(たまに、アチュのメニュー受けに来てくださる方で、全身ネガティブ・エレメンタル(エネルギーブロックとも言います)だらけで、いやさコレは、それ以前の問題があるし、アチュ受けるには早すぎるよ~ 個人セッションのほうですがね~って方、ケッコーいるんですけど・・・本人の主体性に任せているというか、お金の掛かることだけに勧誘とか誘導になっちゃうしな~なので、自分の問題を解決したり知りたいとか思ってない人に、押し付けても・・・であり、こちらからは言いません。時間的制約もありますし)

自分が霊的にどのレベルまで進化しているかなんて、誰もが解ることではないし、『わからいでか!』なことなので、受けて意味のある人と無い人を選別してもせんないこと。それに、霊的に成長していなくても、サイキカル体が敏感な人は、氣を感じることは出来るから、「アチューンメント体験で何か感じられた」というだけでは、『共振』が起きたということにはならないのです。

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それでは今、成長して霊性が一定のレベルに達していない人は、アチューンメントを受けることは無意味なのか?というと、そうではなく、『何もしないよりはマシ』(笑) いやさこの言い方は身も蓋も無いですね。

今のこの人生ではその『波動の氣』との間に共振が起きず、即効にその『波動の氣』を使うことができなくても、それを受け入れることの出来る段階にまで成長できたときには、使うことができますから。それまでは冷凍保存(コールドスリープ)されてオーラにくっ付いた種状態のままってことで。

ただ、解凍される時期・・・種が開花するのがいつなのか・・・
それは神のみぞ知るちゅうかー誰にも判りません。もち本人にも。

今生なのか、先の人生、さらに先の人生なのか、果てさてもっと先なのか。

だから、他人に何らかのアチューンメントをすることの出来る人が、「あなたの霊性ではまだ、このメニューのエネルギー『氣』を、使える霊的な段階には達していませんよ」ということが判っていなくてもまったく問題ないんです。

実際、ヒーリングを施していたり、アチューンメントをしている人でも、まったく自分が何をしているのか、そのエネルギーが何であるのか、解っていない人のほうが多いわけですが。それでも何とかそれは「起きている」し、行われているわけです。

ただ、アチューンメントにより、今生で特定の波動(周波数)を持ったエネルギーと共振を起こして、その波動の氣をうまく使うことが出来る人・・・(自分の人生に対しても他人に対しても)というのは、受けた人すべてではない、というのはあり。残念ながら。

なので説明書きそのままのことを期待しする人・・・その周波数を持った氣の特徴が顕していることを、アチューンメントを受けたことによって、自分の人生にそのようなことがやってくる・・・なーんて、

それは違います。

アチューンメントを受けて、共振が置き、「氣」を受け取る事によって、内面的な変化が起きて、気づきが起きたり、癒しが起きて、それによって結果として、そのことが物質社会に顕現して、現実が変化し、受け取ることができる人もいるけれどもね。それはその人の霊性に合わせて、タイミングとして起きることだから。

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そして何よりも、アチューンメントは、本来の目的としての『イニシエーション(儀式)』でもあると同時に、『ある周波数を持った氣』『手渡す』ことなので、そこに書いてある共振が起こった人が、自分が感じた『エネルギーの質としての特徴』と、共振が起きたことによって、自分の内面と外的な面に起きた変化を、

アチューンメントを受けている間に、同じことを感じられることを期待しても、です。何度もいうように結果が起きることをも含めて。

そういう意味で、問題解決のアプローチになる人もいるけど、ならない人もいる。その人の「いま」の段階では、何も感じなかった、解らなかった…と言う人も多くいて当たり前なのです。

なので、誇大広告な説明書きをしている方も悪いのですけど、過剰な期待をして受けるものではないです。

どちらかというと、何かが起きることを期待して受けるのではなく、
 ・自分の不足している感情を補い、傷を癒す
 ・そういう質を持った種類の氣と縁を持つ

くらいの気持ちで受けたり、

あるいは、本来の目的に添って、
 ・気づきを促して霊性を高めるため
 ・そうした特徴を持ったエネルギーと繋がることにより
  他者を理解する手がかりにし、感情を広げたい
 ・自分に不足している感情、人として足りてないものを補う

とかとか。

後は、他人を癒す仕事をしている人、ヒーラーでもいいし、セラピーとかカウンセラーとか、そういう人が、他者に対して、「優しい波動」を出すために、もしくはクライアントさんに対して、その種の波動の氣を使っていくために、求めていくべきものなのかも知れないです。

『エゴイズム』はもっとも、アチューンメントをする上で、妨げになるものだから。

過剰な、過大な期待をするでなく、そのエネルギーとどうして繋がりたいのかという、確固たる、きちんとした目的意識があってこそ、生きてくるものですので。

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まあ、曖昧でもいいんですけどね。奇跡が起きることや、魔法のような、自己都合に合わせた変化を望みさえしなければ。

昔は・・・一般の人が受けることは許されてなくて、それを開示した方も処罰されて、下手すりゃ殺されてたけど、今の時代は、誰でも求めれば(マネーはかかるけど)受けることはできます。

エネルギーを感じること、変化を感じられないからといって、詐欺なんではないんですよ。あしからず。

まーでも、価値を見出せない人にとってはまったく無価値なもの。何しろ『物質』として顕されるものではないので、3次元レベル(物理的次元)で体感出来ない人にとっては、詐欺同然の商売と認識されても致し方ないかも知れません。

受ける人にとっては結局、『経験』という、『体感的』なものにお金を払っているわけで、感じられないでは、詐欺だってそう言われても、返す言葉が無いですものね。

何しろ、アチューンメントは三次元の肉体に対して行っていることではなく、四次元と五次元の身体に対して行っていることなので、物理的レベルでそうそう理解できる事象ではないのです。だから、四次元と五次元の身体を意識的に使える人やそれなりのレベルに発達させている人でないと、体感的に経験出来ないし、価値を見出せないものではあります。

だからまあ、一部の人にとっては無意味で無価値な経験、お金の無駄とも言える事象であることは間違いないのです。

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The Sacred Journey ~スピリチュアル・セラピーの現場から
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